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2011年6月 Archive

松坂・四日市スタジオ

  • 2011年6月27日 13:08

当社が建築家との家づくりの全国ネットワークの
アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)に加盟して
ちょうど3年が経ちました。

建築家がデザインした住宅をテレビや雑誌などで
目にすることが多い割合には、実際にデザイナーズ住宅を
建てる人はまだ少なく、今後は増えていくことが予想されます。

このような施主と建築家と橋渡しをするのがASJですが
4年目を迎える当社の「京浜川崎スタジオ」はというとまだまだ
成績は不十分です。そこで優れたスタジオに学びたいと
三重県で2つのスタジオを運営して業績を伸ばしている
㈱上村工建を訪問しました。


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本社のある松阪市は三重県のほぼ中央に位置して
東は伊勢湾、西は奈良県と接する横に長い地形です。
名古屋から近鉄に乗り換え松阪駅を降りると、会社への道中は
空はあくまで広く、道路の両側は青々とした一面の水田です。

9年前にASJに加盟する前は公共工事も行っていましたが
加盟と同時に営業と工事の人材を採用したので、最初の2年は
苦戦したそうですが、今では売上の7割はASJ関連の工事に。


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営業マンも住宅営業は初めての人を採用し育てて行きました。
共通するのはみな "デザイナーが提案する図面を見るのが
楽しみ" とお客さん以上に自分たちがワクワクしていること。
好きなことをしているという姿勢がお客さんにも伝わるようです。

その後訪れた四日市スタジオは2009年に80坪の店舗に移転
しました。(写真下) スタッフ4人では広すぎる感もありますが
毎月10人くらいの新規客がこの店構えを見て来店するとのこと。


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建築家の住宅展は県内で年間7回開催し、無い月も見学会等
何らかのイベントを行い、見込み客にアプローチします。
営業担当4人工事担当4人で年間25棟、約7億の売上を上げるまでに
至ったのは、ASJに特化して背水の陣を敷いた経営判断と
デザイナーズ住宅の実現に対する社員の熱意だと感じました。


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本氷川坂下

  • 2011年6月13日 20:23

当社では昨年社名のロゴをリニューアルしました。
英文のJECTOを多少デザイン化したのです。
当社がCI(コーポレートアイデンティティ)を導入して現在の
シンボルマークを制定したのは1990年です。


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社名はまだ「川崎組」の時代で、委託したのは企業イメージ
専門の制作会社、アイコム(当時はアルマ)です。
主宰の桑原達美さんはNHKに在籍中、東京オリンピックの
競技別のシンボルマークを作成し、その後独立しました。

それから4年たった1994年、会社設立50周年を迎え
記念事業の一つとして社名変更することが決まり
社内から名前を募集しましたが、決定的なものが無く
再びアイコムに委託して生まれたのがJECTOだったのです。


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この時はエポック中原で新社名披露コンサートを行い
舞台の上から新社名を発表しました。
昨年はCI導入から早や20年。アイコムからマークの
リニューアル提案があり、できたのがこの新しい英文ロゴです。


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先週の金曜日、たまたま渋谷で打合せがあり、その足で赤坂の
アイコムの事務所を訪ねました。桑原さんとアートディレクターの
太田さんも加わり、いかにして地域に社名を浸透させるか
今後の当社の視覚的な広報戦略について意見を交わしました。


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ところでこの事務所の前の道には「本氷川坂」の標識があり
この建物の敷地はなんと「勝海舟邸跡」だったのです。
勝海舟の生まれは今の両国ですが、蘭学を学ぶために赤坂に転居
36歳からは本氷川坂下、つまりこの地にしばらく住んでいました。


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坂本龍馬が千葉重太郎と、勝海舟を切る覚悟で面会して
逆に海舟に世界情勢を説かれ、また人柄に惚れて門下生となった
あの有名な会談はこの地で行われたとのこと。
これを機に龍馬は大きく成長して、西郷隆盛とともに
明治維新成立の重要な存在になったことは言うまでもありません。

思わぬところで大きな歴史の節目になった場所に出会えるのが
東京の魅力。今度はゆっくり周辺を散策してみたいものです。

再 会

  • 2011年6月10日 14:57

大箸和夫さんは20年くらい前に当社を退職され
その後2,3度お会いしたきりで、季節の挨拶をはがきで
交わす程度のお付き合いが続いていました。

4月に届いたはがきには、昨年入院して体調を崩してから
ご夫妻でシニアマンションに入居した旨が記されていました。
私はお元気なうちにどうしても、もう一度お会いしたいと思い
税理士の布野先生と、先週大箸さんを浜松に訪ねました。


