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2009年6月 Archive

成 城

  • 2009年6月30日 07:54

いま当社では世田谷の成城で鉄筋コンクリート造の
個人住宅の工事を施工しており
引渡しが近くなったので現場を見てきました。

小田急・成城学園駅を北側に降りると
学園の正面へ出る大きな並木のある道に出ます。
それを学園とは反対側の左に折れて
2本目を右に曲がるとまもなく現場です。

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             正面が成城学園

住所は成城6丁目、この街の中でも
最も高級な邸宅が並んでいる区域です。
田園調布と並ぶ都内屈指の高級住宅地にふさわしいたたずまいで
街路樹の幹の太さが街の風格を感じさせます。

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都内に成城中・高等学校が成城学園とは別にあるのは
知っていましたが、1925年(大正14年)にそこから分離独立した形て
成城学園ができて、さらに学園の要請を受けて
2年後に小田急が成城学園駅を設置したということは、
今回街の歴史を調べて初めて知りました。

成城は石原裕次郎や三船敏郎などの往年の大スターや
「世界の」黒澤明監督が住んでいたことでも有名ですが
これは1932年(昭和7年)に東宝撮影所ができたことも
関係しているようです。 


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この仕事は当社が加盟する、建築家との家作りを推進する
アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)「京浜川崎スタジオ」の
活動の中で受注したものです。

成城学園までは意外に近く、電車で行っても
会社から現場まで30分しかかかりませんが
ASJへの加盟がなければ、成城エリアでの住宅工事の受注は
実現しなかったでしょう。

加盟してちょうど2年、今後も建築家とデザイナーズ住宅を
希望する方を結びつける活動を広げていきたいと思います。

(社長)

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             成城学園入口付近

ヴォーリズ

  • 2009年6月26日 21:29

先日、NHKの「日曜美術館」でアメリカ人建築家
ウィリアム・ヴォーリズが取り上げられていました。

1905年に来日したヴォーリズは、滋賀県近江八幡で
伝道活動を続けながら、日本で好きだった建築の道に進みました。
また近江兄弟社を設立してメンソレータムを販売するなど
実業家としても活躍したそうです。

新橋の汐留ミュージアムで「ヴォーリズ展」を
やっていることを知り、先週そこを訪れました。
パナソニックのリビングショールームの4階が
ミュージアムになっていて、ルオーの作品が
常設展示されています。

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ヴォーリズの作品では神戸女学院や関西学院などの
コロニアル・スタイルのミッション・スクールが有名ですが
個人住宅も何と500棟以上も設計をしたそうです。

展覧会を見て驚いたのが大正や昭和初期に建てられた
学校や教会や住宅が関西にはまだかなり残っていることです。
東京では六本木の東洋英和の校舎もヴォーリズの設計でしたが
もう15年位前に取り壊されて建替えられました。

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          神戸女学院(昭和8年)

以前イギリスのロンドンに行ったとき、向こうの住宅は
築100年を超えると初めて「古い」住宅と言われる
ということを聞いて考えさせられました。
日本ではまず築40年なら立派に「老朽建物」です。

昨今「老朽化のため建替え」という表現がとても多く
私はこのフレーズを聞くたびに、時間の経過が
建物の価値を増すこともあるのだということが
一方的に切り捨てられている感じを受けます。

都内では御茶ノ水の「山の上ホテル」がヴォーリズの設計で
現存しているので、展覧会のあと行こうとも思いましたが
デザインがモダンで彼の持ち味と少し違うので、次の機会にしました。

(社長)

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           旧下村邸(昭和7年)
 

両 国

  • 2009年6月18日 08:06

「東京・両国」と聞くと
たいていは「国技館」を連想すると思いますが
先週大相撲観戦ではなく、両国第一ホテルで行われた
賃金管理のセミナーに参加してきました。

駅を降りてから国技館を左手に見て
巨大な高床式の江戸東京博物館の横を通りぬけると
まもなく会場のホテルに到着します。

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セミナーが終って両国駅に戻るのに
散策がてら,行きとは違う道を歩いていくと
道路の向かい側の街路樹越しに三重塔が見えました。

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そこは「横網(よこあみ)公園」という場所で
三重塔は大正12年の関東大震災の犠牲者のための
慰霊堂の一部だということが分かりました。

この地震発生後、多くの人が家財道具を持って
「被服廠跡」というところに避難をしたのですが
運び込まれた家財道具に周囲の火災の火が移って燃え広がり
さらに大旋風が起こり、そこだけで約38,000人が亡くなったことは
話には聞いていましたが、それがこの場所だったのです。

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1ヶ所でこれだけの人が亡くなるというのは
本当に想像を絶することで、この横網公園にあった
元陸軍の被服廠は大正8年に赤羽に移転し
その後公園予定地として約2万坪の更地になっていたことが
大惨劇に繋がってしまいました。

昭和5年にこの「震災記念堂」が完成し
その後の太平洋戦争の空襲で亡くなった身元不明の遺骨の
納骨堂を併設して今は「東京都慰霊堂」となっています。 


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公園のさらに奥には、昭和6年完成の「復興記念館」があり
周辺一体、昭和初期の雰囲気が色濃く感じられ
モダンな江戸博物館などと全く違う両国の一面を垣間見ると同時に
80年以上前に東京で起った大災害を再認識する機会になりました。

(社長)

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              JR 両 国 駅

鎌 倉

  • 2009年6月 8日 14:57

先日、お客さまのお見舞いに
鎌倉まで行ってきました。

鎌倉へ車で行くのは久しぶりでした。
高速道路を朝比奈インターで降りると
鎌倉霊園の坂を下ったあたりから新緑を背景に
老人ホームらしき建物や、しゃれたマンションなど
新しい建築物がチラホラ目に付きました。

古都、鎌倉でさえも、5,6年の歳月が
沿道の風景を少しずつ変えていました。
全国の新築の着工件数は毎年減少していて
現在ではピークの6割くらいのはずですが
この地域はまだそれほど減ってはいないのでしょう。

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病院を出てから段蔓(参道:写真上)を鶴岡八幡宮まで進み
右に折れると「萩寺」と親しまれている宝戒寺があります。
当社では10年位前にお寺の南側にある所有地約300坪を
5区画に分けた借地権付分譲住宅を販売したことがあり
久しぶりに現地を訪ねてみました。

きっかけはその数年前にやはり鎌倉の
杉本寺の庫裏の建築を施工したことで
ご住職同士が親子という関係の宝戒寺の土地の
借地権の活用としての分譲を依頼されたのでした。

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             宝戒寺入口付近

昭和47年にできた当社の不動産部は
戸建やマンションの分譲事業からスタートしましたが
この話が出た頃には賃貸仲介・管理業務が中心になっており
分譲からは遠ざかっていました。

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場所は鎌倉、そして借地権分譲はもちろん初めて。
今考えると「賭け」だったような気もしますが
販売はほぼ計画通りに完了して、胸をなでおろしました。
これが結果として当社のターニングポイントとなり
賃貸建物の不動産管理がさらに推進され現在に至っています。

(社長)

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