Home > Archives > 2009年2月 Archive
2009年2月 Archive
アシスト・ワーク
- 2009年2月28日 13:19
当社の不動産部で管理している建物の
清掃を依頼している先に「アシスト・ワーク」
というNPO法人があります。
高津養護学校が中心となり清掃会社の協力を得て
知的障害がある子供たちの就労の場として
地域作業所「アシスト・ワーク神木」を
2000年に立上げたのがスタートです。
たまたまその運営委員長を私の知人が務めていて
その人の紹介で当社が管理している建物の清掃を
翌年よりお願いするようになりました。
当社の不動産管理物件が増えるのに比例して
依頼物件も増加、現在当社の関係で約40棟の
建物の清掃を委託し、当初8名でスタートした
メンバーは26名までになりました。
清掃以外にも、都内のクリ―ニング店の協力で
牛丼の「吉野家」から受けて洗濯したポロシャツを
1日約1,000枚たたむという作業などがあります。
仕事が増えるに従い、一ヶ月の一人当たりの賃金も
最初は1万円位だったのが今では3万円ほどになり
市内の同様の施設の中では高い方だそうです。
またこの4月には新たに4人が加わるので
送迎に使う車両を1台増やす必要が出てきました。
月々の職員の給与等は国からの補助で賄いますが
車の購入費用までは出ないため
関係先からの寄付に頼らざるを得ない状況です。
知的障害を持たれている方がこのような形で就労して
多少でも賃金を得て地域の中で自立した生活を送れるよう
援助を続けているこのNPOに、当社も何らかの形で
応援し、協力していきたいと思います。
(社長)
明日への神話
- 2009年2月19日 10:05
先日、井の頭線の渋谷駅の改札を出て
東横線に向かうおうとしたとき
右手一面の巨大壁画が目に飛び込んできました。
あの岡本太郎の「明日への神話」です。
この壁画は大阪万博の「太陽の塔」と同時期に
メキシコで制作が開始され、その後長らく
行方がわからなくなっていたのですが
2003年秋にメキシコシティ郊外で発見されました。
ここに描かれているのは原爆が炸裂する瞬間で
人は残酷な惨劇を乗り越え、その先にこそ
「明日への神話」が生まれるのだ、という
岡本太郎の強いメッセージが込められています。
川崎市と岡本太郎とのつながりは深く
母親で作家のかの子は今の高津区二子の大地主の娘で
太郎は1911年に二子で生を受けます。
1930年、両親とフランスに渡った太郎は
ここで出会ったピカソの絵画に衝撃を受け
以後抽象芸術に道を求めるようになります。
彼は晩年、所蔵している絵画などの主要作品を
川崎市に寄贈し、それを受けて市は1999年に
生田緑地内に「岡本太郎美術館」を建設しました。
最近、市役所第3庁舎1階の小さなガラスケースに
市の下水汚泥の焼却施設にあるという太郎の壁画
「水火清風」の原画がひっそりと収まっているのを
見つけました。
生前、自分の絵画等の売買を許さなかった太郎の作品が
今このように身近に触れることができるのは幸せです。
(社長)
企業派遣研修
- 2009年2月 4日 21:53
当社では、川崎市内の教頭先生の
管理職研修の一環としての「企業派遣研修」を
昨年8月に受け入れ、昨日その報告会が
川崎市総合教育センターでありました。
当社に来られたのは麻生区内の小学校の教頭先生で
1週間にわたり工事部、営業部、不動産部と一通りの
仕事を経験していただきました。
また営業マンとの同行訪問も行ない
当社ではPTA会長経験のあるお客様も多く
そのお宅では教育談義に花が咲き、営業推進を
こちらがサポートしていただく場面もありました。
今回派遣された5人の先生方の報告には
丁寧なお客様に対する言葉遣いを見習いたい
お客様の「精神的満足度」を何より優先していた、など
CS(顧客満足)に関することが多かったのを感じました。
急激に変化し続ける経済、社会環境に対し
各企業が必死でそれに対応しようと
工夫と改善を重ねている現状を
そのまま見ていただいた感想だと思います。
子供の教育と企業活動とは、一見かみ合わない
ように見えますが、この短い経験で得られたものが
日本の将来を担う子供たちの教育現場に
少しでも生かすことが出来るのなら幸いです。
この取り組みは2年前から始まりましたが
横浜市では既に教頭先生の研修の必修項目となっていて
昨年は100名以上の先生が企業に派遣されたとのこと。
当社も出来る限り協力していきたいと思います。
(社長)
- Search