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2009年3月 Archive

入居者交流会

  • 2009年3月31日 18:58

当社は賃貸用の建物を建築することと
住宅を探している人にそのお部屋を紹介することが
主要の業務になりつつあります。

今まではお部屋が満室になればそれで十分なのですが
さらに入居された方がより快適な暮しが送れるよう
出来ることはないだろうかと考えました。

例えば、お隣同士顔を合せたとき気持ち良く挨拶する
というような入居者のコミュニケーションが
良くなるために何か出来ることはないか・・・

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当社が自社物件として建築し、1月から入居が始まった
「タウントートⅢ」の入居者に呼びかけて
先週末、当社と入居者の交流会を開催しました。

目的は3つ、1つ目はオーナーとして
入居された皆さまへの感謝の意を表わすこと
2つ目は住んで建物に不具合な点があれば聞かせていただくこと
3つ目が入居者同士の親睦のきっかけを作ることです。

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初めに私がご挨拶し、当社のスタッフ紹介のあと
入居者の方にそれぞれ自己紹介をしていただきました。
懇親会が始まってから、建物についてのご意見を伺ったところ
いろいろな感想が次々と出てきました。

例えば「靴のサイズが29cmで横にしないと
下駄箱に入らない」すると別の方が「28cmだけど
少し横にしないと入らない・・・」
下駄箱は何cmまでのサイズを想定しているのか
関係者は誰もわかりませんでした。

アルコールのせいか参加者同士の会話も盛り上り
建物についてのご意見を聞くという目的も十分達成して
初めてのこの試みは成功裏に終了することが出来ました。

(社長)

つくし保育園

  • 2009年3月27日 20:15

当社で施工していた「つくし保育園」が完成し
昨日その内覧会がありました。

元々、川崎市営の保育園だったものを
今回民営化されて「川崎市社会福祉事業団」が
保育業務を受託して、建物も改築されて
この度開園の運びとなりました。

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阿部川崎市長が来賓として駆けつけ
「川崎は毎年人口が2万人増加している。
この施設は民間開放として32番目で
今後も市として子育て支援を強化していきたい」
という祝辞がありました。

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この民営化で園児も90人から120人に増え
公営では出来なかった0歳児保育や
緊急時の一時保育が可能になるとのこと。

昭和60年に設立されたこの事業団は
これまでに保育園以外にも特別養護老人ホームや
グループホーム、身体障害者などの施設を
運営している社会福祉法人です。

市長の言うとおり保育園の整備に市は力を入れていますが
それでも市内には希望しても入園できない待機児童が
まだ数百人いると言われています。

以前OECD加盟30カ国を対象とした女性就業率の調査があり
25~54才での日本の就業率は男子が93%に対して
女子は67%とトルコ、メキシコなどに続いて
下から7番目の低さだったそうです。

人口が既に減少に転じている日本の中で
女性の労働力はたいへん貴重で、就業率向上のためにも
今後さらなる保育施設の拡充が望まれます。

(社長)
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卒業式

  • 2009年3月20日 18:47

昨日、川崎市立大戸小学校の卒業式に
出席しました。この学校は
当社が数年前に校舎の改築をした学校であり
かつ私が卒業した母校でもあります。

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先ず卒業生は会場の体育館のステージから5人ずつ現れ
段を下りて各々の席に着きます。そして
たんぽぽ学級(特殊学級)の5名の卒業生から順に
141人が菊池校長から卒業証書を授与されました。

終了後、校長先生が挨拶され、壇上にある
「一期一会」と書かれたものを指して
「会う人に対しては最高のもてなしを、中学に入って
出会える人との縁を大切に」というはなむけの言葉を送りました。

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そのあと、全員がステージの前に整列し
6年間にあったこと、中学への希望と抱負などを
一人ずつ順番に次々と大きな声で短い文を繫いで
お別れのことばとして発表しました。

そして最後は「巣立ちの歌」を手話付きで大合唱。
 『花の色 雲の影
 懐かしい あの想い出
 過ぎし日の 窓に残して
 巣立ちゆく 今日の別れ
 いざさらば さらば先生
 いざさらば さらば友よ
 美しい 明日の日のため』

