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市川社長のブログ

ドイツ大使館

  • 2016年2月 5日 20:35

昨日、私たちのロータリークラブは広尾のドイツ大使館で
移動例会を行いました。事務所棟は2005年に耐震性向上
のため改築されたもので、ホールの大きな吹き抜けが特徴です。

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ヴェアテルン駐日大使のお話のテーマは「難民問題」。
「ドイツへの難民は昨年100万人を超えた。これはシリアの
内戦が激化したこと、北アフリカや南スーダンの状況が
悪化したこと、ドイツは政治・社会的に安定しているので
難民が見て理想的な場所なこと」大使はこう述べました。

「どこまで受け入れ可能か、子供の教育は十分できるのか
国内には色々論議はあるが私は『できる』と確信している。」
その理由を語る大使の言葉に私はとても納得しました。


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「私たちの数百年の家族の歴史の中で先祖の誰かが追放や
迫害を受けたような経験を持っている。戦後には旧ドイツ領
の難民、ベルリンの壁崩壊後は東欧諸国からの難民。つまり
助けられたり助けたり幾度も先祖が経験しているのだ。そして
その結果としていまドイツは豊かな国になっている。」

150年前まで鎖国を行っていた日本。海に囲まれて他民族からの
攻撃に晒されず大移動もなく過ごしていた私達。第二次大戦の
同じ敗戦国同士ですが、そのルーツの違いを知らされました。

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治安への影響についての質問に対し大使の答えは「ドイツ国民の
犯罪率と難民のそれとは変わらない」。難民の子供に対するいじめの
問いに対しては「従来から移民は社会の構成員なので、それに
よるものは無い」と自信に満ちた答えに私は感銘を受けました。

例会の後は大使館の庭園ツアー。4000坪を超える敷地は元は
小泉策太郎という政治家の邸宅で、1957年には大使公邸が、
事務所棟は1960年に完成し、公邸は今でも使用されています。

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庭園は飯田十基という造園家が改修にあたりましたが
以前からあったあずまや、鐘楼はそのまま残されていて
全体として和風な趣きを感じさせます。

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当クラブ推薦のロータリー青少年交換で1年間ドイツに
留学する高校生も大使に拝謁。親しみはあっても遠い国
だったドイツがとても身近に感じられた一日でした。

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     大使と岩木さん(青少年交換学生)

江戸城天守閣

  • 2016年1月18日 14:37

ロータリークラブの例会に元県知事の松沢成文氏
(現参議院議員)をお招きしてお話を聞きしました。
当クラブには15年位前に一度来ていただいて以来です。

また私が地区のGSE委員長だったとき、アメリカ・サウス
カロライナ州の来日チーム6名を連れて知事室を訪ねたことがあり
通訳が要らないほどの彼の英語力に私はとても驚きました。

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今回案内チラシにも使ったその時の知事を囲む写真のうち
右側の3人はグリーンビル出身のメンバーで、この人口約6万の
小都市は、松沢さんとは師弟関係の福田川崎市長が卒業した
大学の所在地なのです!とても不思議な縁を感じました。

この日のテーマは「甦れ!江戸城天守閣」。実は松沢さんが
江戸城に熱心なのはどうしてなのか、と思っていたら少し前のNHK
ニュースで、天守閣の復元を推進している大学教授などの
話が報道され、彼だけではないことが分かりました。

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松沢さんの主張は日本人は歴史を学ばなさすぎる、ということ。
県知事時代には全国で初めて日本史を県立高校の必修科目にしました。
その後東京都も追随、やがて全国の高校で必修科目に。

そして知事時代に知り合った森ビル社長の「経済だけで文化の
ない都市は人を引きつけることはできない」という言葉に出会い
関東大震災や空襲で古いものが残ってない東京と、第2次大戦後
古い写真を持ち出して以前の街並みを復元したヨーロッパの国々
との差を感じたのです。

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こう考えると東京の最大のシンボルになり得るのが江戸城。
その天守閣は江戸初期の火災で焼失したままです。これをこれから
観光立国を目指す日本、特に東京の目玉しようということです。

私が感心したのは約400億円の工事費は民間からの寄付で賄う
と彼が言った事です。人に頼るのではなく住民からの募金で
建設し、日本古来の伝統的建築技術も承継できる。これこそ
訪れる多くの外国人に対して私たちが誇れるものになるでしょう。

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      松沢成文氏の著書

川奈ホテル

  • 2016年1月 5日 21:32

伊豆半島を伊東から少し下ると川奈ホテルがあります。
昨年末に初めて泊りましたが、かつてここのゴルフコースは
宿泊者でないとプレーできない時代がありました。

創設者の大倉喜七郎はケンブリッジ大学留学した時に見た
イギリスの館をとても気に入って、外装は南ヨーロッパ風で
内部は英国の邸宅風なホテルを伊豆の地に建てて、
昭和11年にこれをオープンさせました。

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父親の喜八郎は大倉財閥の創始者で、帝国ホテルや
大成建設などの設立に関わった人物ですが、驚いたのは
昭和3年に亡くなった時の相続財産は、当時の国家予算の
8分の1だったそうです。(現在なら約10兆円!)

