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三渓園

  • 2010年1月 7日 20:48

今年の正月休みはちょうど1週間。
大掃除、新年会という恒例行事、仕事始の準備などで
あっという間に過ぎてしまい、休んだ心地が
あまりしないというのが正直、私の正月休みの実感です。

そんな合間を縫って、横浜の三渓園に行ってきました。
県庁から山下公園に抜ける国道を南に下り
本牧から根岸に向かう途中を左に折れたところに
東京湾を望むように約53,000坪の広大な敷地が広がっています。


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                正  門


元々本牧というところは、古くからの景勝地で
終戦後はアメリカ軍に接収されて米軍住宅が作られ
それが返還され今の住宅街やショッピングセンターになりました。

ここの創始者は1868年生れの原三渓。
岐阜県出身で跡見女学校の教師をしていましたが
教え子と結婚して原家に入籍し、その後生糸貿易などで
実業家として成功を収めたのでした。

園内には10棟の重要文化財を含む17の古建築が
各地から移築され、自然の中に巧みに配置されています。
さらに絵や文学の素養のあった三渓は
横山大観ほかたくさんの芸術家を支援し育てたことでも有名です。


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小高い丘の上の園の象徴のような三重塔は室町時代の建築で
関東地方では最古の塔。また徳川家光が二条城に建てたものを移築した
「聴秋閣」は日本の代表的な楼閣建築の一つに数えられています。
大きな茅葺屋根が印象的な合掌造の民家は
ダム建設のため白川郷から三渓園に寄贈された建物です。


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                聴秋閣

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                合掌造


三渓は明治35年に「鶴翔閣」と呼ばれる自宅を建てました。
驚くのはそれからまもなく敷地を市民に無料で公開したことで
生活の様子が来園者の目にさらされた状態だったそうです。
これだけの私の物を公けにした三渓は、関東大震災のときも
私財を投げ打って横浜の復興に尽くしました。

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                鶴翔閣

記念館で三渓の本を買い求め
閉園間際でひと気のない大池の淵から三重塔を眺めながら
この明治の実業家の生涯をもっと知りたいという気持ちに駆られました。

(社長)

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