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市川社長のブログ

不動産部・武蔵小杉店

  • 2013年9月 6日 14:35

発展著しい武蔵小杉に当社の不動産部が、9月1日
オープンしました。場所は中原区役所に隣接する
「小杉3丁目中央地区」の再開発ビルの1階です。


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10年前、再開発の準備組合がこの地に発足しました。
その最大の地権者は当社のお客様でもある川崎住宅さんで
当時は3棟の賃貸マンションを所有し、当社で24時間
緊急対応を含む管理をさせていただいていました。

長期間協議の末、平成21年に清水建設、野村不動産
相鉄不動産を特定業務代行者とするプロジェクトがまとまり
再開発組合設立が正式認可され、平成23年に工事着手し
この度賃貸・商業棟が竣工しました。(分譲棟は27年1月の完成)


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川崎住宅さんが取得した賃貸棟は13階建て総戸数139戸
その内再入居者を除いた新規募集は109戸で数社が募集を
依頼され、現在決まっている92戸中、約6割の56戸を
当社が客付けを行っています。

昨日はこの「KJレジデンス武蔵小杉」の竣工披露式が
行なわれました。エントランスホールは分譲マンション並みで
コンシェルジュデスクが置かれます。10階にモデルルームが
オープン予定で、駅前再開発地区の希少価値の賃貸建物です。


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当社は地権者の一人が所有する店舗を借りて念願だった
不動産部の武蔵小杉店が実現しました。小杉地域は
当社のある武蔵中原から1駅の距離ですが、いままで
工事や賃貸管理の実績はとても少ないのです。

また都心からJRと私鉄が直結しているのでお部屋探しの
お客さんが多く、賃料もこの周辺は都内並みなのです。
今まで小杉周辺を捜している人に賃料の安い武蔵中原の
物件を紹介して決まるのは、よくあるケースでした。

これから不動産の仲介や管理、メンテナンス等を通して
この地域のオーナーにアピールして1部屋ずつ、1棟ずつ
お手伝いができる物件を増やしていければと思います。


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小笠原伯爵邸

  • 2013年8月19日 13:07

小笠原伯爵邸。戦前の邸宅を利用した
オープンして11年のスペイン料理のレストラン。
今まで行く機会がなかったのですが、この夏休みを
利用して知人を誘って行ってきました。

地下鉄大江戸線の若松河田駅のエスカレーターを
上がって表通りに背を向けて路地の奥を見ると
青々とした緑が長い塀の内側に見えます。


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これがレストランの敷地なら相当あるなと思いながら
近づくと門から玄関が見えてきました。敷地面積は
調べるとやはり3,000㎡(約900坪)あり、竣工当時は
20,000坪もあったそうです。

待合いに通されたところは元々のダイニングルームで
大テーブルは伯爵家で実際に使用していたもの。
それに続く応接間、その奥はシガールームでした。
この部屋は建物から丸く突き出る形になっていて
内外装はイスラム様式のデザインが施されています。


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          ダイニングルーム

小笠原伯爵邸2.jpg
          シ ガ ー ル ー ム


現在は結婚式場としても使われており、中庭に出て
屋上に上がり、そこから2階の親族控室に入りました。
この建物は私が想像していたより大きく立派でした。

ここは旧小倉藩藩主の小笠原長幹伯爵の邸宅として
昭和2年に鉄筋コンクリート造で建てられたものが
戦後米軍に接収され、返還後は昭和50年まで東京都の
中央児童相談所として利用されたのですが、その後
放置され一時は取り壊しも検討されたそうです。


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小笠原伯爵邸5 .jpg
            屋 上 の テ ラ ス

小笠原伯爵邸6.jpg

そして2000年に都が民間に10年無償で貸し出して、借主が
修繕工事を行い都民が広く利用できる施設を運営するという
条件で公募をしてある会社に決定、2年の修復期間を経て
2002年に「レストラン小笠原伯爵邸」として復活したのです。

小笠原伯爵邸7  (1).jpg

小笠原伯爵邸8.jpg

ステンドグラスや陶磁器を使った外壁はわずかに残されていた
写真を参考に一つ一つのパーツを完全修復。民間のノウハウと
資金を利用してこの歴史的な建物を再生させたのは民活のお手本
であり、このように民間の力をもっと利用していれば既に姿を消した
名建築もまだその姿を留めていたのでしょうか?

