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2009年10月 Archive
稲刈り
- 2009年10月31日 19:26
「収穫の秋」といえば、私たち日本人が想像するのは
やはりたわわに実った稲穂を刈ることではないでしょうか。
私が小さい頃には田んぼが普通の風景だった武蔵中原周辺も
最後の水田が姿を消してからもう20年くらい経ちました。
だから今の子供たちは、お米がどのようにできるのかを
田舎に行かなければ見たことがないはずです。
マンションへのコンシェルジュの派遣を主な仕事としている
株式会社アスクでは、入居者へのサービスの一つとして
「稲刈り体験ツアー」を実施しているというので
今日、山梨県・小淵沢で行われた催しに参加してきました。
久しぶりで見る田んぼは、八ヶ岳を背景に濃い黄金色の絨毯を
敷き詰めたような光景で、何とも言えないような美しさを感じました。
農家の方から鎌の使い方を教わり、左手で稲下の方を押さえて
右手で一気に鎌を回すように引くと初めてにしては見事に?
1束刈ることができました。
これを休まず3~4束続け8束くらいを一つにして藁で縛り
それを下の写真のように二つに分けてぶら下げて約1週間天日で干します。
今はほとんど機械で刈り取るのでこのような稲刈りはしないそうです。
機械と人力で効率がどのくらい違うか聞いて見ると
目の前の2反(600坪)の田んぼだと機械で刈ると40分で終わり
人間では8人でやって1日かかるそうです。
ただ、手間ヒマがかかっても、コシヒカリなどのブランド米は
このように手作業で刈り取りから天日干しまで行っているとのこと。
最後に「今日は刈るところまでは100点だったけど、後片付けが
できてないので60点」という農家の方のやや厳しい講評。
刈った束は全部吊るしたつもりだったのですが
まだ稲穂の付いているものがいくつも落ちていたのです。
これを拾うのが「落穂拾い」ということを教わり
最後にこれを集めて、稲刈りの初体験は無事終了しました。
(社長)
研究グループ交換 (2)
- 2009年10月20日 19:34
ブラジルからのGSEチームの担当が
今日のお昼で川崎から横浜のロータリークラブに
引き継がれました。
川崎地区が担当の1週間を無事終了することができ
ホッとするとともに、振り返って見ると多少の苦労はありますが
なかなか楽しいものでもありました。
苦労というのは、その期間の来日メンバー5人の
ホームステイ先を決めることと
企業等の訪問先、研修先を決めることです。
決ってしまえば当日の案内は会社の人がやってくれますので
多少視察を楽しむ余裕もできます。
先週はJFEスチールを訪問、溶鋼を圧延して
厚さ25cm長さ50mの厚板を作る過程を始めて見学しましたが
雷鳴のような凄まじい音響で、直径1.2mの数十本のローラーの上を
50mの厚鋼板が移動するさまに度肝を抜かれ
世界第5位の製鉄所のダイナミズムに感動しました。
川崎にはエレクトロニクスの大手企業がたくさんあり
今回も富士通、東芝ほかを訪問しましたが
一方、昨日訪れた東京電力の火力発電所(写真上)など
市内には世界に誇れるような重厚長大型の企業が存在していることを
今回メンバーに同行してあらためて認識させられました。
企業訪問の合間を縫って日本文化に触れる体験も好評で
生け花は、中原の小川慶一さんの教室に行って
一流の作品の創作を見るだけではなく、自らチャレンジもしてもらいました。
あるメンバーに、「来る前に考えていた日本と、実際来日してみて
何が一番違っていたか」と質問をしたところ、返ってきたのは
「日本人は冷たい印象があり、ホームステイも実は心配していたが
来てみるとみんなが素晴しく親切で、そこが想像と違った」という意外な答で
うれしい反面、国際交流をもっと広げていく必要性を実感しました。
(社長)
研究グループ交換 (1)
- 2009年10月14日 23:04
国際ロータリーには25歳から40歳までの職業人向けの
異なる国のあいだで文化と職業の体験を行なう交流プログラム
「研究グループ交換」Group Study Exchange=GSEがあります。
私たちのロータリーの地区では今回のGSEは
ブラジル・サンパウロのロータリークラブとの交流で
先週末にブラジルから5名のメンバーが来日しました。
メンバーは1ヶ月に渡って横浜・川崎地区のロータリー会員の
家庭にホームステイして、自分の職業に関係する職場や
日本の生活文化を体験する予定で
地区のGSE委員の私も、企業見学の手配や案内を担当しています。
団長のメータさんはインドの大学を出たあとイギリスで働き
1972年にブラジルに渡り、パルプ関係の会社の役員をしながら
ロータリークラブに所属し活動を続けています。
5人のうち日本語ができるメンバーは2人。大変流暢な
日本語を話すのがエリックさんで学生のとき天理大学に留学し
現在サンパウロで日本語を教えてます。
もう一人はノルベルトさんで、高校生のときにロータリーの交換留学で来日して
奈良で1年間を過ごし、今は情報技術会社のマネージャーです。
活動1日目の昨日は、午前中「習字」の体験でスタート。
筆の使い方を教わると皆さんのびのびと半紙に筆を下ろして
最後は写真のような立派なものを書き上げたのには私もビックリ。
もちろん本人たちも大満足でした。
午後にはまず「サントリー」の商品開発センターを見学し
毎年約100種類の新製品を発売するが残るのはその内2、3品
ということを聞いて日本の開発競争の激しさを実感しました。
そのあと「富士通」のテクノロジーホールを訪問し
50年近く前の電子計算機の演算や、手のひらの静脈承認で行なう
最新セキュリティシステムなど最先端の技術を体験しました。
ほぼ予定通り初日が終了、さい先のいいスタートが切れました。
(社長)
玉川学園
- 2009年10月 5日 13:29
昨日、住宅の工事の地鎮祭がありました。
小田急線、玉川学園駅の北口(写真下)を降りて
町田の方向に300mほど歩いてから
急な坂を右に上り切ったところが現場です。
敷地は2つの道路に挟まれた高台にあり(写真下)
隣地や向かいの家の敷地には樹齢100年?というような
桜の大木がいくつもあってちょうど来春
満開の時期に合わせたようにこの家は完成します。
この地域は昭和初期に玉川学園の開設と共に
開発された文教地区で、山を切り開き開発したため
急な坂や狭い道路が多いのです。
駅前も大きな建物があるわけではなく改札から階段を降りると
道路の向かいに小さな花壇のある植込みがあるのが印象的で(写真下)
勉学や居住環境としては申し分がありません。
学園の創立者の小原國芳氏は鹿児島の出身で
1926年に私立の成城高校の校長に就任しました。
地域一帯の土地をまず買い取って宅地を開発し
私鉄の駅を誘致し、住宅地を分譲した資金で学園を運営していく
という成城の手法を用いて玉川学園を開設したとのことです。
小原氏はしばらく2つの学校の運営に携わっていましたが
ある時期成城学園から身を引き、玉川学園に専念するようになりました。
先生方には特に安く宅地を販売して学校の周囲に住んでもらい
また創立者の夢に共感してここに転居した文化人も多く
現在でも住民に画家や音楽家が多いことで知られています。
玉川学園というとまず浮かぶのが自由な校風というイメージで
高校生でも興味があれば、大学の授業が受けられた
ということを玉川出身の友人から聞いたことがあります。
このようなすばらしい立地に素敵な住宅を完成させようと
建築スタッフは意気込んでいます。
(社長)
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