Home

市川社長のブログ

Renotta

  • 2015年11月 9日 10:00

当社は金沢市に本社がある㈱クラスコが展開する
Renotta(リノッタ)というブランドの賃貸住宅の
リノベーションのネットワークに加盟しました。

この目的は、空いたお部屋に効果的な改修を行って
家賃を上げられるようなリノベーションを行なうこと。
そのデザインや成功例を加盟店で共有して、さらに
レベルアップしていくところにあります。

Renotta (1).jpg

クラスコの前身は1963年に創業したタカラ不動産商事で
現社長の小村典弘さんが一昨年3代目社長に就任、社員数は
グループ全体で260名を越えています。

先月末本社で行われた5日間の「リノッタ」の導入研修には
3名の社員が参加し、私も挨拶も兼ねて本社に伺いました。

金沢駅からまっすぐ伸びた大通りに面する3階建ての
本社は4年前に釣具屋さんのビルをそっくり購入し、
フルリノベーションを施した建物です。


Renotta (2).jpg


Renotta (3).jpg


エントランスを入ると右奥にカウンター、左側は
ガラスで仕切られたブースがいくつかありますが
どう見ても不動産会社の事務所には見えません。

2階の事務室はさらにユニークで真ん中に六角形のテーブル
があり、毎日違った場所に座るのがルールだそうです。
その隣は大きなガラス窓で仕切られた「アイデア創造会議中」
と書いてある部屋で、自由闊達なやり取りが想像されます。


Renotta (4).jpg

Renotta.jpg

Renotta (5).jpg

その奥の応接スペースには驚きました。6人掛けの打合せ
スペースが2か所、広々としたソファがある場所が2か所。
ホテルのラウンジのようで当社も考え直さなければと感じました。


Renotta (6).jpg

Renotta (7).jpg

その後は築35年の1ルーム、戸建て住宅、そしてクラスコが
買い取った築43年の県営住宅のリノベーション現場を見学。
当社もこのノウハウを学んで、従来に増してお客様に幅広い
リノベーション提案をしていくことを目指します。

Renotta (8).jpg


Renotta (10).jpg

Renotta (11).jpg

福田市長とアメリカ

  • 2015年10月22日 19:11

昨日、私たちのロータリークラブの例会に
川崎市長の福田紀彦さんをお呼びしました。
福田さんは、高校・大学をアメリカで過ごしていたので
その頃の話を中心にしてほしいとお願いをしました。


福田市長とアメリカ (1).jpg

福田市長とアメリカ (2.1).jpg

お父様が転勤でジョージア州アトランタに赴任したのに伴い
福田さんも地元の高校に転学。英語はチンプンカンプンで
帰宅後、日本アニメのTV放映で英語を勉強したとのこと。

高校2年のとき、同級生が町に2つしかなかった信号を
増やしたいと運動を始め、これがクラス、教会、大人と
輪が広がり、市長への直談判まで発展。その結果3つ目の
信号が設置されました。「自分たちの町を自分たちで作る」
という経験が、今の原点になっているようです。


福田市長とアメリカ (3).jpg

とても面白かったのは、アメリカは18歳で選挙権があり
選挙前になると共和党支持の先生が「今度の選挙はみんな
分ってるだろうな!」と支持する候補者名を挙げるそうです。
ところが生徒も「はいそうですか」ではなく、小さい頃から
培われた「ディベート」術を駆使して論議を戦わせる・・・。

日本でも来年の参議院選から18歳の高校生に選挙権が
与えられますが、学校内では教師は個人的意見を控え中立を
保って生徒を指導するように求められています。

私はどこから見ても中立、というのはあり得ないと思って
いますが、この話を聞いて教師を中立にさせるのではなく
色々な意見を聞き、生徒自身が考え判断する力を付けさせる
ことが教育ではないかと強く思いました。

福田市長とアメリカ (4).jpg
        グリーンビルのダウンタウン(2012年6月)


大学はマンモス校を避け、隣のサウスカロライナ州グリーンビル
という小都市のファーマン大学に進学。(偶然にも私はロータリー
の関係でこの町と大学を訪れたことがあったのです!)
ここで哲学の授業はいつも校庭で行うのが特徴。あるアジアの
思想の本のリポート課題で一人の学生が「この思想に基づき
一日の旅に出た」ことをプレゼン、大いに感銘を受けたそうです。


