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2010年6月 Archive

ロンドンと近郊の旅 その2

  • 2010年6月29日 19:44

今回の旅のメインテーマは「邸宅と庭園」です。
そのためコッツウォルズに2泊する計画を立てました。

まずロンドンからオックスフォードまで列車で行き
クライスト・チャーチと日本の皇太子殿下が留学していた
マートン・カレッジを見学。


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そして駅前でレンタカーを借りて一路、宿泊地のバイブリーへ。
日産のノートを予約していたら用意された車はBMW!
異議を申し出ることなく、初めてのBMWの運転に臨みました。


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イギリスは日本と同じ左側通行なのですが、交差点は円形で
信号のない「ラウンドアバウト」といい、一時停止して入って
時計回りに進めばいいのですが、これが高速の入り口になると
円も大きく、道路も5本もあり右に回りながら瞬時に適切な道路を
見つけて左折するのは容易ではありません。

初めて高速に入ってから反対方向のロンドンに
向かっているのが分かり、何とかUターン。また暫く行くと
様子がおかしいのでまたUターン、という繰り返しで
やっと宿泊先の「バイブリー・コート」に到着しました。


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1633年に建てられたこのホテルの周囲は芝生と小川と
広大な牧草地に囲まれ、パブリックフットパスfootpathという
私有地であっても通行ができる林の中の散歩道をゆっくり歩きました。


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草原を下っていくと小さなパブがあったのでそこで夕食に。
この穏やかな静寂こそ、本当のカントリーサイドの魅力です!


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翌日は車で1時間のヒドコート・マナー・ガーデンへ。
ここはアメリカ人の資産家が造り上げた邸宅と庭園です。


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そのあと隣接しているキフツゲート・コート・ガーデンを見学。


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ここで会った日本人の年配のご夫婦はコッツウォルズで1週間
さらに湖水地方で1週間滞在し、その後スイスとドイツで2週間を
過ごすという羨ましい旅程を聞きました。

そのあとバイブリーに戻り、スワン・ホテルや水鳥の遊ぶ小川の
向こうの14世紀に建てられたアーリントン・ロウの周辺には
日本人の団体も来ていて静かな村の中では一番にぎやかでした。


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ロンドンと近郊の旅 その1

  • 2010年6月28日 14:55

18日から休暇を取り、10年ぶりにイギリスを訪れました。
目的の一つはロンドン在住の友人夫妻との再会です。
到着したときは日本の4月初旬くらいの気候で
朝晩はセーターがないと寒いくらいでした。

久しぶりのロンドンは「建物は古いほど価値がある」
という日本と正反対の考えが街全体を貫かれ
老朽化を理由にスクラップ&ビルドが進む東京に慣れた目には
少しくすんで古色蒼然とした印象を受けました。

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宿泊は地下鉄のピカデリー・サーカス駅を出てすぐのホテルです。
特に今回は電車と2階建てのバスをよく利用し、「オイスター」という
日本のスイカのようなカードを友人が用意してくれたので
移動がたいへんスムーズにできました。

バッキンガム宮殿も徒歩圏内で、グリーンパークという公園を
抜けると金色と黒の鉄柵が見えてきました。宮殿側から
馬の蹄の音が聞こえるのでかけ寄ると騎馬隊です。
宮殿の向かい側にある「ホース・ガーズ」という
騎馬衛兵本部の衛兵交替に運良くぶつかったのでした。


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そこからトラファルガー広場に回るともう観光客で一杯。
広場に面したナショナルギャラリーには私の特に好きな
レオナルド・ダ・ビンチの素描「聖母子と聖アンナ」があり、その他
ゴッホ、ドガなど日本に来たら数時間待ちの印象派の名画を
短い時間で堪能しました。


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着いた翌日は一日だけ観光バスに乗ってまず
イングランドで一番古い城館といわれるリーズ城へ。

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そのあと、カンタベリーの大聖堂を訪問。
何か小さく聞こえるので奥を見るとそれはオーケストラと合唱団が
その夜のコンサートのために練習しているところで、朗々と歌うソリストの声が
高い天井のホールに響き渡るのをしばらく聞き惚れていました。


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その日の最後はドーバーを訪問。ここからフランスまでは
最短で34kmあり、気温13度にもかかわらず水泳の練習をしている
人たちがいました。1994年にはドーバー海峡トンネルが完成して
今ではユーロスターに乗ると、ロンドンからパリまで3時間だそうです。

(社長)

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炭の家

  • 2010年6月14日 12:51

島根県。72万の人口は全国最少の鳥取県の次で
松江市は県庁所在地のある都市では一番人口が少ない19万人。
人口密度は、神奈川県の約37分の1という人口過疎の地域で
素晴らしい経営をしている建設会社があり訪問しました。

その会社は島根県出雲市の出雲土建株式会社で
現在は公共事業の土木の売上げの方が主ですが
ここ数年、独特の方法で民間の建築受注を伸ばしています。


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それは「炭の家」の賃貸マンションの提案営業です。
2002年に、解体した木材を原料にして、湿度を調節する木炭の工場を作り
袋に詰めた「炭八」の販売を開始したところからこの取り組みが始まりました。


