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市川社長のブログ

アメリカ東部 その2

  • 2016年9月11日 14:50

ワシントンのあと、ピッツバーグへ。そこで家内の同級生と
合流しました。ピッツバーグの友人とは、もともと彼女が
学生時代にホームステイしていた先で,その縁で家内も親しく
訪ねていたケファーさんです。アメリカ不動産視察ツアーを当社で
実施した際にお宅を見学し、全員お昼までご馳走になりました。


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 2014年11月訪問時(私の隣が式を挙げるクリスティーナさん)


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宿泊はウィリアムペン・ホテルという今年が開業100年の
ホテルで、ロビーなどとてもクラシックな感じです。隣のビルも
重厚な感じで中に入ると大きな吹き抜けがあり、私たちを
見た社員が天窓の照明をわざわざ点けてくれました。


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ホテルの向いが地下鉄の駅で、改札がなく気が付いたらホームに
立ってました。これはダウンタウンの中は料金が無料だからです。
地下鉄を降りてケーブルカーでマウント・ワシントンという丘の
上に上りました。ここはピッツバーグの最初の炭鉱となった山
だそうで、街を眼下に一望できる素晴らしい場所です。

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翌日の午前中はポイントステートパークに。ダウンタウンは
2つの川に挟まれていてその突先にある公園で、対岸の
フットボールのスティーラーズのスタンドから歓声が聞こえました。

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午後4時からはケファーさんの長女クリスティーナさんの
結婚式です。まずホテルからほど近い教会での挙式。
私はこの日、2年前にケファーさんから戴いた亡くなった
ご主人のネクタイを締めて式に臨みました。

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        ケファーさんと

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        新郎新婦と

披露宴は近くのハインツホール。2000人収容のコンサート
ホールで、エントランスロビーなどはヨーロッパの宮殿風。
5時半からここでカクテルパーティーが始まりました。


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1時間後くらいからディナータイム。この途中で新郎の兄と
新婦の母ケファーさんのスピーチが入りますが、とても
上手で皆を笑わせ、また感動させていました。その後さらに
ダンスパーティーで終了したのは11時を回っていました。

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初めて外国のウエディングに出て感じたのは、日本式はどうも
結婚式場のお仕着せ型で、もう少し人それぞれのやり方で
工夫して出来ないものかということです。

アメリカ東部 その1

  • 2016年9月10日 11:42

ピッツバーグで知人の娘さんの結婚式に出ることになり
その前にワシントンに寄ることにしました。2年前にもここを
訪れジョージタウンのホテルに宿泊しましたが街は見ず終い。

ホワイトハウスや国会議事堂のある官庁街からポトマック川
を渡ったところがジョージタウンで、雰囲気のある小さな街です。
私たちはケネディ大統領がジャクリーンにプロポーズした
という「マーティンズ タバーン」で食事をしました。

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        マーティンズ タバーン


地図を見ると近いのでホテルからダウンタウンまで歩き
「ダンバートン・オークス」という庭園へ。第二次大戦末期
ここで国連憲章の草案作成の会議が行われたそうです。

敷地は起伏があり小道を下って噴水のある所まで行きましたが
短時間ではとても全部は見切れません。邸宅と庭をつなぐ
温室は日本では見たことがない素敵な空間でした。


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翌日はポトマック川を約1時間半船で下り、アメリカ
建国前に造られた町、アレクサンドリアを船上から眺め
目的地の初代大統領ワシントンの家「マウントバーノン」へ。

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           アレクサンドリア

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           マウントバーノン

1700年代中頃に父親が建てた家を増築して、1799年に
亡くなるまで住んでいたそうです。奴隷の住居や
ワシントンの墓地、農園など見るところは多く、ここも
敷地全体は500エーカーあり(東京ドーム42個分)
半日では全部見ることはできません。

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       ワシントンの墓地


再び船でワシントンDCに戻り、2年前には行けなかった
第3代大統領のジェファーソン記念館へ。彼が住んでいた
「モンティチェロ」へは4日後に訪ねる予定です。

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最後にこの記念館から徒歩で行けるホロコースト記念館を
見学しました。ナチスが第2次大戦中に600万人のユダヤ人
(何とヨーロッパのユダヤ人の2/3)を虐殺したことは
日常の中では忘れがちですが、人類史上類を見ない狂気の
時代・地域があったことを私たちは決して忘れてはいけないのです。

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     杉原 千畝のプレート

「ピアライフ」に学ぶ

  • 2016年8月27日 16:05

7月にERAの全国大会が行われたときの分科会の
講師の一人が滋賀県の㈱ピアライフの永井社長でした。
魚屋の長男に生まれた永井さんは家業が嫌で?家を
飛び出し、入社した不動産会社が破綻しかけ社員が
2人に減り、そこから経営を引き継ぎました。

そして26年後、いまや大津市を中心として不動産の
売買仲介、賃貸仲介、建築リフォームを3本柱とする
社員30名の地域一番店に成長しました。

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京都駅からJR湖西線に乗り換えて、右手に琵琶湖の
遠景を眺めながら約20分、そこからタクシーという立地です。
8年前までカーディーラーだった本社はいま改装中でした。


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         ホームページより

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私たちはカフェスタイルの南国風のスペースに通され
まず約40種類の飲み物のオーダーを聞かれました。
不動産購入や引っ越しは人生の一大事。その打合せに
ふさわしいお客様がリラックスできる場所にしたそうです。