福田市長とアメリカ (5).jpg
       ファーマン大学のキャンパス(2012年6月)

福田市長とアメリカ.jpg


市政については、2020年の東京オリンピックの際に
川崎市はパラリンピックを支援し、それを川崎からの
レガシーとして継続したいこと等について触れました。

30分という短時間でしたが話の内容がとても新鮮で、溌剌と
話す市長の姿に多くの人が好感を持った集いになりました。


福田市長とアメリカ (7).jpg


田園調布の住宅

  • 2015年10月 1日 16:27

先月の24日、施工中だった田園調布の住宅が完成し
引き渡しを終えました。当社では過去、駅の東側と
多摩川駅に近い所で住宅の施工をしたことがあるので
この建物の施工は田園調布で3軒目になります。


田園調布 (1).jpg


田園調布 (2).jpg
         宝 来 公 園

東横線の田園調布駅を下り、駅前から放射状に延びる
銀杏並木はいつ来ても美しく、一瞬日本にいることを
忘れさせるほどです。宝来公園からほど近い立地は
周囲に緑があふれ静寂に包まれています。


田園調布 (6).jpg


敷地は道路面から傾斜があるので、鉄筋コンクリートと
木造の混構造の3階建てですが、2階建てに見えます。
細部まで徹底的にデザイン性を追求された設計で
正直、建物が無事竣工してホッとしています。


田園調布 (3).jpg


この地の開発は大正7年、明治の大実業家・渋沢栄一が
理想的な住宅地「田園都市」を開発しようと田園都市㈱を設立。
大正12年から分譲が開始、13年には駅舎が建設されました。

従来の駅舎は1990年、駅の地下化のため一旦解体され
2000年に復元されました。(現在駅としての機能はありません)
私はこの駅舎は街のシンボル的存在なので、同じ形に復元された
ことで、田園調布のイメージも変ることなく保たれたと思います。


田園調布 (4).jpg


田園調布 (5).jpg


駅前にある「田園調布の由来」という碑(昭和34年建立)には
「全体を明るく美しいものにする為、建築に関し色々な
申し合わせを固く守り、道路との境界には一切塀など設けず
花垣か生垣にすることを厳格に実行した」と書かれていました。

「田園都市」とはイギリスのE・ハワードが提唱した考えで
大都市の周辺に設けられた都市を、公園や緑地などで囲み
田園と都市を融合させようという意味合いです。


田園調布 (7).jpg

実際の街づくりで栄一の息子、渋沢秀雄は元祖のイギリスより
サンフランシスコ郊外のセント・フランシス・ウッドという町が
気に入りモデルにしたそうです。一度そこを訪れてみたいものです。

StFrancisWood_photo.jpg
      セント・フランシス・ウッド

StFransisW.gif

悠久の地・インド その2

  • 2015年9月23日 19:10

翌日の午前中、ホテル近くにある本屋に行きインド
建築に関する書物を探しました。大きな吹き抜けのある
建物で、外壁の1844の数字は建物ができた年でしょうか?


Indea2 (1).jpg


Indea2 (2).jpg


サンデーブランチをホテルで取ったあと、私たちは
運動着に着替えて車で1時間半の郊外を目指しました。
だだっ広い野原にすでに30人くらいが集っていて
ここから約6㎞、走る人と歩く人に分かれて行くのです。


Indea2 (3).jpg


これはHASHという世界的な組織で、競うことなく走り
交流するのが目的。私は歩く方の組で所々に地面に付いている
チョークの粉を頼りに進み、最後はスタート地点に戻ります。

気温が下がる夕方から出発し、夕闇の中戻ってきました。
日本ではまず見られない本当に何もない、誰もいない荒野。
そこを約1時間半歩き、終了後の懇親会。特別な体験でした。