3つのイベント

  • 2013年8月 4日 18:41

昨日はお客様向け、地域向けのイベントが
たまたま3つ重なりました。

まず金曜日から開催している「建築家展」です。
デザイン性の強い設計を求めるお客様と、優れた
建築家を結び付ける催しで、今回初めて
溝ノ口のKSPが会場になりました。


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     建築家によるセミナー風景

理由はいつもの元住吉の国際交流センターが
なかなか取れないことと、広告手段として
新聞折込チラシのほかに、南武線の車内広告の
効果があることが分かってきたからです。

土曜日、午前9時からは恒例の「夏休み工作
教室」で第14回目の開催になります。昨年は
参加者約30組と少なかったので、今回は会場
(当社倉庫)の周辺にチラシのポスティングなどを
した結果、60組を超える申し込みがありました。


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     人気のモザイクレリーフ

今年はメニューを工夫して増やしてみましたが
一番人気はやはりタイルで作る「モザイクレリーフ」
でした。ある小学6年生から「3年生から参加して
いて今年が最後になります」とスタッフがお礼を
言われました。親子の共同作業が小学生時代の
いい思い出になってくれたら私たちも嬉しいことです。

午後2時からは、エポック中原でのお客様セミナーが
開催されました。講師は昨年末のセミナーでも
お願いして好評を博した税理士の飯塚美幸先生です。

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テーマは「平成25年度の税制改正のポイント」で相続税は
増税され、逆に自宅部分の小規模宅地の評価減が
240㎡から330㎡まで緩和されるのですが、細かな条件が
あり、特にデリケートな部分は声を潜めて話してくれて
私自身もたいへん勉強になりました。

賃貸住宅フェア2013

  • 2013年7月31日 19:53

昨日、今日は年1度の東京ビッグサイトの賃貸住宅
フェアです。ある中原の地主さんと入口付近ですれ違い
「何人も知っている人に会ったよ」と言っていました。

ここに来る人は不動産・建築業者と賃貸オーナーですが
今日あたりは明らかにオーナー層が多い気がしました。


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会場内に何か所か設けられているセミナー会場は
どこも満席、立ち見が出ている状況でした。
特に今回は建築家の安藤忠雄さんの講演があって
これは予約制ですぐ一杯になり聴講できませんでした。

私が聴いたのは不動産コンサル会社の社長の話で
"部屋を借りる時代からサービスを求める時代"
"「貸家業」は「副業」ではなく「サービス業」"
という言葉は印象的でした。


2013賃貸住宅フェア1.jpg

今回は明治大学理工学部の学生の取組み「萌大空間
スタイリング」のブース出展を見ることです。
これは賃貸の空き物件の早期の申込みを取る一手段
として、学生が作った段ボールの実物大の家具を部屋に
設置するというものです。

当社の不動産部でも一部の空き部屋に家具を入れて
モデル化を図っていますが、決まり方が早いのです。
やはり入居者もガランとした部屋よりは、具体的な
生活をイメージしやすく、申込みに繋がるようです。


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全ての空き部屋に家具を置けばよいのですが
コストや運搬の問題があり実現できなかったところ
昨年数社の不動産会社が集まり、明治大学建築学科の
園田研究室とのコラボレーションが実現したのです。

8月には一通りの段ボール家具が当社に納入される予定で
これをうまく活用して、空室の期間をできるだけ縮めて
オーナーの収入増につなげていきたく思います。

称名寺

  • 2013年7月28日 15:14

南武線の鹿島田駅を降りて商店街を左に進み
府中街道の手前を右に折れてしばらくすると
称名寺の立派な山門が見えてきます。
浄土真宗大谷派のこの寺院の創建は鎌倉時代で
本多和さんは第30代のご住職に当ります。


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称名寺1.jpg
             本   堂

当社と称名寺との関係は昭和50年に施工した
庫裡の改築工事から始まり、それから今まで数度に
渡って増築や修繕工事をさせていただいています。
この度も、庫裡の2階の部屋の間取りの変更と
外部の下見板の張り替え工事を行いました。

称名寺は赤穂浪士と縁の深いお寺としても
知られており、所蔵している討ち入り後の四十七士の
姿を描いた「紙本着色四十七士像」は昭和60年に
川崎市の重要歴史記念物に指定されています。


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             庫   裡

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称名寺の門前に住んでいた軽部五兵衛という百姓は
鉄砲洲にあった江戸赤穂藩の上屋敷に出かけて
屋敷内から出た下肥をもらっていました。

「松の廊下」の刃傷事件で江戸屋敷が明け渡しに
なったあと、赤穂浪士の1人の富森助右衛門という人が
その縁で軽部五兵衛の敷地内に寓居を建てたそうです。

京都を発った大石内蔵助一行は討ち入りの1ヶ月半前に
この家に10日ほど滞在して討ち入りの十カ条を起草し
各地の同士に発信したあと、江戸に向いました。


称名寺4.jpg

称名寺には前述の「四十七士像」のほか内蔵助の書や
お面などが残されており、討ち入りが行われた12月14日には
毎年これら遺品が一般公開されています。

多摩川を渡ればすぐ東京というのが川崎の立地ですが
300年前に内蔵助たちが、平間村を討ち入りの最後の準備を
する場所として選んだのはその立地によるところと推測され
これは隠れた郷土史の1ページだと思います。

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