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2012年9月 Archive

老舗企業シャープ

9月15日はシャープ創業100周年だった。元号で言えば
大正元年のこの日、早川徳治がベルトに穴を開けずに締められる
バックルを発明、奉公先の金物店から独立した。

創業者早川さんの生涯は苦難続き。画期的な「早川式操出鉛筆」
(シャープペン)の開発で成功を収めて間もなく、重病で死線をさまよう。
関東大震災では妻子を亡くし、工場も失った。

無一文からの再出発の地は大阪。鉱石ラジオの国産化に成功した。
「常に新しいアイデアで、他より一歩先に新分野を開拓していかなければ、
成功は望めない」。早川社長の信条だったという。

国産テレビ第1号、量産型の電子レンジの発売、太陽電池の量産化、
集積回路の卓上計算機、液晶表示の電卓、どれも「日本で初めて」
「世界で初めて」と称賛された同社開発史の1ページだ。

その老舗企業が経営危機に陥り、再建計画をまとめた。
大量の人員を削減し、海外の工場なども一部売却。販売会社を
統合するほか、液晶テレビ事業を再構築する。創業以来の
思い切った改革だ。、

新技術を駆使したヒット商品を生み続けないと、存続が困難になる
厳しい業界だ。台湾企業との出資交渉の成否にかかわらず、
早川さんの言う「新分野の開拓」で、業績がV字回復する日が
来ることを願いたい。

白日時代

「グランドに銭が落ちている」とは、かってプロ野球南海の
名監督だった鶴岡一人さんの有名な言葉だ。プロ選手は
グランドを唯一の仕事場と心得て全てを注げ。名将はそんな思いを
独特の言葉で表現したのかもしれない。

それは大相撲の世界でも同じだ。元横綱初代若乃花の言
によれば、グランドは"土俵"に置き換わる。「強くなれば土俵の下には
何でもほしいものが埋まっているぞ。お金も着物もー」昔からその
一心で厳しいけいこに励んできた。

それを聞いた新弟子が夜中にけいこ場の土俵をスコップで
掘り起こしたという話もあったそうだ。横綱白鵬との激闘を制し
2場所連続の全勝優勝を果たした大関日馬富士は直後、
その土俵にそっと額をつけた。「土俵の神様に感謝の気持ちです」。

2分近い熱戦は、久しぶりに両国国技館を沸かせた一番だった。
どんな型の相撲にも対応するしなやかさに強靭(きょうじん)さを
併せ持つ横綱と、驚異の身体能力と粘り腰で全勝街道を突っ走る大関。
土俵の神様は双方の持ち味を存分に引き出したようだ。

土俵に埋まっているのは力士のほしいものばかりではない。
相撲ファンをとりこにするものも埋まっている。当日、内閣総理大臣賞
授与のため来場した野田首相も「鳥肌の立つ相撲」とたたえた。
 
「鳥肌」は本来恐怖や嫌悪感に襲われたときに使う言葉だが、
首相もついうっかりするほど、白熱の大一番だったということだろう。
日馬富士の横綱昇進で一人横綱にも終止符が打たれる。
"白日時代"の始まりだ。


日中国交正常化

日中国交正常化交渉のため、北京入りした田中角栄首相は
宿舎に入って目を丸くした。1972年の9月25日のことだ。
戸外は猛暑なのに室温は自分が好む17度に設定され、
好物のバナナとアンパンまで用意してあった。

首相は秘書に漏らした。「これは大変な国に来た交渉、
掛け合い事は命がけだな」。中国側は迎げていた。
国交樹立への意気込みをひしひしと感じたという。

『日中国交正常化』(中公新書、服部龍二著)に出てくる
挿話の一つだ。交渉は何回かの首脳会議を経て、中国の
周恩来総理言うところの「小異を残して大同を求める」
ことで妥結にこぎ着ける。

それから間もなく40年だ。日本政府が沖縄県・尖閣諸島
(中国名・釣魚島)を国有化したことで中国国内で反日デモが激化。
満州事変の発端となった柳条湖事件から81年の9月18日は
125都市で行われたようだ。

