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2010年12月 Archive

ウサギ

来年の干支「兎」に関して、友人との会話から
「兎の語の付く慣用句や格言などに、プラスイメージ
のものが少ない」。あらためて調べてみた。

イソップ物語の「ウサギとカメ」は、ウサギの慢心と油断がカメの
地道な努力に負ける話だし、「兎小屋」の比ゆはご存知の通りだ。
また「兎の糞」は、ウサギの糞がコロコロしてつながっていない
ことから「物事が分断してはかどらない」たとえだ。
出雲神話の「因幡の白兎」に由来する「兎兵法」は
生兵法と同じ意味だ。

とはいえ、いいものがないわけではない。「兎の登り坂」は、
ウサギは後ろ足が長く坂道を登るのが巧みなことから
「持ち前の力を発揮し、順調に物事が進む」ことを指します。
また日本人の心の歌「故郷」の歌い出しは「兎追いし・・・」だ。

そして何より「ぴょんぴょん」跳びはねる姿は、飛躍をイメージさせる。
経済的にも精神的にも少々元気のない日本だが、なあに心配ご無用。
時代が少し変われば、また国民的な熱気がふつふつと
たぎってくるはずだ。いや、兎年の来年は、
きっと飛躍の年になると信じています。

本年の『岡目八目』ご愛読有難うございました。
ジェクト社長、各位のご協力とお力添えに感謝します。
来年は、角度を広げながら日々の流れをお伝えしたいと思っています。
皆様方が、ご健勝で良いお年をお迎え下さいますことを祈願します。

(M.N)

日野原重明さん

聖路加国際病院(東京)の理事長で名誉院長でもある
日野原重明さんは99歳、白寿である。10年前に
ミリオンセラーとなった著書『生き方上手』(講談社)で
今なお全国から引っ張りだこの現役内科医だ。

著書通り、年齢を感じさせない上手な生き方をしている
日野原さんは、高齢者に対しての生き方指南だけでなく、
子どもたちにも命の大切さを説いている。
全国の子どもたちのための「いのち授業」で日野原さんは
教室に入るとすぐ子どもたちに質問する。

「君たち、いのちを持っている?」。「はーい」。
子どもたちの手が元気よく挙がる。日野原さんが、
また尋ねる。「では、いのちは体のどこにあるの?」。
すると自信なさげに手を心臓に当てる子どもがいたりする。
日野原さんに「君のいのちは心臓なの?」と聞かれた子は
困ってしまう。

日野原さんと、画家いわさきちひろさんがコンビを組んだ
『いのちのバトン』(ダイヤモンド社)に、そんな教室の様子が詳しいが、
来年は100歳なられる日野原さんが未来を担う子どもたちに
丁寧に伝えようとしているのは、目には見えない
人の命の大切さである。

目には見えないからこそ大切なものがある「いのち」とか
「こころ」とか「思いやり」とか・・・。そんなことを話してくれる日野原さんが
「創(はじ)めることを忘れなければいつまでも人は老いることはない」
(『いのち、生きる』光文社)と言う人生のコンダクターが
やさしく誘ってくれる輝く生き方とはどんな生き方か、
耳を傾けてみたい。

(M.N)


東京タワー

先日、友人との待ち合わせの時間までの間、
約40年ぶりに東京タワーへ登っ た。
暇つぶしのつもりだったが、今話題の東京スカイツリーとは一味違う
"昭和の香り"を懐かしんだ。

東京タワーは、昭和30年代生まれの方たちにとっては高層建築物の
代名詞だったが、久しぶりに大展望台(150メートル)へ登って驚いた。
六本木ヒルズをはじめとする高層 ビルが林立し、
もはや都心を一望することはできなくなっていた。

展望台内の案内ボードには、皇居や国会議事堂など
東京の名所が見えない方角が示されていたが、
ビルとビルの隙間からどうにかのぞくことができる程度。
「都庁の方が景色がいい」とぼやくカップルの声も。

絶景を求め250メートルの特別展望台へ登ることも考えたが、
もやっていたので断念。代わりに売店をのぞいてみた。
かっての定番商品のペナントやカレンダー付きぺン立ては
置いていなかった。

ソフトクリームなどお馴染みのメニューが揃ったカフェから
「フットタウン」と呼ばれるタワー下のビルにも足を延ばすと、
東京タワー名物の蠟(ろう)人形餡がまだ営業をしていたことにも感激した。

遠目に見るライトアップされた東京タワーは、
現在の東京の街並みに溶け込んでいるが、
内部はまだ昭和の面影が強く残っていた。

(M.N)

