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2012年8月 Archive

結婚式の変わりよう

結婚式に何年ぶりに出席し挙式、披露宴の変わりように
驚くばかりだった。新郎新婦や式場によって結婚式は
さまざまな形があるだろうから、良し悪しではないが、
同年代以上の中高年出席者と「時代は変わったな」と
何度もつぶやいてお酌し合った。

何よりも驚いたのは、披露宴で友人ら若者が常に
新郎新婦の周りに群がり、おのおのスマートフォンなどで
写真撮影していること。お色直しのたびに新郎新婦と仲間で、
あるいは新郎新婦とスリーショットで、はたまた新婦と
ツーショットで、「ピース」と忙しい。

もはや親戚、職場の同僚などが新郎新婦に近づくのは
遠慮している状態。友人の結婚を心から喜んでいるのは
良くわかる。しかし聞けば友人による2次会もあるという。
ならば披露宴は親戚等へ2人を紹介する場でもあることを
少しは配慮して欲しい。

などと中高年は思いながら口には出さず、「時代は変わったな」
と苦笑いで酒を酌み交わす。そして披露宴の最後は、新婦から
両親への感謝の言葉と新郎のあいさつ。

新婦は「心配ばかりかけてごめんね。今まで育ててくれて
ありがとう」と感謝し、両親とともに必至で涙をこらえる。
昔も今も変わることのない親子愛が出席者の涙を誘う。
気が付けば、友人たちもこのときばかりは自席で静かに目頭を
押さえている。時代は変わっても結婚式の感動は不滅なのだ。
と安心して帰途についた。

世界の平和を願いたい

作家の向田邦子さんの父は大酒飲みの癇癪(かんしゃく)持ちで、
家では「バカ野郎」の罵声や拳骨(げんこつ)が絶えなかった。
そんな父が終戦の年の4月、疎開する幼い妹に自分の宛名を書いた
おびただしいはがきを持たせた。「元気な日はマルを書いて、毎日1枚
ずつポストに入れなさい」と。妹はまだ字が書けなかったからだ。

そのうちはがきが届かなくなり、母が迎えに行った。妹は百日咳
(ひゃくにちぜき)を患い、虱(しらみ)だらけの頭で寝かされていた。
妹が帰ってくると、父は裸足(はだし)で表に飛び出し、瘠せた妹の
肩を抱いて声を上げて泣いたいう。向田さんのエッセー集
「眠る盃(さかずき)から引いた。暴君に見えても、心は子への
心配でいっぱいだったのだ。
 
向田さん親は無事に子供と再会できたからまだいい。
この時から1年ほど前、沖縄の子どもたちが疎開船「対馬丸」に乗って
那覇港から鹿児島へ向け出航した。米軍が迫ってきたためだ。
が、途中で米潜水艦の魚雷を受け沈没する。それが1944年
一昨日(8月22日)の夜だった。

疎開船には学童738人と教師、付き添いら合わせて1747人が
乗っていた。暗い海中に投げ出され、力尽きて次々と水中に姿を
消していく。生存者は227人。このうち学童は59人だけだった。

本土でしたいことがいっぱいあったはずだ。希望に満ちた
子どもたちの命を理不尽な戦争は一瞬にして奪った。子どもたちの
恐怖と苦痛。、わが子を殺された親たちの悲しみを思うと、
戦争を憎まずにはいられない。日中韓で危険な国益主義が
高まっている折だけに、ことさらだ。

 

いじめ問題

いじめ時代ーと言えばオーバーだろうか。だが昨今は、
いじめが報道されない日がないほど、毎日がいじめに
あふれている。それだけ、誰かを標的にして攻撃しないと
氣が済まない人が多いのか。情けない時代を迎えたものだ。

いじめる側に対しては当然だが、子どもを守らなければならない
学校や教育委員会の無策な対応ぶりには情けなさも増幅する。
十分な調査をしなかったり、被害生徒に退学勧告するなど
自分の立場を全く理解していない。「不要」と判断されても
致し方ない状況だ。

なぜこうした現象が起きたかは今後、調査が進めば明白に
なるだろう。ただ、少なくてもあの対応ぶりに「個」を尊重する意識が
全くなかったことだけは明らかだ。助けを求める子どもに手を
差し伸べるどころか組織や学校の面目を優先しているのでは
教育を語る資格はない。

