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日本民家園の旧原家邸宅―ジェクトの前史時代の仕事

今回は、ジェクトとその前身である㈱川崎組・市川組よりもさらに前の、いわば当社の前史時代の仕事のことを書きたいと思います。

皆さんは、多摩区の生田緑地にある「日本民家園」に行かれたことがあるでしょうか。その民家園の入り口を入るとすぐ右手に、とても大きく立派な木造建築が見えてきますが、これがかつて中原区小杉陣屋町に建っていた「旧原家住宅」です。

日本民家園のサイトの「旧原家住宅」の説明には、次のとおり記載されています。
「川崎市中原区小杉陣屋町から移築した総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。明治24年から22年の歳月をかけて大正2年に完成した。日本の木造建築技術が高度に磨かれた明治時代の建物でもある。」

この川崎市重要歴史記念物にも指定されている原家の住宅ですが、実はこの建物、ジェクトとはおおいにご縁があるのです。
この建物は、川崎屈指の旧家である原家の屋敷として、上にもあるとおり22年(!)をかけて完成させた大規模なものですが、建設にあたり、棟梁として腕をふるったのは、ジェクト創業者市川重太郎の伯父の市川登代次郎、副棟梁が父親の清次郎でした。
当時修行中だった重太郎も、呼び出されてこの仕事に8年間たずさわり、数々の知識・技術を修得したと伝えられています。

さらにこの建物は、平成3年に、現在の日本民家園に移築されたのですが、実はその復元工事を請け負ったのも、ジェクトなのです。
明治時代の建築と、平成になっての移築・復元、本当にご縁の深さを感じさせる建物です。


旧原家住宅のある、川崎市立日本民家園のサイトは コチラ

(てっちゃん)


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明治44年(1911年)、原邸の上棟式のさいの写真です。

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平成3年(1991年)、ジェクトによって日本民家園に移築された旧原邸。
精巧に組み立てられていたケヤキの材木を一つずつ丹念に取り外し、
現在の場所に、同様のやり方で元のように組み立てました。
解体から移築完了まで、足かけ4年の期間をかけたそうです。



| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年11月30日 10:09

新城神社

現在の新城地区一帯の鎮守である新城神社(南武線「武蔵新城」駅南口徒歩)は、今から300年以上前の元禄7年(1694年)に社殿が初めて建立され、以降新城村の守り神として現在に至っています。
思うに、江戸時代の初めにこの地域一帯が新たに開発され、このころになって神社の社殿を建立するだけの経済力が村の住人についてきたのでしょう。

とはいえ、つい最近まで周囲はのどかな田園地帯で、明治の初めには村全体で農家が数十戸しかなかったそうです。(南武線が開通したのは、昭和2年―1927年―のことです)
現在の商店街などで繁華な様子からは、なかなか想像できませんね。

(てっちゃん)


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昭和12年(1937年)の社殿新築のさいの遷宮式当日の写真。
列席者中央に古式の装束姿で立っているのが、社殿施工に携わった当社創業者の
市川重太郎(宮大工棟梁)です。
この写真の中で列席されている方々のお孫さんの世代の皆様が、現在地元でご活躍中です。
(写真ご提供 中原区上新城 井上 弘明 様)

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現在の新城神社の社殿。平成2年(1990年)に、隣接地に道路が開通するのにともない、位置を少し移動しましたが、その他は当時と同じです。


| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年06月08日 15:52

中原街道の謎

本日は、当社前を通っている「中原街道」について。

中原街道は、江戸時代初期に東海道が開通するまでは、江戸から西へ向かう主要な街道だったそうで、小杉御殿町(徳川将軍家の宿舎があった)・小杉陣屋町などの由緒ありげな地名からも、それがうかがえます。

このエリアの中原街道を見て気がつくのは、丸子橋付近から高津区千年の交差点付近まで、ほぼ一直線であること(江戸時代初期に、小杉御殿の防御上の理由から、西明寺のところだけ「鍵型」に曲げられたのが例外)です。
それと、街道の前方真正面に「富士山」が見えることも大きな特徴で、これも偶然とは思えません。

このような中原街道ですが、実はこの道を誰が、いつごろ造ったのか、はっきりわからないんだそうです。
一説によれば、古代に、当時南関東屈指の寺院であった「影向寺」への参道を、富士山がその背景となるよう、綿密な計画のもとに造ったのだ、という話もあります。
その話の真相はともかく、明治13年の地図(下図)では、すでに現在と同じ道筋になっているので、いずれにしても明治以前に、だれかが計画的に造ったことはまちがいありません。

研究してみると、面白いテーマではないでしょうか。

(てっちゃん)