国交正常化交渉の際、毛沢東主席が田中首相に言った。
「もう周総理とケンカはすみましたか」『雨が降って地が固まる
ということばあるように、議論したほうが却(かえ)って仲よくなる
ということもありますよ」

中国で働き、暮らす日本人を反日デモで「命がけ」にさせては
ならない。日中講和の精神を忘れることなく、「命がけ」でケンカ
しなければならないのは両国首脳であるはずだ。

引き際

スポーツ選手の引き際は難しい。惜しまれつつ現役を
引退する人もいれば、最後までもがき苦しんでも現役を
貫き通そうとする人もいる。どちらも、その選手のこだわりだろう。

ファンにとっても複雑な心境だ。一流プレーに魅了され、
応援し続けているが、全盛時の力がなくなり、ぶざまな姿を
さらす所を見ると悲しい気持ちにもなる。逆もある。
「まだまだやれるのに」と思っていた選手がいなくなるのは、
心に大きな穴が開いたようだ。

今年もプロ野球界では、大物選手たちが引退を表明した。
広島の石井豚朗選手は、投手から野手に転向し輝かしい成績を
残した。田口壮選手はオリックスでイチロー選手とプレーした
。阪神大震災があった1995年には日本一に輝き、大リーグの
カージナルスでもワールドチャンピオンになった。

先日は、阪神の金本知憲選手がバットを置くことを表明した。
1492試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立し、
どんな状態でも試合に出続けた。骨折しても片手一本で安打を
放った姿は多くのファンの記憶にも新しい。晩年は肩のけがで
守備の衰えが目立ったが、10年間に渡りチームに大きな財産を
残した。

スポットライトを浴びて引退する選手の一方、毎年
多くの若手が実力を発揮できずにひっそりと去って行く。
プロ野球界の在籍年数よりもはるかに長い第二の人生が始まる。
次のステージでは光り輝いてほしいと願う。

権力者のステータス

戦国の世を生き抜いた武将たちは、香木を好んだといわれる。
日本には平安の頃より、さまざまな練り香を持ち寄って楽しむ
優雅な宮廷遊戯があったが、戦いの場に臨む男たちの場合、
みやびな芳氣より、香木が持つシャープな匂いを求めた。

出陣の前には、決まって香を聞くものもいたそうだ。
独特の香りで精神の統一を図るためだ。これにより戦場でも
冷静な判断に基づいた采配が振るわれた。やがて香木が持つ
不思議な力に魅了され、武将たちは競ってコレクションした。

数ある香木の中で「天下第一の名香」とされるのが黄熟香
(おうじゅくこう)。奈良市の正倉院にある宝物の一つで、
一般的には「蘭奢侍(らんじゃたい)」の名で知られる。
過去には足利義政や織田信長、明治天皇が、その一部を
切り取っており、これを持つことが時の権力者のステータスだったようだ。

言葉の変わり

  • 2012年9月12日 20:37

テレビが普及するまではラジオが団欒(だんらん)の主役だった。
たんすの上、仏壇の脇など茶の間を見下ろす特等席に鎮座
していたが、後に携帯ラジオが普及した。

真空管がなくトランジスターとも呼ばれた。それまでのタイプより
ずっと小さかった。電源は乾電池だ。どこにでも持っていける
というのがうたい文句で、ショルダーバックのように肩掛け用の
ベルトが付いていた。

だがいま「携帯」と聞いてラジオを想像する人はいないだろう。
ほとんどの人は電話のことだと思うに違いない。言葉は時代とともに
変わり、その一部の意味だけが使われるようになることがあるようだ。

「認知」とは本来「ものごとを知ること」だが、法律では親子関係を
成立させることを指す。しかし最近では「症」を付けて使われる。
経営再建を表す「リストラ」は、その手段の一つ「人員削減」の意味だ。

「選挙」はどうか。大別すると、身近な市町村の選挙、知事や市長、
県議選、市議選そして国政選挙があるが、国民の多くは「近いうち」
と言われる総選挙を思い浮かべるのではないか。

ところが、東京永田町でいま選挙と言えば、民主党代表選、
自民党総裁選のことを指すようだ。有権者は候補者の公約や
人物で選ぶが、永田町では「党の顔」になるかどうかが基準らしい。