欧米諸国で浸透する個人主義。もちろん、個々が好き勝手に
ふるまってよいということではない。まずは個を尊重するーが
根底にある。日本の教育現場や家庭、地域社会でどれだけ
個人を大切にする教えが施されてきたのか、現状が
語っているように思えてならない。

宇宙での技術

ロンドン五輪の熱狂がさめやらぬ地球のとなり、火星では
孤独で地道な作業が始まっている。米航空宇宙局(NASA)の
探査車「キュリオシティー」が着陸に成功し、火星表面の
鮮明な画像を地球に届けている。

太陽から3番目と4番目の惑星、地球と火星。となりとはいえ、
気が遠くなる距離である。キュリオシティーは8ヶ月以上の旅を続け、
半径10キロの「的」めがけて着陸した。超巨大アーチェリーを
想像すると、その技術力の高さに感嘆する。

探査車の重さは1トン近い。それをワイヤでつり下げ着陸させた。
NASAのスタッフは「金メダル級の仕事」と誇らしげだ。体操の
内村航平選手も舌を巻く最高難度の新技といったところか。

1960年代から始まった各国の火星探査。着陸や周回軌道投入の
成功率は4割。多くの失敗から学んだ成功という点をいくつも
つないで線にし、新たな面へと広げた。

好奇心の意味を持つキュリオシティーは、約2年かけ生命の痕跡や
可能性を探る。レイ・ブラッドベリの名作「火星年代記」をはじめ、
赤い惑星は古くから人々の想像をかきたてた。

ヒトの無限の好奇心は、宇宙の謎を解き明かせるのか。
鍛え上げた肉体の躍動に驚嘆したあとは、かなたの星で
黙々と仕事をこなす最先端技術からの未知の報告が待ち遠しい。

スポーツ祭典の魅了

感動の後は心地よい疲れを感じる。朝、目覚めても、
気持ちの高ぶりが残っている。楽しい時間を多くの人と
共に過ごした満足感。夢が続いているような気分になった。

さまざまなドラマを残して、ロンドン五輪が幕を閉じた。
世界の壁の厚さも痛感したが、それでも連日のメダルラッシュ
だった。終わってみれば13競技で38個のメダル。
どちらも過去最多だ。精いっぱい頑張った選手らに
心から拍手を送りたいのです。

うれしいのは多くの「初」が生まれたことだ。重量挙げ女子、
アーチェリー女子団体、バトミントン女子ダブルス、フェンシング
男子フルーレ団体、卓球女子団体、サッカー女子。どれも
初メダルである。ボクシング男子は金、銅と複数メダルを
獲得したのも初めてだった。

久しぶりの快挙にも目と心を奪われた。ボクシング男子は
実に48年ぶり、レスリング男子は24年ぶりの金メダルを手にした。
バレー女子の銅は28年ぶりになる。長い挑戦の成果が、
新しい歴史の始まりになれば、と願いたい。

「遠く曲がりくねった道」と歌ったのは英国のバンド、ビートルズ
だった。「その道は君が目指す扉へと続く。いつも消えることなく
目の前にある」。それぞれが努力してたどり着いた扉を、
自分の力でこじ開けた。何よりもそれが素晴らしい。

日本はお盆のさなかだ。きのうツクツクボウシの声を聞いた。
季節は移るが、まだしばらくは夢の名残に浸りたい。

首相発言の重み

政界ではこう言われてきた。「総理大臣は衆議院の解散と
自分の健康問題については、ウソをついても構わない」。
この二つ、不用意に漏らせば周囲に与える影響が大きすぎるからだ。

かっての「死んだふり解散」。首相だった中曽根康弘さんは
「考えていない」と言い続けて、いわば死んだふりを演じつつ、
解散に持っていった。解散に関する首相のウソの典型だ。

時の首相が時期を明言しないのは当然だ。それを承知で
「いつだ、いつだ」と迫るのは、子どものけんか見るようだ。
一体改革法案と解散時期をめぐる民主、自民、公明3党のゴタゴタ
の政局だった。