私はそれまで卒業式は「仰げば尊し」でなければ
と思っていましたが、たいへん素敵な曲で
6年間の万感の思いを胸に涙をこらえながら歌う
児童たちの心情が溢れ出て
それを見守る先生や保護者も
ハンカチを目に当てずにいられない場面です。


式が終了、たんぽぽ学級の卒業生から元気に退場していきます。
私は一瞬、親御さんはこれをどんな思いで見ているのだろうと考えたら
5人のうしろ姿を最後まで正視することが出来なくなりました。

(社長)

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早春の京都(2)

  • 2009年3月17日 13:59

私たちは昼間、いくつか古寺を散策したあと
宮川町の料理屋で夕食をとり、お茶屋へ。そこで
舞妓や芸妓さんと遊ぶという稀有な機会を得ました。

京都には「五花街」といわれるお茶屋がある花街が
五つあり、現在約100人の舞妓さんがいるそうです。
宮川町もそのなかのひとつです。

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昔、舞妓さんは中学のころからお茶屋に起居し
日本舞踊、端唄、三味線、清元などを習いながら
学校に通ったそうです。

たいてい二十歳で芸妓さんになるのですが
それまでの費用はお茶屋の「お母さん」がすべて負担。
無給で月二回のお休みのときお小遣いがもらえます。

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芸妓さんになると島田のかつらを着用しますが
それまでは地毛で日本髪を結い、それを結い直すのは
1週間に1度、寝る時は形が崩れないよう箱枕を使います。

日本髪は町を歩いても目立つので
自然と立ち居振る舞いも淑やかになり
この髪型を結い続けるのも修行のひとつだそうです。

また1年未満の舞妓さんは口紅を上唇にしません。
もし不調法をしてもお客さんはそれを見て
新米だということが分かり、大目に見てもらえます。

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今舞妓さんの応募は全国からあり、その時の芸妓さんは
横浜出身で、オーストラリアのホームステイ先で
日本の掛け軸を見せられ、全く読めなかったことがあり
それから日本文化を猛烈に勉強し、それが高じて、
この世界に飛び込んだという経歴を話してくれました。

数百年前からある日本の特上の接待文化の継承が
京都以外の多くの若者によってされている-
これが「伝統」ということなのでしょう。

(社長)

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早春の京都(1)

  • 2009年3月12日 08:23

日本の古都、京都。
ここを1年に何度も訪れるという人もいますが
私は修学旅行以来訪れたのは多分4回で
先週5回目の訪問を果たしました。

まず再認識したのは新幹線で新横浜から約2時間
名古屋の次の停車駅、という近さです。
ですから同行メンバーのひとりは
どうしても翌日用事があるということで
午後9時34分の最終で日帰りすることができました。

3月初めの京都は梅も盛りが過ぎ
寒さも緩んでおそらく1年の中では閑散期でしょうが
この時期だけ特別に公開される文化財もあり
見逃せません。

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私たちはまず金閣寺を訪れました。
元の建物は昭和25年に放火され焼失し
三島由紀夫がそれを題材に「金閣寺」を書いた
ことはあまりにも有名ですが
小雨に煙る池のほとりに建つ金色の楼閣は
やはり京を代表する風景です。

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金閣寺から東に約1kmに位置する大徳寺は
20か寺の塔頭(本山の境内周辺にある関連寺院)からなる
京都でも有数の規模の禅宗寺院です。

中世の雰囲気を色濃く残した参道を散策しながら
大仙院と高桐院の2つの塔頭を見学しました。

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今回、浄土宗総本山の知恩院を初めて訪れましたが
まず入り口の国宝の三門に圧倒されました。
幅50mの門は、木造としては世界最大級だそうです。

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そして男坂を上がって行くと
やはり国宝の4,000人が入れるという御影堂
17人で除夜の鐘をつくという鐘楼など
久しぶりに日本の壮麗な伝統建築に接して
改めて日本の文化を見直したい気持ちが湧いて来ました。

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(社長)

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