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当社前から見た中原街道(千年方面)。冬の晴れた日などには、真正面に富士山が
くっきりと見えます。


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明治13年の陸軍参謀本部陸地測量部作成の地図。だいたい今の武蔵中原駅周辺か
ら高津区千年の交差点付近まで。街道に面して人家(■印)がほとんどないのがわかります。
もちろん、武蔵中原駅も富士通さんもありません。


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現在の同じエリアの地図。周辺の様子や道幅は大きく変わりましたが、中原街道の一直線の道筋は、基本的に同じです。



| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年05月15日 19:24

ジェクト社屋の移り変わり

創業当時からしばらくの間、ジェクトの(自宅兼)事務所は、現在の「ミスタービルド中原」のあるところ(中原街道沿い「新城」バス停のそば)にあったことは、前にご紹介したとおりです。
下の写真①は、昭和30年当時の市川家の自宅前の風景で、現在の中原街道の交通量からは考えられない様子ですね。

次の写真②は、当時からかかっていた旧社名「川崎組」の看板です。

また、現在のジェクトの建っているところは、昭和58年まで木造2階建ての社屋と製材工場が建っていました。
今見て見ると、昔よくあった材木屋さんのようなたたずまいです。(写真③)
現在は、同じ場所に2棟の当社本社ビルが建っています。(写真④)
近隣の様子と同様、風景も大きく変貌しました。

(てっちゃん)

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写真① 創業後、永らく事務所としても使っていた市川家の自宅。
(車が止まっている所が中原街道) 家族の結婚式当日の様子で、
珍しいのか近所の人が集まって見ています。

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写真② 上の写真にも見える、社名を書いた一枚板の看板(当社に保存)。
長い年月を経て、黒々としています。

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写真③ 昭和30年当時の本社事務所。材木がたくさん並んでいます。

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写真④ 上の写真と同じ場所に建つ、現在の社屋。左が昭和58年
築の旧館、右側が平成6年築の新館です。


| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年03月24日 19:00

武蔵中原駅周辺の変貌

武蔵中原駅周辺の南武線が高架になったのは、1990年(平成2年)のことです。
それまでは、駅の周辺といっても、下の写真のとおりで、ほとんど何もないですね。
また、中原街道と交差する所には踏切があって、「開かずの踏切」で有名でした。
私も、学校に遅刻しそうになったり、ずいぶんハラハラした思い出があります。
現在は、沿線にはハイテク企業の拠点が集中し、南武線も別名「ハイテクライン」というそうです。

(てっちゃん)

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昭和55年頃の、現在の武蔵中原駅南口近辺の様子。駅のそばにしては、とても殺風景です。
奥に見えるのが、当社(旧社名「川崎組」)の建物です。


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現在の武蔵中原駅南口。富士通さんにいる世界各国のIT技術者が歩いています。



| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年02月23日 12:48

ジェクトと学校建築

今日は、ジェクトと川崎市内の学校建築との深いご縁を紹介します。

昭和20年代後半から、当社(当時の川崎組)では市内の公共建築の受注が急増しました。
中でも、とくに学校については、そのころからの人口(子供)急増を背景に、建てても建てても追いつかない、といった状況だったそうで、ピーク時の昭和32年には、何と当社完成工事高の8割が学校の新築工事だったそうです。

昭和30年代に入ると、鉄筋コンクリート造の建物が主流となり、さらに現在では、昔では考えられないような、設備の充実した校舎になっています。


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昭和26年新築の東住吉小学校の建設現場です。今ではもう見かけない木造校
舎で、昔ながらの半纏姿の職人さんも写っています。


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昭和28年の新城小学校の落成式の様子。表彰されているのは、当社創業者の
市川重太郎です。


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時代は移って、これは昨年竣工した橘中学校の完成写真です。昔では想像もつ
かないような立派な校舎ですね。

(てっちゃん)


| コメント (0) | 投稿時間 : 2008年01月13日 17:15

大正時代の中原街道

皆さん、下の写真がどこだかおわかりでしょうか?

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この写真は、大正時代の中頃に撮影されたもので、写っている藁葺きの家は、当社の創業者の市川重太郎が大工を創業した家です。家の前の道は中原街道、現在の「新城」バス停のところです。

下の写真は、現在の様子を同じ場所から撮影したものです。
道幅も広がり、交通量も増えて、あまりの変わりようにびっくりしてしまいますね。
(中原街道の先が「武蔵中原」駅です)


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これからおいおい、当社にある昔の写真をご紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

(てっちゃん)


| コメント (0) | 投稿時間 : 2007年12月10日 18:58

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