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これをアトピーの子供がいる住宅の床下に敷き詰め
島根大学医学部との共同研究で7人中6人が直るという成果を得ました。
このことがNHKでも放映され「炭の家」の名前が地元に
徐々にクチコミで浸透して行ったのです。


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次にこれをマンションの天井裏に敷き詰めた部屋と
入れてない部屋の温度・湿度を何年も測定した(写真上)結果
カビやダニ等の発生が抑えられることが分かり、「炭の家」は
キャンセル待ちも出る高稼働率の賃貸マンションになりました。

これを提案するお客様はある一定以上の資産家に限定します。
なぜなら単なる建築の営業ではなく、地主の相続対策の一環として
この「炭の家」の賃貸事業を提案するからです。


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私たちは1年前にシロアリが発生して「炭八」を床下に敷いた(写真上)
お宅を訪れました。シロアリがいなくなったばかりでなく
「何となく夏ジメジメしていた感じが無くなった」と
そこの奥様は私たちに話してくれました。

製造工場は出雲の市街地を見下ろす高台にあります。
まず廃材をチップにリサイクルし、それを炭化炉(炭焼き釜)に
入れると1時間で120袋の「炭八」が出来上がりますが
とても建設会社の施設とは思えない規模のものです。


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工場を見学して、会社の方向を公共事業から民間建築に転換するため
約6億を投資してこの施設を建設した石飛社長の並々ならぬ熱意と
「趣味は経営」と言い切り四六時中、仕事ののアイデアを考えている姿勢に触れ
建設業の差別化とはこういうことなのだと得心しました。

(社長)

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カーティス教授

  • 2010年6月 3日 18:06

今朝、小泉進次郎議員の2回目のモーニングセミナーが
グランドプリンスホテル赤坂で行われました。丹下健三が設計した
この40階建てのホテルも来年3月で営業を終了、解体されるそうです。


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セミナーの講師はアメリカ・コロンビア大学政治学教授であり
早稲田大学でも教鞭を取っているジェラルド・カーティス教授です。
今日の毎日新聞には教授の対談が大きく載っていました。


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教授は毎年ニューヨークで講演を行っていますが
ここ5年はそのたびに日本の首相が変っていて、昨年秋の講演では
鳩山政権が誕生したので「来年来るとき首相は変っていないだろう」
と言ってしまった手前、今年はアメリカに行きにくい、とのこと。

教授は「政治主導」とは政治家が官僚をうまく動かすことなのに
民主党の「官僚を排除する」という考えの間違いを力説し
それによって今、官僚のモラルが低下しているだけではなく
東大の経済学部の優秀なトップ10の学生が外資系金融機関に流れて
官僚を目指す人間がいないことを東大の教官が嘆いていた話を
紹介しました。

また沖縄・普天間の件は、国内で合意していないことを
アメリカに約束してしまったことも問題なのですが
それ以上にそれ自体が日米安保の問題の象徴になってしまい
21世紀の日米の同盟のあり方や、アジア地域の安定のために
日本のすべきことの論議が飛んでしまったことの方が問題とのこと。


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また日本には二世議員が多く見られるが、それには2つあり
1つは別に継ぎたくなかったのに親から言われて継いだケース。
もう1つは父親の政治の世界を見聞きした上で自ら志すケース。

数年前に、アメリカで2年英語の勉強をしたいと訪ねてきた青年が
今の進次郎さんで「1年は必死で英語に取組んで、もう1年は
大学院でマスターを取ったほうがいい」とアドバイスをしたが
父親・純一郎氏から頼まれたことは一度も無かったそうです。


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最後に進次郎議員がスピーチ、「あのアメリカの2年間がなければ
今の自分は無かった」と次のようなエピソードを紹介しました。

大学院の試験がやっと終り友達に「飲みに行こう!」と誘ったら
彼は何と「これから図書館に行くんだ!」
「エー?今日ぐらいいいじゃないか」と言うと
「でも学生の仕事は勉強することだから・・・」これを聞いて
自分がどんなに頑張ったと思ってもそれ以上の人がいること。
自分が楽をしたいと思ったとき、楽をせず頑張っている人がいることを
強く思い、それを忘れないようにしている。

アメリカから帰ったとき父親から「将来どう考えているんだ?」
と聞かれたので「政治家になりたい」と言うと
「そうか、それなら勉強しないとダメだぞ」のワンフレーズだけ。

昨年の選挙中、罵声を浴びせられ、ペットボトルを投げられても
何とか踏ん張れたのは、自分が望んだ道だったから、と回想しました。

最後に29歳の最年少の自分が国会議員である意義について
「今、自分たちの世代には少子高齢化、人口減少、国の借金増大
などの重い荷物がのしかかっているが、これを何とか解決して
その次世代に感謝されるような世代になりたい」という発言を聞いて
この閉塞した今の日本の政治状況を打破できるのは
このような志を持った若者しかいない、という感を強くしました。

(社長)

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