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2012年9月 Archive
老舗企業シャープ
- 2012年9月29日 17:28
- M.N氏の岡目八目
9月15日はシャープ創業100周年だった。元号で言えば
大正元年のこの日、早川徳治がベルトに穴を開けずに締められる
バックルを発明、奉公先の金物店から独立した。
創業者早川さんの生涯は苦難続き。画期的な「早川式操出鉛筆」
(シャープペン)の開発で成功を収めて間もなく、重病で死線をさまよう。
関東大震災では妻子を亡くし、工場も失った。
無一文からの再出発の地は大阪。鉱石ラジオの国産化に成功した。
「常に新しいアイデアで、他より一歩先に新分野を開拓していかなければ、
成功は望めない」。早川社長の信条だったという。
国産テレビ第1号、量産型の電子レンジの発売、太陽電池の量産化、
集積回路の卓上計算機、液晶表示の電卓、どれも「日本で初めて」
「世界で初めて」と称賛された同社開発史の1ページだ。
その老舗企業が経営危機に陥り、再建計画をまとめた。
大量の人員を削減し、海外の工場なども一部売却。販売会社を
統合するほか、液晶テレビ事業を再構築する。創業以来の
思い切った改革だ。、
新技術を駆使したヒット商品を生み続けないと、存続が困難になる
厳しい業界だ。台湾企業との出資交渉の成否にかかわらず、
早川さんの言う「新分野の開拓」で、業績がV字回復する日が
来ることを願いたい。
白日時代
- 2012年9月25日 18:49
- M.N氏の岡目八目
「グランドに銭が落ちている」とは、かってプロ野球南海の
名監督だった鶴岡一人さんの有名な言葉だ。プロ選手は
グランドを唯一の仕事場と心得て全てを注げ。名将はそんな思いを
独特の言葉で表現したのかもしれない。
それは大相撲の世界でも同じだ。元横綱初代若乃花の言
によれば、グランドは"土俵"に置き換わる。「強くなれば土俵の下には
何でもほしいものが埋まっているぞ。お金も着物もー」昔からその
一心で厳しいけいこに励んできた。
それを聞いた新弟子が夜中にけいこ場の土俵をスコップで
掘り起こしたという話もあったそうだ。横綱白鵬との激闘を制し
2場所連続の全勝優勝を果たした大関日馬富士は直後、
その土俵にそっと額をつけた。「土俵の神様に感謝の気持ちです」。
2分近い熱戦は、久しぶりに両国国技館を沸かせた一番だった。
どんな型の相撲にも対応するしなやかさに強靭(きょうじん)さを
併せ持つ横綱と、驚異の身体能力と粘り腰で全勝街道を突っ走る大関。
土俵の神様は双方の持ち味を存分に引き出したようだ。
土俵に埋まっているのは力士のほしいものばかりではない。
相撲ファンをとりこにするものも埋まっている。当日、内閣総理大臣賞
授与のため来場した野田首相も「鳥肌の立つ相撲」とたたえた。
「鳥肌」は本来恐怖や嫌悪感に襲われたときに使う言葉だが、
首相もついうっかりするほど、白熱の大一番だったということだろう。
日馬富士の横綱昇進で一人横綱にも終止符が打たれる。
"白日時代"の始まりだ。
日中国交正常化
- 2012年9月25日 07:57
- M.N氏の岡目八目
日中国交正常化交渉のため、北京入りした田中角栄首相は
宿舎に入って目を丸くした。1972年の9月25日のことだ。
戸外は猛暑なのに室温は自分が好む17度に設定され、
好物のバナナとアンパンまで用意してあった。
首相は秘書に漏らした。「これは大変な国に来た交渉、
掛け合い事は命がけだな」。中国側は迎げていた。
国交樹立への意気込みをひしひしと感じたという。
『日中国交正常化』(中公新書、服部龍二著)に出てくる
挿話の一つだ。交渉は何回かの首脳会議を経て、中国の
周恩来総理言うところの「小異を残して大同を求める」
ことで妥結にこぎ着ける。
それから間もなく40年だ。日本政府が沖縄県・尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を国有化したことで中国国内で反日デモが激化。
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年の9月18日は
