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市川社長のブログ

進化する「アゼリア」

  • 2016年4月27日 13:31

先日、川崎駅で降りた折にノートを買おうと思い
リニューアルの終った地下街「アゼリア」に久しぶりに
行って案内係に聞くと、ある書店を教えられました。

その書店の文具コーナーへの途中に長テーブルがあり
本を読んでいる人がいます。内装も従来のものとは随分違う
感覚でアゼリアは大きく変ったのだ、ということを実感しました。

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そんな折、川崎商工会議所で「進化する川崎商業」と題する
セミナーが先週開かれ、アゼリア・リニューアルの総合
プロデュースを務めた島村美由紀さんのお話を聞きました。

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東口にアゼリアが開業したのは1986年。その後2006年
には西口に「ラゾーナ川崎」がオープン、ここは全国3300の
ショッピングセンターで第2位の売上だそうです。その間
アゼリアでは30年間大きな改修は行われませんでした。

階段を降りて正面のサンライト広場の周囲は「店格」の高い
店舗を誘致。確かに以前の印象とは異なる店構えで、その
一つ「箱根ベーカリー」は内装費に1億円をかけたとのこと。

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         箱根ベーカリー

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          ヴェレダ
  


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川崎の10年間の人口の伸びは111%で政令指定都市では
No.1で、川崎駅の乗降客数は125%も増えている。また
川崎市の所得水準は決して低くなく、県下では5位とのこと。
(第1位は鎌倉市、4位が横浜市)

そして川崎区の人口構成は50代以上が約4割を占め、
川崎市の平均を上回っていることから新生アゼリアは
「優良な大人層」を取り込むことを目標の一つとしました。

オープン後、工芸品を扱う「雲花」では高い商品から売れている
とのことで、この狙いは的中しているようです。

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           雲 花 

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またカフェは13か所もあって、セミナー終了後にコーヒー
1杯590円の丸福珈琲店に入りました。関西が本店で
創業80年の店の味は濃厚でほろ苦く、今は見かけない
角砂糖が置いてあります。
川崎に来たときにちょっと落ちつける場所ができました。

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熱意の差

  • 2016年4月19日 15:11

昨日は城南信用金庫主催の講演会があり、箱根駅伝
2連覇を達成した青山学院陸上部監督の原晋(すすむ)さんの
お話を聞く機会がありました。

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   会場のグランドプリンス新高輪には1000人の聴衆が

原さんはサラリーマン出身で、選手時代も長距離で
特筆するような実績がなく、しかも青山学院の出身
でもない。それが今注目を浴びている一つの要素です。

彼は中京大学から広島の中国電力に入社、陸上部
第一期生の一員となったが5年でケガで退部。その後
後輩から青学の監督の話が来たとき、家は建てたばかりで
家族はもちろん、会社も全員が反対しました」。

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しかし反対されればされるほど、やってみようという
気持ちが強くなり奥さんを1年かけて説得。母親からは
「やるんだったら日本一になりなさい」と言われ
退路を断って上京し、監督に就任したとのこと。

そして就任5年目で青学を33年ぶりに箱根駅伝に
出場させ、2015年10年目でついに初優勝を勝ち取り
さらに今年2連覇の偉業を成し遂げたのでした。

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私は話を聞いて、将来の保証が全くないところで会社を
辞めて監督就任した時「必ず優勝」という強い気持ちを持ち
それをずっと持続できたことが勝利の最大の要因と感じました。
「人間の能力にそんな差はなく、あるのは熱意の差」という
原監督の言葉はとても私の腑に落ちるものでした。

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      原さんの著書


もう一つ原さんが今引っ張りだこなのは、サラリーマン時代の
仕事の経験を生かしているところ、なのだと思います。
例えば目標管理シートの導入で、1年や1か月の目標を自主的に
決めさせる。次にそれを達成するための具体的な目標設定をする。
「もう少し速く走る」はダメで「週何回○○をやる」という風に。

私は講演を聞きた後、著書を読んで目標管理の手法は当社にも
全く当てはまり、業務の改善の大きなヒントを得た思いがしました。

コミュニティ・カフェ

  • 2016年3月31日 11:04

昨日、武蔵新城から徒歩3分の賃貸マンション
「セシーズイシイ7」の1Fに、オーナーの石井さんが
運営するカフェ「新城テラス」がプレオープンしました。

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この建物は1991年に当社の設計・施工で建てられた
ワンルーム中心の62戸と店舗があるマンションですが
昨年、ブルースタジオの設計で大改修が行われました。


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          改 修 前 1

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          改 修 前 2


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          改 修 後

この改修は建物外部のメンテナンスとともに
1F共用部の大きな改変が目的で、エントランスは
黒を基調としたデザインで見違えるようになりました。

バックヤードの倉庫・駐車場はイベントスペースと
パン工房に、そして管理会社の事務所だったところに
コミュニティ・カフェをオープンさせたのです。


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地域との交流は昨年暮れに建物の改修が終了したときから
始まりました。年末には1F共用部のコンクリートの床を
部分的にモザイクタイル貼にして、それを入居者や近所の人と
共同作業で貼ったのです。

