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2016年9月 Archive
アメリカ東部 その3
- 2016年9月12日 08:27
ピッツバーグの結婚式に出ることをウエストバージニア州の
ロータリアンの友人のグレッグに連絡したら、ジェファーソン
第3代大統領の邸宅「モンティチェロ」に一緒に行こうと誘われ
シャーロッツビルのホテルまで紹介してくれました。
ピッツバーグから約30分のフライトでシャーロッツビルに。
空港はとても小さく、タクシー乗り場に車がいません。
仕方なく待っている間、ある女性と話をしたら親切にも
ホテルに車を回すように電話をしてくれたのです。このような
異国での親切はとても有り難いもので、私も困っている
外国人を見たら声をかけようと思いました。
翌朝、そのホテルでグレッグ夫妻と4年ぶりに再会しました。
グレッグは2007年にロータリーのGSEプログラムの団長として
来日し、当家にホームステイしたことがきっかけで行き来するように
なり、彼の家にはすでに過去2回泊めてもらっているのです。
モンティチェロには立派なビジターセンターがあり、案内
ビデオを見たりして、館内ツアーが始まるまでの時間を
過ごしました。トーマス・ジェファーソンは政治家のほか
科学者や建築家などの顔も持ち、この邸宅は彼の設計で、
40年の歳月をかけて建設、改修、造園を行ったとのこと。
次に訪れたのはジェファーソンが1817年に設立したバージニア
州立大学です。やはり彼が設計し、広大な芝生を囲んで教室棟があり
それを学生の宿舎が囲む形になっています。敷地面積は4.7㎢
というから一辺が2㎞以上ある広さ。ジェファーソンは学生が
建築様式を学べるよう様々なものを建てたそうです。
日本では彼のことはあまり知られてはいませんが、彼が
手掛けた素晴らしい建物群を通して「合衆国建国の父」
の一人と言われていることを実感できました。
最後にグレッグ夫妻とシャーロッツビルのダウンタウンの
を散策し、「この次はあなたたちが日本に来る番」との約束?
を取り付け、アメリカ式にハグをして別れを惜しみました。
アメリカ東部 その2
- 2016年9月11日 14:50
ワシントンのあと、ピッツバーグへ。そこで家内の同級生と
合流しました。ピッツバーグの友人とは、もともと彼女が
学生時代にホームステイしていた先で,その縁で家内も親しく
訪ねていたケファーさんです。アメリカ不動産視察ツアーを当社で
実施した際にお宅を見学し、全員お昼までご馳走になりました。
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2014年11月訪問時(私の隣が式を挙げるクリスティーナさん)
宿泊はウィリアムペン・ホテルという今年が開業100年の
ホテルで、ロビーなどとてもクラシックな感じです。隣のビルも
重厚な感じで中に入ると大きな吹き抜けがあり、私たちを
見た社員が天窓の照明をわざわざ点けてくれました。
ホテルの向いが地下鉄の駅で、改札がなく気が付いたらホームに
立ってました。これはダウンタウンの中は料金が無料だからです。
地下鉄を降りてケーブルカーでマウント・ワシントンという丘の
上に上りました。ここはピッツバーグの最初の炭鉱となった山
だそうで、街を眼下に一望できる素晴らしい場所です。
翌日の午前中はポイントステートパークに。ダウンタウンは
2つの川に挟まれていてその突先にある公園で、対岸の
フットボールのスティーラーズのスタンドから歓声が聞こえました。
午後4時からはケファーさんの長女クリスティーナさんの
結婚式です。まずホテルからほど近い教会での挙式。
私はこの日、2年前にケファーさんから戴いた亡くなった
ご主人のネクタイを締めて式に臨みました。
披露宴は近くのハインツホール。2000人収容のコンサート
ホールで、エントランスロビーなどはヨーロッパの宮殿風。
5時半からここでカクテルパーティーが始まりました。
1時間後くらいからディナータイム。この途中で新郎の兄と
新婦の母ケファーさんのスピーチが入りますが、とても
上手で皆を笑わせ、また感動させていました。その後さらに
ダンスパーティーで終了したのは11時を回っていました。
初めて外国のウエディングに出て感じたのは、日本式はどうも
結婚式場のお仕着せ型で、もう少し人それぞれのやり方で
工夫して出来ないものかということです。
アメリカ東部 その1
- 2016年9月10日 11:42
ピッツバーグで知人の娘さんの結婚式に出ることになり
その前にワシントンに寄ることにしました。2年前にもここを
訪れジョージタウンのホテルに宿泊しましたが街は見ず終い。
ホワイトハウスや国会議事堂のある官庁街からポトマック川
を渡ったところがジョージタウンで、雰囲気のある小さな街です。
私たちはケネディ大統領がジャクリーンにプロポーズした
という「マーティンズ タバーン」で食事をしました。
地図を見ると近いのでホテルからダウンタウンまで歩き
「ダンバートン・オークス」という庭園へ。第二次大戦末期
ここで国連憲章の草案作成の会議が行われたそうです。
敷地は起伏があり小道を下って噴水のある所まで行きましたが
短時間ではとても全部は見切れません。邸宅と庭をつなぐ
温室は日本では見たことがない素敵な空間でした。
翌日はポトマック川を約1時間半船で下り、アメリカ
建国前に造られた町、アレクサンドリアを船上から眺め
目的地の初代大統領ワシントンの家「マウントバーノン」へ。
1700年代中頃に父親が建てた家を増築して、1799年に
亡くなるまで住んでいたそうです。奴隷の住居や
ワシントンの墓地、農園など見るところは多く、ここも
敷地全体は500エーカーあり(東京ドーム42個分)
半日では全部見ることはできません。
再び船でワシントンDCに戻り、2年前には行けなかった
第3代大統領のジェファーソン記念館へ。彼が住んでいた
「モンティチェロ」へは4日後に訪ねる予定です。
最後にこの記念館から徒歩で行けるホロコースト記念館を
見学しました。ナチスが第2次大戦中に600万人のユダヤ人
(何とヨーロッパのユダヤ人の2/3)を虐殺したことは
日常の中では忘れがちですが、人類史上類を見ない狂気の
時代・地域があったことを私たちは決して忘れてはいけないのです。
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