125都市で行われたようだ。
国交正常化交渉の際、毛沢東主席が田中首相に言った。
「もう周総理とケンカはすみましたか」『雨が降って地が固まる
ということばあるように、議論したほうが却(かえ)って仲よくなる
ということもありますよ」
中国で働き、暮らす日本人を反日デモで「命がけ」にさせては
ならない。日中講和の精神を忘れることなく、「命がけ」でケンカ
しなければならないのは両国首脳であるはずだ。
引き際
- 2012年9月21日 08:52
- M.N氏の岡目八目
スポーツ選手の引き際は難しい。惜しまれつつ現役を
引退する人もいれば、最後までもがき苦しんでも現役を
貫き通そうとする人もいる。どちらも、その選手のこだわりだろう。
ファンにとっても複雑な心境だ。一流プレーに魅了され、
応援し続けているが、全盛時の力がなくなり、ぶざまな姿を
さらす所を見ると悲しい気持ちにもなる。逆もある。
「まだまだやれるのに」と思っていた選手がいなくなるのは、
心に大きな穴が開いたようだ。
今年もプロ野球界では、大物選手たちが引退を表明した。
広島の石井豚朗選手は、投手から野手に転向し輝かしい成績を
残した。田口壮選手はオリックスでイチロー選手とプレーした
。阪神大震災があった1995年には日本一に輝き、大リーグの
カージナルスでもワールドチャンピオンになった。
先日は、阪神の金本知憲選手がバットを置くことを表明した。
1492試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、
どんな状態でも試合に出続けた。骨折しても片手一本で安打を
放った姿は多くのファンの記憶にも新しい。晩年は肩のけがで
守備の衰えが目立ったが、10年間に渡りチームに大きな財産を
残した。
スポットライトを浴びて引退する選手の一方、毎年
多くの若手が実力を発揮できずにひっそりと去って行く。
プロ野球界の在籍年数よりもはるかに長い第二の人生が始まる。
次のステージでは光り輝いてほしいと願う。
権力者のステータス
- 2012年9月20日 07:53
- M.N氏の岡目八目
戦国の世を生き抜いた武将たちは、香木を好んだといわれる。
日本には平安の頃より、さまざまな練り香を持ち寄って楽しむ
優雅な宮廷遊戯があったが、戦いの場に臨む男たちの場合、
みやびな芳氣より、香木が持つシャープな匂いを求めた。
出陣の前には、決まって香を聞くものもいたそうだ。
独特の香りで精神の統一を図るためだ。これにより戦場でも
冷静な判断に基づいた采配が振るわれた。やがて香木が持つ
不思議な力に魅了され、武将たちは競ってコレクションした。
数ある香木の中で「天下第一の名香」とされるのが黄熟香
(おうじゅくこう)。奈良市の正倉院にある宝物の一つで、
一般的には「蘭奢侍(らんじゃたい)」の名で知られる。
過去には足利義政や織田信長、明治天皇が、その一部を
切り取っており、これを持つことが時の権力者のステータスだったようだ。
言葉の変わり
- 2012年9月12日 20:37
テレビが普及するまではラジオが団欒(だんらん)の主役だった。
たんすの上、仏壇の脇など茶の間を見下ろす特等席に鎮座
していたが、後に携帯ラジオが普及した。
真空管がなくトランジスターとも呼ばれた。それまでのタイプより
ずっと小さかった。電源は乾電池だ。どこにでも持っていける
というのがうたい文句で、ショルダーバックのように肩掛け用の
ベルトが付いていた。
だがいま「携帯」と聞いてラジオを想像する人はいないだろう。
ほとんどの人は電話のことだと思うに違いない。言葉は時代とともに
変わり、その一部の意味だけが使われるようになることがあるようだ。
「認知」とは本来「ものごとを知ること」だが、法律では親子関係を
成立させることを指す。しかし最近では「症」を付けて使われる。
経営再建を表す「リストラ」は、その手段の一つ「人員削減」の意味だ。
「選挙」はどうか。大別すると、身近な市町村の選挙、知事や市長、
県議選、市議選そして国政選挙があるが、国民の多くは「近いうち」
と言われる総選挙を思い浮かべるのではないか。
ところが、東京永田町でいま選挙と言えば、民主党代表選、