明けて1月には"武蔵新城の手づくりの暮らし"をテーマにした
マルシェ「パサール新城」を開催しました。地元野菜の直販
を始め、手作りのパン・クッキー、アクセサリー、生花、革小物
などお店が出て、300人近くの人が訪れました。


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また2月にはイベントスペースの名前や、どのようにして
地域とのコミュニケーションを図るかを関係者がグループに分かれて
色々な意見を出し合うブレーンストーミングが行われましたが
皆自分が住む気持ちになって熱心な討論が行われました。


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さらに今月、当社が行っている「オーナー座談会」を現地で行い
このプロジェクトの目的を石井さんに解説していただきました。
各種のイベントで人と人とのスパイラルを作る、その人たちが
街のファンになる、結果としてマンションの価値が上がり空室率が減る。

ここまで賃貸経営に打ち込む若きオーナーの姿に皆が感銘を受け
私も「自分にできるだろうか?」と自問しながら会場を後にしました。


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   イベントスペースで行われた「オーナー座談会」

日本でいちばん大切にしたい会社

  • 2016年3月18日 17:57

昨日は川崎中原ロータリークラブで高津区にある
日本理化学工業を見学しました。この会社はチョークを
主に製造し「日本でいちばん大切にしたい会社」という本に
取り上げられ、一度訪れたいと思っていた企業です。

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会社の食堂に集まった私たちを迎えてくれた84歳の
大山会長は1時間立ちっ放しでお話しをしてくれました。

昭和35年に養護学校から2人の生徒の職場体験を依頼され
2週間の実習が終った後、従業員から「あの人たちを雇えないか」
と訴えられ雇用したのが始まりで、今は83人の社員のうち
61人と7割以上が知的障害者です。


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多くの人を雇用するようになったきっかけは、ある寺の住職の
「人の究極の幸せは『愛されること、褒められること、役に立つ
こと、必要とされること』の4つなのです。」という言葉でした。

施設で大事に面倒を見てもらうより、人に喜ばれるものを作り
社会から必要とされることが障害者の幸せにつながる・・・
大山さんは障害者に働く場を提供しようと決意したそうです。

養護学校の生徒に春夏2週間の実習を行って、その中から
希望者を採用します。一般に障害者が作業所に通ってもらう
額は月1万円程度ですが、ここでは12,3万円。さらに人を
教えられるようになると、班長となり約17万円もらえます。


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また一人の障害者が福祉施設で過ごす場合、国の負担は
平均年間500万円。雇用によってこの分の社会貢献をしたと
評価され、2009年には渋沢栄一賞を受賞しました。

工場内に入ると皆とてもスムーズに業務をこなしていて
元気に挨拶してくれる人もいました。週休2日制ですが
毎月第3土曜日は勉強会を行い、向上を目指しています。

障害者雇用は本人の幸福のみならず、社会貢献にもつながる。
私たち職業人は今日気づかされたことを理解するだけではなく
実際に行動していかなければならないと感じました。


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ガラスに書けてすぐ消せる新製品「キットパス」

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バヌアツ支援の旅

  • 2016年2月20日 10:30

南太平洋の80の島々からなるバヌアツ共和国。
人口は約25万人、中原区とほぼ同じです。フランス、
イギリスの共同統治から独立したのは1980年でした。

川崎北ロータリークラブを中心に私の所属するクラブも含め
2001年からこの国へ顕微鏡など医療器材の寄付を行ない
2012年には川崎市から譲り受けた救急車を国立病院に
寄贈しました。今回は2台目の救急車の贈呈です。


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        バウアーフィールド国際空港

オーストラリアのブリスベン経由で首都ポートビラのある
エファテ島に到着すると、気候は日本の8月くらいの感じで
蒸し暑く、小さな空港にはエアコン設備がありませんでした。

翌日私たちはビラ国立中央病院へ向かいました。立派な
RC造の検査棟は、日本のODAで一昨年完成したもので
どこが施工したのか興味を持ち聞くと日本のゼネコンでした!


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             ビラ国立中央病院

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昨年3月のサイクロンの際古い病棟が被害を受け、新築した
検査棟のエントランスを臨時の病室に利用したそうです。
日本は資金援助だけでなく、青年海外協力隊のメンバーも
30人以上が駐在し、この病院にも数名が派遣されていて
この話は彼らから聞きました。

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           日本の援助で新築した検査棟

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          エントランス部分

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        2001年に寄贈した顕微鏡


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              従来からの病棟

贈呈式では健康省の次官より「2020年にはバヌアツから
マラリアが撲滅されるでしょう」という挨拶があり、その達成に少しでも
このような私たちの活動が貢献できれば幸いだと感じました。

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政府開発援助ODAを調べると毎年1兆円前後を拠出している
のです。図らずも今回その現場に接する機会に恵まれましたが
私たちは税金の使い道をもっと知る必要があると思います。

島内を一周すると、海外からはオーストラリアからの観光客が
少し見受けられる程度でした。昨年末NHKでバヌアツの特番が
放映され、タンナ島にある「世界で最も火口に近づくことができる」
火山が紹介されましたが観光開発の余地はまだ残されています。


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船で湾内を回ったとき、サイクロンで被害を受けた船舶が何艘も
そのまま放置されている光景を目にしました。国もそうですが
個人レベルでもできることが多いことを訪れて肌で感じました。


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