Indea0.jpg


Indea2 (5).jpg


Indea2 (4).jpg


Indea2.jpg

チェンナイ最後の日は近郊の寺院巡り。南へ下って
カーンチープラムでまず回廊の美しいカイラーサナータ寺院
を見たあと、約60mのゴープラム(ヒンズー教寺院の高塔)
があるエーカンバラナータル寺院へ。ガイドを頼んで中まで
案内してもらい、シヴァ神に手を合わせました。


Indea2 (6).jpg


Indea2 (7).jpg


Indea2 (8).jpg


Indea2 (9).jpg


さらに南のマハーバリプラムへ。ここには1984年に世界遺産に
登録された海岸寺院があります。7世紀頃建てられた石造建築を
代表するもので、いま寺院から海が見えないのは2004年のインド洋
地震で津波が建物の下まで来たので防災用の木々を植えたからでした。


Indea2 (10).jpg


Indea2 (11).jpg

 
その近くでとても不思議な巨大な奇岩を見ました。「クリシュナ
のバターボール」と呼ばれ、自然か人工かいくら眺めてもわかりません!
さらに一つの巨大な花崗岩から5つの寺院を彫りだしたという
「バンチャ・ラタ」を見学。7世紀頃の建築様式がよく分かります。


Indea2 (13).jpg


Indea2 (12).jpg

Indea2 (14).jpg


India3.jpg

初めてのインド。街に繰り出す大勢の中に物売り、物乞いが入り混じり
路上はオートバイと車の追い駆けっこ!2030年にインドのGDPが
日本を抜く予想がありますがこの混沌こそがエネルギー源でしょうか?


Indea1.jpg


Indea2 (15).jpg

悠久の地・インド その1

  • 2015年9月21日 17:59

今まで訪れる機会のなかった悠久の地、インド。
イギリスに住む友人夫婦がインドを旅行するという話を聞き
思いきって一緒に行くことにしました。

彼らは南インドを約半月かけて旅行する予定で、私たちは
最初の訪問地チェンナイで合流しました。ここは首都のデリー、
ムンバイ(旧ボンベイ)、カルカッタに続くインド第四の都市。


India (1).jpg


India (2).jpg


友人夫婦より半日早く昼前に着いたので、午後からガイド付き
タクシーを事前にチャーターして市内を回りました。
まず神智学協会という団体の本部にある樹齢数百年のバニアンの
樹を見たあと、長さが世界第2位とうマリーナ・ビーチへ。
そのあと行ったのはパルタサラティ寺院。


India (5).jpg


India (6).jpg


India (7).jpg


India.jpg


India0.jpg


まず入り口付近のお土産屋に靴を預けて中に進みます。
裸足で石畳を踏みしめながら、祀られている神の像の前に
ヒンズー教徒と一緒に並んで聖水をいただきましたが
足の裏の冷たい感覚と、黒々とした石柱の印象が強く残りました。

India (4).jpg

India (3).jpg

泊ったホテルは「タージ コネマラ」。タージグループのホテルは
.世界に100か所以上あるそうで、サービスが行き届いている
のには感心しました。レストランで食事が終わったとき
席までアンケート用紙を持ってきましたが、日本のホテルでは
経験がありません。帰国後にはアンケートのお礼が届きました。

India (9).jpg

その夜ホテルで友人夫婦と再会し、翌日まずセント・ジョージ砦へ。
1639年にイギリスが東インド会社をここに設立、そこから要塞の
建設が徐々に始まり、インドの支配を進めていったのです。また
町の名前も「マドラス」に変えましたが、今は元の名に戻っています。
武器などの展示のある要塞博物館を見たあと、構内を見学しましたが
今も軍の駐屯地となっている割には鷹揚で、写真もほとんど自由です。

India (10).jpg

India (11).jpg

その後繁華街の食堂で昼食をとりましたが、エアコンの効いている
2階に私たちは案内されました。やはり料金が違うのでしょうか?
私は辛いものがダメなので心配しましたが問題なく食べられました。


India.2.jpg


India (12).jpg

さらに歩いてサリーのデパートのような所へ行きました。こちらの
女性は9割以上日常でもサリーを身につけている感じです。

India (13).jpg

India (14).jpg

India.1.jpg
        お店の前の雑踏

1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

Home

Search

ページ上部へ戻る