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2010年7月 Archive
T 邸オープンハウス
- 2010年7月31日 09:19
当社が建築家と地域の工務店を結ぶネットワーク
「アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)」に加盟して
ちょうど2年になります。
川崎市中原区、幸区、川崎区をテリトリーとした
「京浜川崎スタジオ」を設置、運営して、今までに
気鋭の建築家が参加する住宅展を10回開催し
“デザイナーズ住宅”を希望する施主と建築家の
橋渡しをしてきました。
このシステムで当社が受注、施工させていただいていた
中原区の住宅のオープンハウスが先週日曜日にありました。
設計はキューポデザイン建築計画設計事務所の
猿田仁視氏です。
建築主は永らく地元にお住まいの方で
1階の親世帯はたくさんの人が集まれるよう
広いリビング・ダイニングと和室8畳がつながっています。
2階の子世帯は、階段を上がったところにある
大きな床下収納が特徴で、これを中間層として
その上に子供部屋があり、そこはLDKから階段で上がります。
私はこの2つの部屋がつながる開放的な大空間が
この住宅で一番魅力的だと思います。
またゆったりとした敷地の中で南面を広く取っていて
2階にあるリビングから続く広い奥行きのバルコニーは
パラソルやチェアーを置いて家族で寛ぐのが目に浮かぶようです。
木質の材料を効果的に使っているのも特徴の一つで
外国でよく屋根に使う杉皮を外壁の一部に使ってるのが珍しく
内部の床はチークのフローリングで、メインの玄関の壁は
ウォールナット貼りで暖かい雰囲気になっています。
規模、デザインともデザイナーズ住宅の模範のような建築で
敷地内にあるアパートを解体したあと、アプローチや
植え込みを整備して全体が完成するのが楽しみです。
(社長)
平城遷都1300年
- 2010年7月17日 18:48
藤原京から奈良・平城京に都が移されたのが西暦710年。
今年はそれから1300年の記念すべき年になります。
メンテ・リフォームの子会社のB&Rカワサキの旅行に参加して
久しぶりで(学生時代以来?)奈良を訪れました。
京都から近鉄に乗り換え奈良の少し手前の大和西大寺駅で降り
まず「平城宮跡歴史公園」へ。平城京の中心であった宮跡の
保存を図るため、平成20年に国営公園に制定されたそうです。
正門の朱雀門を入ると敷地の広さにまず驚かされます。
タテ1㎞、ヨコ1.3㎞ほどで天皇の即位式などが行われた
大極殿が遥かかなたに見えてきます。
元の建物の記録はなく同時代のものを参考に復元したようですが
ここに上がり広々とした公園を見下ろして
唐の都、長安を模して碁盤の目のように整然と区画された
1300年前の街にひととき想いを馳せてみました。
遣唐使船も復元されていましたが、こちらも当時の姿を
正確に記述したものはないそうです。この程度の船に
100人以上が乗り込み海を渡ったので、20回くらい派遣して
全船が無事に戻れたのは何と1回だけという苦難の連続で
遣唐使船が四隻だったのはどれか一つだけでも唐に着くように
ということだったそうです。
宿泊場所は興福寺の裏手で、翌日この寺を訪れました。
藤原鎌足の病気の平癒を願って創建したのが起源で
730年築の五重塔は国宝で、猿沢池からの姿は本当に「絵」になります。
その後、東大寺まで歩きました。
南大門が見えるところまで来ると中国や韓国をはじめ
様々な外国人の姿が見えました。年配のお坊さんが
かなり流暢な英語で観光客と話していたのには驚き!
また大仏殿の中もフラッシュ無しなら写真撮影OKで
建物より?グローバルな開放性に感心してしまいました。
ロンドンと近郊の旅 その4
- 2010年7月 3日 10:51
最後の日は友人夫婦の住む街ハムステッドを訪れました。
中心地から電車で約15分の閑静な住宅街で
東京でいうと京王・井の頭線の沿線あたりでしょうか。
友人によると1066年にノルマン人がイングランドを征服した後に
行われた土地の調査記録にこの街の名が出ているとのこと。
にぎやかな駅前から住宅街に入ると一転して緑が多くなり
さらに歩くと森林のような公園に入っていきました。
ここはハムステッド・ヒースと呼ばれていて、ヒースというのは
人の手があまり入ってない自然公園というくらいの意味で、ここから
ロンドンの中心部の建物も小さく望めますが、何しろ広い・・・。
調べたら明治神宮と代々木公園を併せた面積の3倍近くありました!