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      広々とした展示スペース(改装中)


もと修理工場だったところは、建築の材料や什器の展示
スペースとして利用しています。(こちらも現在改装中)
私はこれを見て当社も施工する賃貸建物の材料をお客様に
カタログから選んでもらうのではなく、現物を展示して
その中からチョイスしてもらう場所作らなければいけない、
と痛切に感じました。

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また70人の会議ができる場所はコミュニティホールとして
無料で地域の人に貸出し、自治会のイベント、子供の英会話や
ヨガなど週の半分くらいが外部の利用で埋まっていました。

さらに社員は能力向上、接客サービス向上、IT活用など
10を超える社内プロジェクトに参加して業務改善や資質向上
を図り、定期的に成果を発表しているのです。

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社長の口癖は「私はせいぜいあと10年だが、皆はあと何10年?
その将来を自分たちで良いものにして行こうよ!」というもの。
私は以前掲げた「社員自ら考え、自ら行動しよう」を思い出し、これが
看板倒れにならないよう、早急に仕組みを作らねばと強く思いました。

旧朝倉家住宅

  • 2016年8月18日 15:11

代官山駅からすぐのところに大正時代の日本家屋が
残されていることを知り、夏休みを利用して見学してきました。

場所は有名なヒルサイドテラスのすぐ裏で、入館料が
100円とはビックリ!しかも60歳以上のシニアは無料!
所有者が文部科学省だからといってもちょっと安すぎる?

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この建物は東京府議会議長などを歴任した朝倉虎治郎が
大正8年に建てたものですが、財閥や華族の屋敷でもないのに
関東大震災や戦災も逃れて残っている珍しいものです。

玄関を入るとすぐ右の応接間が唯一の洋間で、あとはすべて
畳敷きの和室。廊下のガラス戸のレールが木製なのは珍しく
また開け放った障子から飛び込んでくる木々の緑を見たとき
和風建築の良さ、自然との一体感をとても感じました。


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中央にある広いスペースは一時経済企画庁が使用していた時に
3つの和室を会議室に改造したもので、文化財に指定されたため
今は元の形に改修することができないそうです。

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元々朝倉家は江戸・享保年間からここに定住し、明治の初め
より精米業を営むようになりました。ヒルサイドテラスが面する
旧山手通りは、もともと昭和初期に朝倉家が作った私道だそうで
しかも当時と今と道幅が変わってないとは驚きで、世の中には
公共心に優れている「無私」の地主さんがいるものです。


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戦後の困難期に朝倉家はこの屋敷を手放し、農林省などに
譲渡されたあと競売にかけられる寸前に、建築家などから保存の
要望書が出され、建物と庭園が建築時の状況をほぼ保っていた
ことも評価されて重要文化財の指定を受けられたので、今の姿が
あることが分かりました。


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         旧 山 手 通 り


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        ヒルサイドテラス A,B棟


その後朝倉家は、残った土地を生かして不動産経営を検討し
建築家の槇文彦との出会いもあり、1969年にヒルサイドテラスの
A、B棟が完成したのでした。都内でも類を見ないハイセンスの
代官山の街並みが、地主一族により形づくられたことにとても
感銘を受けました。街づくりが「お上の専売特許」でない事を示す
稀有な例です。


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        ヒルサイドテラス C棟

熊澤酒造

  • 2016年8月 5日 18:36

ある会社主催の社長会の暑気払いが県内の酒造りの
蔵元で行われるという案内があり、当社のお客さんや
私の知合いも来るということを聞き、参加することにしました。

参加者は茅ヶ崎駅に集合して、そこからタクシーに
分乗し、10分くらいで会場の「熊澤酒造」に到着。
まず通されたのが大正時代の酒蔵を改造した場所でした。


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創業は明治5年。酒蔵など元々あった建物も一部
ありますが、それ以外は古い民家を移築したものを
レストラン、カフェなどに利用していました。

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     醸造施設を案内する熊澤社長

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建物だけでなく、内装、家具、絵画などのインテリア
またテラス席などのエクステリアがとても良く調和
しているので、ここの社長にデザイナーが入っているのか
聞くと自分と友人で作ったというので驚きました。


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現社長の熊澤さんは6代目。彼の父親は酒蔵を継がず
スイミングスクールやテニススクールを始めたそうです。
熊澤さんがアメリカ留学から帰国したとき、祖父が
事業を断念しようとしていたところで、懇願されて経験の
全くないまま24歳で後を継ぐことになりました。


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就任後まず安いお酒から高級な吟醸酒に特化しようと計画。
たまたま地ビールブームが起こり、「湘南ビール」の生産を始めたら
よく売れてブームは去っても新規事業のための資金がプール
できたそうです。

当時酒屋の下請けで作っていた「湘南ほまれ」をやめて
5年の研究の末、「天青」という新ブランド酒を誕生させて
これが成功。レストランやカフェを併設したのは、人々にまず
この場所に来てもらうことが目的で、営業部は廃止したとのこと。

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   ギャラリー「Okeba」の入口

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その後ビールの酵母でのパン作りや、ハム・ソーセージまで
手を広げ、5年前には地域のアーティストの作品を展示販売する
ギャラリーを設置。伝統を受け継ぎながら、それを時代に合ったものに
見事に転換した素晴らしい例を体験できたひと時でした。

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