大箸さん1.jpg


当社では早い時期から、会社向けの寮などの賃貸建物を
建てていましたが、それらを木造からRC造や鉄骨造に建て替えて
賃貸収益が倍増した原動力は、大箸さんの力によるものと言って
過言ではありません。

明治生命を退職後、子会社の不動産会社、ダイヤ住宅の
社長を務めた大箸さんは、顧問をしていた布野先生の紹介で
昭和60年に当社に入社し不動産部長、役員に就任しました。

大箸さんはダイヤ住宅をリタイアしたあとは故郷の浜松に戻って
父上がかつて町長をされていたので、その方向も考えていたところ
布野先生の強い勧めがあったので当社に入社することになった
ということを今回の訪問で初めてお聞きしました。


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その頃の当社は、多摩区菅に保有する山林をいかに利用するかに
社運がかかっていて、大箸さんは入社後取り付け道路の買収に尽力し
周りの地主と広域な計画について協議していましたが、その矢先に
川崎市が保全緑地に指定して、市に買い上げられることになりました。

その資金で木造の賃貸を、RC造に建て替える同意を得るため
私は大箸さんの後について借主の企業を1社ずつ回りました。
「ある会社の好調な業績が新聞に出ていたのを見て、これは
いけるかもしれないと思った」交渉のきっかけについて
当時を思い出して、大箸さんはこのように語りました。


大箸さん4.jpg


浜名湖畔に建つRC造7階建てのマンションはヨーロッパの
リゾートを思わせる雰囲気で、大正8年生まれの大箸さんは
日経新聞を読むことを未だ欠かさず、この訪問に備えて?
パソコンですでに私のブログをチェックされ、"地域に必要な
企業であり続ける"という会社理念も方向性が明確だ、と称賛。

「あのとき故郷に戻らないで、布野先生の"馬には乗って
みるもの"という言葉に従って良かった。」
柔和な笑顔と経営を見通す確かなまなざしは全く変わる
ところがありませんでした。


大箸さん6.jpg

お別れの会

  • 2011年6月 1日 20:23

亀ヶ谷邦博さん、享年66歳。4月のあまりに若く
しかも突然の死は関係者に大きなショックを与えました。
そして今週の月曜日にお別れの会が開かれました。


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2007~08年度のロータリーの当地区のガバナー
そしてドラッグストアー「フィット・ケア・デポ」を
約60店舗にまで発展させた㈱カメガヤの会長。2008年に
オープンした下小田中店は当社の施工です。(写真下)


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4月23日にアメリカ・サウスカロライナ州に出発する
ロータリーの当地区の5人のGSEチームの壮行会が
前週11日に開催され、亀ヶ谷さんはご夫妻で出席されて
いつもの笑顔でチームメンバーを激励されました。(写真下左端)


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ちょうどその3日後、奈良県熊野の玉置山へ参拝された帰り道
滑落して帰らぬ人となったのです。人一倍慎重で学生時代は
山岳部にも所属していた人がどうして・・・

私は亀ヶ谷さんがガバナーを務めた年度に初めてGSE委員になり
ウエストバージニア州からのGSEチームの団長グレッグが
当家にホームステイしたことがきっかけで、その翌年には
私たち夫婦が渡米してグレッグの家に滞在し大変な歓待を受けました。

グレッグのロータリークラブのメンバーと会食した折
「クニは元気か?」と私に問いかける人がいました。彼は
トムというパストガバナーで、"クニ"とは亀ヶ谷さんのこと
同期のガバナー同士として世界会議で面識があったのです。


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       (左端がトム、右から2人目がグレッグ)

そして昨年10月はサウスカロライナ州からGSEチームが来日し
そのうち2人が亀ヶ谷さん宅にホームステイ。その一人のバーネルとは
亀ヶ谷ご夫妻、そして私もかなり親しくなっていたのでこの訃報を
伝えたところ、彼女から本当に悲嘆にくれたメールが返って来て
私はそれを読んで涙を禁じえませんでした。


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昨年は業界の大きなイベントの実行委員長を務め
12月には㈱カメガヤの社長を若い世代に譲って
広い視点から経営を見ながら、ロータリーやほかの
奉仕活動に従事できる体制を作ったように映りました。

「マネジメントとは自分がいつ死んでもいいようにしておくこと」
亀ヶ谷さんは生前このように言っていたそうで
自らの生涯をその言葉通りのものにして逝ってしまいました。
本当に尊敬できる人を失った心の痛みがなかなか癒えないでいます。

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