沿革 |ジェクト株式会社(旧川崎組)|川崎市中原区の総合建築会社・不動産業・リフォーム増改築

ジェクト株式会社へようこそ
  • お問合せはこちら

トップ > 沿革

沿革

1894年
創業者の市川重太郎、江戸時代から代々続く大工の市川家 清次郎(コラム②)の長男として誕生。
1920年 市川重太郎(コラム①)個人として建設業「市川組」を創業。
1944年 戦争末期の統合令により他2社と統合、「株式会社川崎組」を設立。資本金は135,000円。
1957年
川崎市立井田中学校(コラム④)完成。これを機に鉄筋コンクリート造の工事を開始。
1962年
民間工事の完工比率50%超過。
1971年 資本金5,000万円に増資。この頃より民間集合住宅工事の受注増大。
1972年 不動産部門を新設。
1975年 資本金8,000万円に増資。
1976年 創業者市川重太郎没。代表取締役に市川清が就任。
1981年 材木部門が川崎住建株式会社として独立。
1983年
新川建設株式会社を設立。
1984年
本社ビル本館竣工。
1991年
資本金1億円に増資。
CI導入により、シンボルマークを制定。
新川建設株式会社を「株式会社B&Rカワサキ」に改組。
1994年 株式会社川崎組から「ジェクト株式会社」に商号変更。
エポックなかはらにて会社設立50周年記念コンサート(コラム⑤)を開催。
1996年
「ミスタービルド中原」オープン。
1998年
代表取締役社長に市川功一が就任。
2001年
I.S.O 9001を認証取得。
2004年
エポックなかはらにて会社設立60周年記念コンサート(コラム⑤)を開催。
2006年
仲介営業と業務管理の強化を図るため、不動産部をリニューアル。
2007年
建築家ネットワーク「アーキテクツ・スタジオ・ジャパン」に加盟。
2008年
賃貸経営30年一括借上げシステム「J-パッケージ」開始。
「不動産部 新城店」オープン。
2010年
シンボルマークの改定、新たにロゴマークを制定。
当社賃貸管理物件入居者様を対象に、電気自動車によるカーシェアリングを開始。
2011年
コミュニティスペース「らくらす」をオープン。
2012年
シェアハウス「ヴィラージュ中原駅前」を開設。
2013年 「不動産部 武蔵小杉店」オープン。
コラム

コラム① 創業者の生い立ちと大工デビュー

創業者の市川重太郎は、1894年(明治27年)、江戸時代から代々新城の地で大工を家業としてきた市川家に生まれました。
のちに家業を継いで大工仕事の修業に入り、小杉陣屋町の原家住宅の新築などにも従事し、腕のいい大工として経験と実績を積みました。

コラム② ジェクトの半纏の由来

地鎮祭等の重要な行事の際には、ジェクトの社長以下全員が写真のような「半纏(はんてん)」を着用します。
こちらは創業当時の復刻デザインで、襟元の社名以外を忠実に再現しています。
背部の意匠「カネ清」とは、創業者重太郎の父、清次郎の頭文字であり、明治のころからの伝統的なトレードマークです。
ジェクトの半纏は、自社の伝統と信用のシンボルと言えるでしょう。

コラム③ 今も残る宮大工の技 -西五反田「氷川神社」-

重太郎が1920年(大正9年)、宮大工の棟梁として「市川組」を旗上げしたのちの仕事で、主要なもののひとつが東京西五反田にある「氷川神社」の社殿です。
氷川神社は、当時の東京市品川区大崎一帯の氏神として由緒ある神社で、1935年(昭和10年)に、当時の市川組により社殿が新築されました。
戦災に耐え現在もその重厚かつ典雅な姿を残す社殿は、宮大工棟梁重太郎の匠の技を今に伝えています。

コラム④ ジェクトと学校建築

ジェクトでは、現在まで数多くの学校建築に携わってきました。
戦後しばらくすると、川崎市内の人口急増を背景に学校の需要が急拡大し、校舎の建設が追いつかない状況において、当時の川崎組では重点的に学校建築に取り組んだ結果、1954年から56年にかけては総完工高の6割以上、ピーク時の1957年には8割以上が学校建築の受注でした。
1950年以降65年までの16年間にジェクトが受注した市内学校の新築および増改築工事は、主要なものだけでも25校あり、当初は木造主体であった学校建設は、1950年代後半には、鉄筋コンクリート造が主流になっていきました。

コラム⑤ 記念行事と「ボニージャックス」

2004年5月、ジェクトの会社設立60周年記念行事として、ボニージャックスをお招きしてコンサートを開催しました。当日、会場のエポックなかはらは1,000人近いお客様で満員となる盛況で、参加された皆様はボニージャックスの素晴らしいハーモニーを心ゆくまで堪能しました。
ジェクトでは、この10年前の会社設立50周年の際にも、同会場でボニージャックスのコンサートを行っており、そのときメンバーの方から、「10年後の60周年にもまた呼んでくださいね」とお話があったのですが、図らずもその約束を守ったことになりました。

ページ上部へ