混迷する政局

  • 2012年9月10日 11:24

国会は8日に会期末を迎え、約8ヶ月にわたる論戦が
幕を閉じた。とはいえ、8月29日に参院で野田首相の問責決議が
成立してからはほとんど"開店休業"状態だったため
「まだやっていたの」と冷めた反応にも聞こえてくる。

現在、国会議員の関心事は民主、自民両党の党首選だ。
1年以内には必ず衆院選が行われ、10月にも召集見込みの
臨時国会で解散との観測も流れるなか、党の「顔」を選ぶ
戦いになるため注目度は高い。

民主党は野田代表が7日に出馬を表明、再選の可能性が
高いとされる。一方、自民党の谷垣総裁を取り巻く情勢は厳しく、
何人かが競い合いそうだ。

もう一つ、中央政界をにぎわせているのが橋下大阪市長率いる
大阪維新の会の国政進出問題。9日には大阪市内で現職の
国会議員らと公開討論会を開き、新党旗揚げに踏み出すようだ。
維新の会が提示した衆院選公約「維新八策」をめぐり意見が
交わされることだろう。

政治の低迷を背景に国際社会における日本の存在が
薄らいできているとの指摘がある。二つの党首選や第三極の
新党づくりでは、政治を立て直す道筋を示せるか、しっかりと
見ていきたい。
 

老朽化したダム

九州山地の雨を集めて八代海に注ぐ球磨川(熊本県)は
最上川、富士川と並び「日本三大急流」と称される。
アユが生息する清流でも知られる。

その下流に水力発電用の県営荒瀬ダムが完成したのは
1955年のことだ。戦後復興を担ったが、ダム湖にヘドロが
たまるなど河川環境は次第に悪化し、アユの遡上(そじょう)
も減った。老朽化につれダムは地域の重荷になってきた。

10年前になる。潮谷義子知事(当時)が地元住民の
要請をくんで「廃ダム」を決めた。その後曲折を経た上で、
いよいよ撤去工事が始まった。本格的なダムの撤去は
全国でも初めてだ。

伏線はあった。97年の河川法改正は、水質源開発
中心だった河川整備の目的に「環境保全」という新理念を
追加した。公共事業見直しの機運や田中康夫・元長野県
知事の「脱ダム宣言」も、ダム撤去の世論を後押しした。

廃ダムは前例のない工事である。ダム湖の体積土砂が
どう動くのか、流域に新たな環境変化を招かないか。
さまざまな面で注目される。培った施工技術と細心の配慮で
「清流回復」の先例をつくってほしい。
 
全国のダムは約2700を数えるという。治水や利水に
役割を果たしているものの、各地で老朽化や水質悪化、
土砂堆積が進んでいるようだ。第二、第三の「荒瀬ダム」
が出ておかしくない。関係者は荒瀬ダムを研究、見聞
したらどうだろうか。


 

仲良く

「 どうしても友達になれない人種がいる。小さな噓(うそ)をつく奴と、
アイアンの飛距離を自慢する奴」。米国往年の大スター、ビング・クロスビーの
言葉は単にゴルフ好きが高じてライ バルを皮肉ったものではないようだ。

裏を返せばスコアをごまかすような姑息(こそく)はやめて謙虚に正直に、
そ して俺の方が強いんだなどと意地を張らず、見栄を捨てれば人は
自然に集まってくる。志を同じくする もの同士なら、遠く離れていても
心は通じるはず。未来志向で共に喜びを、分かち合えるというものだろう。

このところどうしても頭から離れない。日中韓をめぐる不協和音である。
竹島 (韓国名・独島)の領有権問題について、国際司法裁判所への
共同付託を求めた日本側の提案を韓国側が 正式に拒否すると通告した。
事態はまたもや暗礁へ。関係はさらに悪化の様相だ。

韓国人も中国人も、本当に「反日」「抗日」と怒り心頭なのだろうか。
中国と 日本は今年、国交正常化40年。友人をいっぱい作ってきた。
韓国の若者だって日本に友達がいるはずだ。 互いの顔を思い出して
ほしい。そして語り合ってほしい。それを政府間に是非、お願いしたい。

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