土佐の海引退

誰にでもいつか第一線を退く時がくる。
だが、定年のあるサラリーマンや公務員などと違い、
実力次第のプロスポーツの世界では引き際が難しい。

大別すれば、華のあるうちに身を引くか、
燃え尽きるまで続けるか。プロ野球なら、前者の代表格は
長嶋茂雄さん、後者は野村克也さんになろうか。
先日、引退を表明した大相撲の関は野村さんに
近いかもしれない。

同志社大相撲部の出身で38歳、現役最年長の関取だった。
長く三役や幕内上位を務め、幕内在位は80場所。
期待された大関には届かず、最高位は関脇ながら
金星は史上4位の11個で横綱キラーとしても人気があった。

突き、押しの正攻法の取り口そのままの誠実な人柄で知られ、
対戦力士と立ち合いの呼吸が合わない時には「すみません」
の声が集音マイクに拾われるほどの大きな声で謝る、との
エピソードが残る。

最近は幕内下位と十両を往復する場所が続き
「いい相撲が取れなくなり、体力の限界を感じ」決断したという。
その一方で「ここまで長くできたので、やり遂げたなと思う」
と語る表情にはすがすがしささえ漂う。
華やかさには欠けるが、土佐の海関流の
「引き際の美学」なのだろう。

(M.N)

内向き志向

NHKで放映されているドラマ「坂の上の雲」を見ると、
近代国家建設の理想に燃えた若者らが、米国やロシアなど
外国人に堂々と立ち向かう姿が印象的だ。

一方、最近の日本では「内向き志向」が取りざたされる。
ノーベル化学賞を受けた根岸英一・米パデュ-大特別教授は
会見で「若者よ海外に出よ」と鼓舞した。
「ある一定期間出ることで、日本を外から見ることが重要」と言われた。

根岸教授の言葉を裏付けるように、日本から米国への留学生は
この10年間で4割近く減少しているという。
「内向き」のほか、景気低迷や雇用不安などの影響があるのかもしれない。

根岸教授は「日本はカンファタブル(居心地いい)と皮肉られる。
景気が低迷してもなお、日本は安全で暮らしやすいということだろう。
ただ、グローバルという言葉に表されるように21世紀は人やモノ、カネ、
情報などが国境を越えて行き来する時代だ。

研究も、トップレベルでの切磋琢磨なくしては成り立たない。
留学せずとも日本の大学や研究機関に世界的な人材が
集まっているならいいが、そうはなっていないようだ。

2012年には沖縄科学技術大学院大学が開学するという。
世界から最先端の研究者を呼び、知的集積を図ろうという試みだそうだ。
内向きの日本を突き崩す取り組みになるよう期待したい。

孫にはそんな能力はないが、中学生になったら英国に行って生活できるよう、
まず英会話の塾に行ったらと、娘に話してみたら、そっぽ向いていたが。

(M.N)

師走のイルミネーション

夕方の散歩帰りの道が最近、楽しみになった。
家々に飾り付けられたイルミネーションに出会えるからだ。
赤、オレンジ、青、白。自宅までの十数分間、
師走の宵に咲いた色とりどりの光が語りかけてくれる。
冷え込んだ体と心が温まる。
お気に入りの飾り付けを見るために、
わざわざ遠回りしても苦にならない。

よく観察すると、はしごを上るサンタやそりを引くトナカイなど
飾りにも多様な趣向があるようだ。遊園地みたいに
満艦飾のお宅は子らがあれもこれも飾ってと、せがんだのだろう。
対照的に、少量の明かりを玄関先の植木などにつるした演出にも、
さりげない風情を感じる。

家庭のイルミネーションがこれほど広まったのは、
省電力効果や耐久性に優れた発光ダイオード(LED)照明が
普及したからだろう。量販店やオンラインショップでも、
手ごろな価格で入手できるようになったことが大きい。

イルミネーションといえば、阪神大震災で
犠牲になった人びとの鎮魂と被災地復興を願う
「神戸ルミナリエ」を忘れることができない。
これをきっかけに各地で多くのイベントが生まれ、
すっかり冬の風物詩になった。
光は、人に勇気と希望を与えてくれる。

(M.N)

金星探査機「あかつき」

  • 2010年12月 9日 16:21

小惑星探査機「はやぶさ」の成功で日本中が沸いた2010年。
その年を締めくくるはずだった。
金星探査機「あかつき」が軌道投入に失敗した。残念だ。

明けの空や夕空にひときわ明るく輝く金星は、
地球の「兄弟惑星」ともいわれる。
直径がほぼ等しく、太陽からの距離も近いからだ。
しかし、その違いはあまりにも大きい。

