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文教堂書店

  • 2012年2月15日 09:33

「島崎文教堂」といえば溝の口を中心に
南武線沿線にいくつか店舗がある書店でしたが
気が付くと、郊外でも見受けられるようになり
名前が「文教堂書店」と少し変わっていました。

文教堂は明治31年(1898年)の創業で今年114年目。
創業者は今の嶋崎欽也相談役のおじいさんです。
私が参加している創新塾の次の課題は100年企業の探究で
昨日溝の口の文教堂本社に嶋崎相談役を訪ねました。


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昭和24年に相談役のお父さんが法人化し株式会社
嶋崎文教堂を設立。しかし昭和40年頃には一緒にやっていた
お兄さんも他の事業に乗り出し本屋は存亡の危機に瀕します。

昭和44年に支払い滞納のため本の出荷を止められそうになり
当時静岡銀行に勤務していた相談役が母親に依頼されて
一緒に交渉に行き、そこで「あなたがやるのなら引き続き出す」
と言われ仕方なく銀行を退職し、即社長に就任したそうです。

休みは元旦のみ、という猛奮闘ぶりで業績は上向いて
昭和48年には溝の口に2店舗目を出すまでになりました。
ある人から相模原に土地があり、有隣堂に話したら断られたが
お宅で出店しないか、と言われて昭和55年に出したのが
郊外型店舗の第1号でした。

本は多く売ったところから優先的に供給されるそうで
多店舗化で売上が伸びるとその分、売れ筋の本が入荷できて
更に売れるという好循環になり、その後急激に伸びて
平成6年にはジャスダック店頭上場を果たしました。


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店舗は200を超え、売上も500億円に達したのですが
リーマンショックで資金繰りが悪くなり、同窓で親しかった
大日本印刷の社長に依頼して新株を引き受けてもらったとのこと。

1兆円を超す売上げの大日本印刷からは役員が一人来ただけで
経営には口を出さず、今ご子息が社長に就任しています。
一時書店売上げで日本一になりましたが、今はホビーのシェアが
NO.1で今後はこの分野を伸ばしたい、との事でした。


文教堂3 (1).jpg


嶋崎さんは朴訥な人柄で、一代で家業を上場させたという感じは
受けないのですが、書店のチェーン展開では日本の先駆者で
相模原への出店の決断が今に至っている原点だと思いました。

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