喜七郎はまた東京に外国人向けの宿泊施設が不足して
いたことから、1962年にはホテルオークラを開業しました。
昨年改築のために解体されましたが、日本の工芸の贅を
尽くしたようなその内装デザインの原点は川奈ホテルに
あるような気がしました。


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玄関を入ると正面の大きなロビーラウンジの高い天井は
2階の回廊と繋がり、以前はこの一部がオーケストラボックス
となり、ラウンジが弦楽合奏の響きに包まれていたことが
容易に想像できます。

また海に突き出たようなティーラウンジはとてもゆったり
していて、半円形のガラス張りの外観がリゾートの雰囲気を
とてもよく醸し出しています。


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館内ツアーではメインバーの絨毯の下に隠れたモザイクを
見たり、ダイニングでは麻のテーブルクロスを食事ごとに替える
ことや、かつてあった工作室で制作した机や室名表示板が
未だに残されていることが分かりました。


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マリリン・モンローがジョー・デイマジオとお忍びで来たり
平成9年には橋本首相とロシア・エリツィン大統領の首脳
会談が行われ、歴史の舞台にも登場します。

私はこのような戦前の建物が現役で存在していることに
驚いたただけでなく、その価値が今でも十分通用し素敵な時間を
過ごせる場所を発見できたことをとても嬉しく思いました。


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仙台・六丁目農園

  • 2015年12月 3日 20:46

先週、仙台の「六丁目農園」というレストランを
見学しました。場所は仙台駅から海側に向い工業団地を
通りすぎた高速道路の入口の手前に位置し、とても
分りにくく、そのまま高速に入ってしまう人もいます。


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ここのスタッフは大半が障害者。ビュッフェスタイルの
レストランで営業は11時から3時半と昼食のみですが
予約なしでは入れないほど繁盛しているそうです。
有機野菜にこだわったメニューは50種類くらいあり
店内では水耕栽培も行っています。

オーナーの渡辺さんのお話によると、弟さんが
事故で重度障害者になったことがこの事業を始める
きっかけの一つだそうです。28人の従業員のうち
24人が障害者で、月給が8万円というは驚きました。
(2万円に満たないところが多いのです)

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建物は日本道路公団の所有だったものを民主党時代の
「仕分け」で売却が決まり、1階の直営レストランを
居抜きで借りてスタート。その翌年の東北大震災では
海岸まで3.5㎞なので津波が来たのですが高速道路が
防波堤になり被害を免れたとのことです。

昼食のあとは「杜の市場」にある、ここが経営する
牡蠣と牛タンの2つのレストランと唐揚げの販売店
を見学。そして「国府多賀城跡」へ向かいました。

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ここは宮内庁管轄で、草刈などの環境整備で
被災者でもある障害者の雇用が始まりました。
そして周辺にハーブを手始めに野菜畑を広げて行き
今は教育委員会の要請もあり、奈良時代に朝廷に献上
されたという古代米を栽培してブランド化を目指しています。

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このスタッフの中には障害者手帳を返上した人が
何人かいるそうです。納税できる人になる・・・この
志の高さが安倍首相を引きつけ、夫妻で訪れることに
繋がったのでしょうか。

おもてなし企業

  • 2015年11月18日 18:33

とてもユニークな経営をしている廃棄物リサイクル業
埼玉県の石坂産業の見学会に先週参加しました。
きっかけは2代目社長の書いた著書を読んだことです。

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私が興味を持ったのは、会社敷地がなんと16万坪!で
(ほとんどは借地)その8割を里山や公園として整備し
会社の見学者が昨年は8,000人を超えていることです。

1999年、ダイオキシン汚染の問題が起ったとき
これが誤報だったにも係らず、住民から反対運動がおこり
建てて間もない焼却炉を廃炉にしたことをきっかけに
全天候型の工場を建設し、地域との交流を始めました。

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この会社は従業員の応対がまるでサービス業のようです。
工場内では作業員が作業の手を止めて「いらっしゃいませ!」
と私たちに挨拶するのには驚きました。

ここは解体現場から持ち込まれるものを廃棄ではなく
リサイクルすることを目指し他工場で、今では再資源化率が
95%と平均の75%を大幅に上回るまでになっています。


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社内には40講座の「石坂技塾」があり、社員は10講座
以上取るのですが講師は社員が中心というのも驚き。また
「安全衛生委員会」など6つの委員会もあり、社員が自主的に
学べるよう会社がおぜん立てをしているのを感じました。


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2013年には経産省の「おもてなし企業50選」に選ばれました。
この基準は「地域・顧客との関係を徹底的に強化することで、
価格競争に陥ることなく、顧客のニーズに合致したサービスを
継続的に提供し、顧客・地域社会から愛される経営を実現している」
ことです。これは当社が目指すことそのものです!


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石坂典子社長は「当社の単価は他社の1.5倍」くらいだが、
今ではこのような活動を知った発注先から、指定されることも
あると言っていました。時間の関係で敷地の半分しか見られなかった
のですが、社員が生き生きとして働く素晴らしい会社でした。

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