日本勢が感動を呼ぶ活躍を続けるロンドン五輪。その一方で
政冶はこれだ。多くの国民はあきれる思いだろう。結局、解散時期は
「近い将来」を「近いうちに」と表現を改めて3党が合意したようだ。

「文学を理解しないような政治家は本物じゃない」と語ったのは
亡くなった大平正芳元首相だ。ここで言う文学、迷彩服を着せたような
言葉があふれる「永田町文学」ではあるまいに。
昨日、消費税増税法が成立した。肝心の議論はそっちのけだ。
政争まみれのうちに決まってしまう増税だ。

志の高さ

ロンドン五輪では日本人選手の発する言葉が重い。
「自分のためにやってきた競技に、今回は特別な力が加わった」
と陸上ハンマー投げで銅メダルを獲得した室伏広治選手。
一流競技者ほど、社会や地域とつながろうとする。

震災直後、独り故郷を離れ、現役復帰したフェンシングの
菅原智恵子選手(汽仙沼市出身)は「一生懸命やる姿は見てもらえた
と思う」。不屈の粘りで入賞し、古里の市民に志を伝えた。

宅配業のネットを生かし、高齢者の見守り活動を行う松本みゆきさん
(盛岡市)が「金メダル」を獲得した。「活動を全国に広げる。最後まで
諦めない」と目標から目をそらさない。
 
挑戦する姿はそのこと自体が共感を広げ、公の財産になる。
これまでいろいろあった五輪も終盤へ。熱く盛り上がりたい
。支援を送りたい。

ロンドン五輪

熱い戦いが続くロンドン五輪は日程の半分を終えた。
日本の選手たちは世界を相手に大健闘をみせ、連日の
メダルラッシュだ。
 
メダル獲得はたたえられることなのに、日本の柔道陣は
その色にこだわり過ぎている。日本で生まれた武道だから、
選手に「金でなければ」という独特の重圧があるのだろう。

その他の競技も狙うものはもちろん表彰台の一番高い位置だが、
結果として銀,銅だったとしても、柔道のような悲壮感はない。
水泳陣メダリストのあふれる笑顔が印象的だ。

五輪の出場権を得るまでの血のにじむような努力は国民が
知っている。結果だけにとらわれないでほしい。「持っているものは
全部出せた」という、卓球の福原愛選手のコメントは爽やかだった。

世界が一番と認め、絶対的な自信を口にしていた体操の
内村航平選手ですら団体戦で考えられないミスをした。
世界選手権とは違う。4年に一度の五輪のなせる業だ。

だからドラマが生まれ、人々に大きな感動を与える。
笑顔だけでなく、涙も美しい。選手は持てる力を発揮する
ことだけに集中して戦ってほしい。

オリンピックでの勝利

4年に一度のスポーツの祭典「オリンピック」がロンドンで
華々しく幕を開けた。かってはアマチュアしか参加を
認められなかった大会も、今では大部分の競技でプロも
出場できるようになり、まさに人類最強・最速の座を競う場になっている。

「五輪には魔物がいる」と言われることがよくある。絶対的な
優勝候補があっさり敗れたり、まったく無名の選手が栄光の座を
手に入れたりするドラマが数多く繰り広げられてきた。

今大会でも、男子サッカーで日本が優勝候補のスペインを破る一方、
3大会連続で2種目制覇の期待がかかった北島康介選手が
100メートル平泳ぎで5位に終わるなど、予想外の番狂わせが
早くも相次ぎ「魔物」の健在ぶりを示している。

一方、これまでとは少し毛色の違う「魔物」が柔道競技に登場し
混乱を招いている。誤審を防止するために導入された「ジュリー制度」だ。
審判を補助するためにビデオ映像によって結果を判断する方法。
によって、一度下された判定が覆される試合が頻発している。

2000年のシドニー五輪において篠原信一選手が「世紀の誤審」で
金メダルを逃がしたことが、この制度導入のきっかけのひとつと言われる。
しかし、あまりに映像に頼り過ぎる状況下では審判の存在意義が
問われることになる。まずは審判の技術向上に力を注ぎ、
それを補完するためのジュリー制度であるべきではないだろうか。

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