西洋ではビーナス(美の女神)と呼ばれるが、
厚い雲の下は硫酸の雨と秒速100メートルの風が吹き荒れる。
二酸化炭素による温室効果の"暴走"で、
気温が400度超に達する灼熱(しゃくねつ)地獄という。

あかつきは、研究者が解けなかった
金星の特有の気象解明に挑むはずだった。
隣り合う兄弟星の運命を、何が大きく分けたのか。
金星の謎解きを通して、地球温暖化や異常気象のメカニズム研究と
予測への可能性も期待されていた。

だが、これで望みが絶たれたわけではないという。
あかつきは6年後、再び金星に近づく。
プロジェクトチームはもう一度、軌道投入にチャレンジする意欲を示した。

あかつきの機体には、日本中から応募のあった
約26万人の応援メッセージを縮小印刷したアルミ製プレートが
取り付けられている。これから6年間、
日本中のエールを身にまとい、宇宙を旅するわけだ。
地球からも、応援を送り続けたい。

(M.N)

テーブルマナー

ライスはフォークの背に乗せて食べる。
テーブルマナー教室でそう教わった人は多いはずだ。
ところが最近は、フォークの腹の部分ですくうようにしてもよいとされる。
マナーが変わったのかと首をかしげる人もいるだろう。

テーブルマナーが日本に持ち込まれたのは明治時代だ。
英国を手本にしたらしい。しかし、フランス式では
フォークを右手に持ち換え、腹の部分を使っても構わないそうだ。
それで近年は英国式へのこだわりが薄れた。

そもそも、洋食でライスは野菜のような位置付け。
米を主食とする日本とは食文化が異なる。
それを洋式に当てはめようとしたのが今日の戸惑いの誘因だから、
マナーの混乱は文明開化の時代の名残とも言えなくもない。

ナイフやフォークで食事をするのは世界の約3割で、
箸を使うのもほぼ同じ割合のようだ。
残る4割は手で食べる。ヒンズー教やイスラム教では
汚れた食具を使うのはタブー。
清浄な手で食べることこそ宗教的な戒律にかなう。

日本でも昔は手で食べたという。三世紀の風俗などを伝える
魏(ぎ)志(し)倭(わ)人(じん)伝(でん)に、
手づかみで食事をしていたと記されているそうだ。
箸が中国から伝わったのは七世紀。
八世紀には一般に普及する。
その後、箸文化は特異な発展を遂げる。

江戸時代、家族がそれぞれ自分の箸を持つようになった。
中国や台湾、韓国などでも箸を使うが、そうした習慣はない。
最近は、箸を洋食器のように家族共用とする家庭も増えたようだ。
ここにも欧米化の一端がのぞく。

(M.N)

 
 

「知識」と「意識」の調整

地域づくりは一人ではできない。
発想力、折衝力、調整力、行動力、継続力等
あらゆる力、多くの知恵が必要である。
難しそうに感じるが、意外にそうでもない。
見据えるものをしっかり語り、いかに一人ひとりの心に響かせ、
互いに尊重していくかである。

事業計画を進めていく時、会議を開き計画・工程説明を行い、
情報を統一化しつつ執行事務局案に基づき
賛同を得ていくやり方をよくとる。この方法は
毎年決まっている行事とか施策を確実に実施していくには
適切なスタイルである。しかし、資料と枠組みの確認に
時間をとることで事業が順調に進んでいると錯覚を起こし、
参加者の思いが入らぬまま進んでしまうことがある。
いわゆる"お題目的な参加型”である。加えて、
さまざまな団体の長が集う形をとった場合、あたかも
地域全体で行っているようなさらなる錯覚をおこしてしまう。

計画には「問題解決型」と「夢実現型」と2つある。
取り組む事業がどちらの進め方がふさわしいのか、
どちらに軸足をおくか、ぶれないことである。

地域づくりは期間だけでは推し量れない永遠のものである。
思いの違う窮屈なものは続かない。初めから
賛同者をたくさん得ることは難しい。まずは方向性。
一人ふたりと思いを語れる仲間を増やしていくことがある。

そして、「すぐできること」から始めていく。
コンセンサスをとるには全く事業と関係ないことをしてみることは
大切である。事業計画書や工程はあとからでもいい。
あるいは事務局だけの指針でいい。ある程度意識の
共有ができてくれば、「工夫してみる」ことをしていき、
徐々に「仕組みをつくる」ことへ入れば地域にふさわしい
事業が実現する。

参加型は「知識」と「意識」の調整である。
団地内の管理調整などが大変な時期である。

(M.N)

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