自民党総裁選のことを指すようだ。有権者は候補者の公約や
人物で選ぶが、永田町では「党の顔」になるかどうかが基準らしい。
混迷する政局
- 2012年9月10日 11:24
国会は8日に会期末を迎え、約8ヶ月にわたる論戦が
幕を閉じた。とはいえ、8月29日に参院で野田首相の問責決議が
成立してからはほとんど"開店休業"状態だったため
「まだやっていたの」と冷めた反応にも聞こえてくる。
現在、国会議員の関心事は民主、自民両党の党首選だ。
1年以内には必ず衆院選が行われ、10月にも召集見込みの
臨時国会で解散との観測も流れるなか、党の「顔」を選ぶ
戦いになるため注目度は高い。
民主党は野田代表が7日に出馬を表明、再選の可能性が
高いとされる。一方、自民党の谷垣総裁を取り巻く情勢は厳しく、
何人かが競い合いそうだ。
もう一つ、中央政界をにぎわせているのが橋下大阪市長率いる
大阪維新の会の国政進出問題。9日には大阪市内で現職の
国会議員らと公開討論会を開き、新党旗揚げに踏み出すようだ。
維新の会が提示した衆院選公約「維新八策」をめぐり意見が
交わされることだろう。
政治の低迷を背景に国際社会における日本の存在が
薄らいできているとの指摘がある。二つの党首選や第三極の
新党づくりでは、政治を立て直す道筋を示せるか、しっかりと
見ていきたい。
老朽化したダム
- 2012年9月 7日 08:19
- M.N氏の岡目八目
九州山地の雨を集めて八代海に注ぐ球磨川(熊本県)は
最上川、富士川と並び「日本三大急流」と称される。
アユが生息する清流でも知られる。
その下流に水力発電用の県営荒瀬ダムが完成したのは
1955年のことだ。戦後復興を担ったが、ダム湖にヘドロが
たまるなど河川環境は次第に悪化し、アユの遡上(そじょう)
も減った。老朽化につれダムは地域の重荷になってきた。
10年前になる。潮谷義子知事(当時)が地元住民の
要請をくんで「廃ダム」を決めた。その後曲折を経た上で、
いよいよ撤去工事が始まった。本格的なダムの撤去は
全国でも初めてだ。
伏線はあった。97年の河川法改正は、水質源開発
中心だった河川整備の目的に「環境保全」という新理念を
追加した。公共事業見直しの機運や田中康夫・元長野県
知事の「脱ダム宣言」も、ダム撤去の世論を後押しした。
廃ダムは前例のない工事である。ダム湖の体積土砂が
どう動くのか、流域に新たな環境変化を招かないか。
さまざまな面で注目される。培った施工技術と細心の配慮で
「清流回復」の先例をつくってほしい。
全国のダムは約2700を数えるという。治水や利水に
役割を果たしているものの、各地で老朽化や水質悪化、
土砂堆積が進んでいるようだ。第二、第三の「荒瀬ダム」
が出ておかしくない。関係者は荒瀬ダムを研究、見聞
したらどうだろうか。
仲良く
- 2012年9月 3日 11:06
- M.N氏の岡目八目
「 どうしても友達になれない人種がいる。小さな噓(うそ)をつく奴と、
アイアンの飛距離を自慢する奴」。米国往年の大スター、ビング・クロスビーの
言葉は単にゴルフ好きが高じてライ バルを皮肉ったものではないようだ。
裏を返せばスコアをごまかすような姑息(こそく)はやめて謙虚に正直に、
そ して俺の方が強いんだなどと意地を張らず、見栄を捨てれば人は
自然に集まってくる。志を同じくする もの同士なら、遠く離れていても
心は通じるはず。未来志向で共に喜びを、分かち合えるというものだろう。
このところどうしても頭から離れない。日中韓をめぐる不協和音である。
竹島 (韓国名・独島)の領有権問題について、国際司法裁判所への
共同付託を求めた日本側の提案を韓国側が 正式に拒否すると通告した。
事態はまたもや暗礁へ。関係はさらに悪化の様相だ。
韓国人も中国人も、本当に「反日」「抗日」と怒り心頭なのだろうか。
中国と 日本は今年、国交正常化40年。友人をいっぱい作ってきた。
韓国の若者だって日本に友達がいるはずだ。 互いの顔を思い出して
ほしい。そして語り合ってほしい。それを政府間に是非、お願いしたい。
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