ロンドンには大公園がいくつもあるので、利用するのは近くの住民が中心
とのことですが、それにしては信じられないような広さです。
イギリスの国土の面積は日本の3分の2で、人口は6,000万人と
半分以下なので、人口密度は日本より少し少ないのですが
ヨーロッパの中では3番目に多い国で、それでも都市部に
これだけオープンスペースがあるのは、日本は山地が多く
平野が少ないのでしょうがないとしても、古いものを残すという考えが
自然を残すことにも繋っているような気がします。
公園の中のケンウッドハウスという元ギネスビールのオーナーが
所有していた邸宅のカフェで昼食を取って中を見学した後
友人夫妻と別れロンドンに戻りました。
最後の夜はミュージカル鑑賞です。ホテルは高級なショップが並ぶ
リージェント・ストリートのすぐ裏側で、ソーホーという繁華街も近く
その周りあるシアターにも歩いていけるという好立地です。
見たのは「ストンプ」という友人推薦のミュージカル。
ストーリーは特に無く、8人の出演者が床を拭くデッキブラシから始め
バケツ、ゴミ箱、ドラム缶などを使い、リズムだけで独特の音楽を
創り出します。最後は観客の手拍子も加わり、素晴しく盛り上って
終了しました。私は日本では和太鼓のグループ「鼓童」が好きで
何度も見ていますが、その西洋版といったこところでした。
イギリスの生活は決して便利でサービスが行き届いているもの
ではありません。まずコンビニはないし、ホテルのメイドも
メモを残したことをやってくれません。床はきしむ音がするし
バイブリーではテーブルが傾いているのが分かるくらい
ホテルの部屋の床が傾いていました。
また旧植民地からの移民を受け入れているのでロンドン中心部は
ホテル従業員を含め生粋のイギリス人の方が少ない感じで
それが日本と比べたサービスの低下に繋がっている面もあるのでしょう。
それでも10年前と街の様子は全く変らず、さらに100年前とも同じで
いつ訪れても変らない場所があるのは、私は羨ましいと思いました。
ロンドンと近郊の旅 その3
- 2010年7月 1日 15:26
イギリスにはカントリー・ハウスと呼ばれる
16世紀から19世紀に建てられた貴族の館があります。
これらがイギリスには何百もあって、驚くことは
どんなに規模が大きくても今でも家族の住まいとして
そこが使われている、ということです。
ロンドンに戻る途中に寄ったのがその一つで
チャーチルの生家として有名なブレナム・パレスです。
私は1988年にこの前をバスで通ったことがあり
そのとき敷地が何と80万坪もあるということを聞き
どんな屋敷なのかいつか訪れたいと思っていたのです。
まず道路の門を入るとかなり先に建物の門がかすかに見える
のですが、そこまでの広大な芝生や駐車場のスペースだけで
東京ドーム(1万4千坪)がいくつも入るような広さです。
日本の皇居の面積を調べたら約34万坪なので
ここはその2倍以上の広大さで王室の財産ではない個人財産が
どうして次世代に継承できるのでしょうか?日本では相続税法で
3代で資産がなくなるので、まずその違いです。
おそらく税法もその1に書いたように,建物も含めて
古いものが継承できるように作られているのでしょう。
生まれた時、親から受け継いだものがあるのは不公平なので
それを是正するところから法が出来ているのが日本です。
見学後オックスフォードで車を返して、ロンドンへ戻りました。
夕刻、友人の家族とデンマーク料理店に行くことになっていて
行ってみるとそこは「パブ」でみんな立ち飲みをしていてます。
友人のお母様はさぞ驚かれたでしょう。
当夜はWカップの日本対デンマークで、イギリスでは
皆で騒ぎながら観戦するのが一番なので、友人は気を利かせて
くれたのでした。しかも「必勝日本」の鉢巻まで用意をしてくれて・・・
私はオフサイドもよく分からないサッカー音痴ですが
周りをデンマーク人に囲まれ、初めて鉢巻をして応援したせいか?
日本は見事にデンマークを降してベスト16入りをしました。
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