Home > Archives > 2012年7月 Archive

2012年7月 Archive

真の政治家

英国の名宰相チャーチルといえば、二十世紀の保守主義を代表する
政治家だが、若いころは選挙で幾度か苦汁をなめた。三十三歳で
商務長官になった直後に、落選したこともある。

所属する保守党が保護貿易主義的な関税政策を打ち出した時は、
反対して党内で孤立し、野党の自由党に鞍替えした。自由党員として
古巣を批判して曰く(いわ)く。<保守党というのは政党ではない。
あれは共謀そのものである>と。

三年前の夏、総選挙で国民の多くは民主党に「政党」の姿を期待した。
広辞苑を引くと、政党とは<共通の原理・政策の実現のために、
政権の獲得あるいはそれへの参与を企画する団体>とある。
 
明確な公約は示さず、当選すれば白紙委任されたかのように振る舞う。
派閥抗争に明け暮れ、政策は官僚機構に丸投げ。そういう旧来の
自民党型政治ではなく、新たな政党政治が見られるはずだった。

チャーチル流に言えば、民主党は既に政党ではなく共謀のかたまりだ。
共通の原理・政策という政党の柱を失い、ただ政権にしがみつくという
共謀関係でしかない党が分裂するのは当然ともいえる。

チャーチルはこんな言葉も遺(のこ)している。<とんでもない数の嘘が
世間に出回っている。最悪なのは、嘘の半分が真実だということだ>。
増税だけは決まり、福利が見えない「社会保障と税の一体改革」
など、その好例ではないかと思う。

 

産業の空洞化

日本のはるか先に「産業の空洞化」が言われてきた米国で、
一旦中国に移転した工場をまた本国に呼び戻す現象が起き始めた
と先日、NHKテレビが伝えていた。日本でもやがて同じような動きが
出るのだろうか。

これはたくまざる「自然回帰現象」というものであろうか。
コスト削減を求めて人件費の安い国に生産拠点を設けるというのは
先進国の大中企業における"常道"となったが、その先例を作ったのが
米国だった。その"伝染"を怖れる論評がわが国の経済紙誌などで
頻繁に登場するようになった頃、まさかその時期が意外に早く
やって来ようとは思わなかった。

なにしろアパレル、精密、電機部品などの受託加工が地方でも
成り立っていた当時だからである。だが、激しい価格競争にさらされると
"企業ナショナリズム"などもろいもので、人件費が日欧米などと比べて
格段低い中国への"脱出"がどんどん加速し、日本でも産業の空洞化
というまさかの事態が社会問題化するようになってしまったのは
周知の通りだ。

中国が「世界の工場」となる一方で、先進国の経済発展が急速に
停滞化するようになったその反省が生まれるのは当然だが、米国企業の
"本土再上陸"は、反省というより中国での人件費が高騰し、労働争議
なども頻発するようになった現象に嫌気がさしての撤退のようだ。

しかし中には米国生まれのオリジナルが中国産と知って消費者が
反発したことを受けて原点に還した企業もあり、"迷走"は企業理念を
失ったからこそ起きたとも言えそうだ。


サッカーJリーグ戦

サッカーJ1のリーグ前半戦で成績不振のために、5人の監督の
クビがすげ替えられた。「プロだから結果を出すのは当然」という声も
あろうが、素人目にはあまりにもせっかちに映る。チームの状況次第
で長い目も必要ではないだろうか。リーグ最長5シーズン目の
手倉森誠監督率いるベガルダ仙台が、首位で折り返す快進撃を
見るにつけ、その思いを強くする。継続は力なりだ。

「監督がぶれずに同じメッセージを発信していけば、選手は、
『ことしもあの感覚でやればできるな』と思うはず」。ガンバ大阪の監督を
10年続け、優勝経験もある西野朗神戸監督がこう語っている。
手倉森さんが「堅守速攻」という種をまいて辛抱強く水をやり、戦術の剪定
(せんてい)を行った結果、昨季から目に見えてチーム力が進化してきた。
メッセージが分かりやすいだけに、浸透しやすいのだろう。

人心掌握術にもたけている。時に厳父、時に兄貴分となり、選手の個性を
上手に引き出している。今季は震災の経験を糧に、チームが一致結束
しているのも大きな強みだ。明日から(14日)の名古屋戦を皮切りに
後半戦に突入する。運動量が求められる今の戦い方ではスタミナ切れが
心配だが、復興への思いを推進力に、このまま独走してほしい。
                                    
テレビで観戦しながら、まったくの素人だがついつい被害者の希望を乗せて、
今シーズンはベガルタ仙台を応援している。

党名

日本人は「新」という文字に弱いといわれた。
細川内閣成立に至る新党ブームの時である。核となった
日本新党、新生党、新党さきがけのいずれもが、党名に「新」
の字を入れていた。

その17年前。河野洋平氏らの新自由クラブブームの鮮烈な印象が
背景にある。政治への理想を「新」の文字にかけた気持ち、
思うべしだが、新進党への結集、解党を経て色あせた。

自由党、改革クラブ、国民の声、新党みらい、太陽党、などの
混迷期を経て原点回帰の民主党へ。政権交代を挟んで再び分裂、
地域政党台頭の時代を迎える。

今度は、国民の気持ちに近づこうとする意図が濃厚。「たちあがれ日本」
「みんなの党」は、この指止まれと呼び掛けている。目的をより具体的、
分かりやすく党名に盛り込む「減税日本」など地域政党も、趣旨に賛成なら
違いを乗り越え一緒にやろうということだろう。

小沢一郎氏は新生党、新進党、自由党と、その時代の国民の気持ちと
一体の党名を掲げ、政治の中心に居続けた。自民、民主二大政党の間で
埋没確実と言われた平成12年総選挙で、殴られカツを入れられる
テレビCMで息を吹き返している。

それに劣らぬ危機の中で、党名を「国民の生活が第一」に船出した。
マニフェストのキャッチフレーズを使われ、民主党は背景用のボードを
裏返すなど大わらわだ。輿石幹事長が新しいのを考える」という。
 
かって岡田克也副総理、中川正春防衛相が属した「国民の声」は、
一説では「国民の声を代表して」と、国会質問で切り出せるから
党名にしたという。やすやす埋没する相手ではなさそう。

  
 

勝負の世界

  • 2012年7月13日 10:40

「剛」と「柔」、「動」と「静」の際立った個性の違いの衝突が魅力だ。
どちらが欠けても魅力は半減以下にしぼむ。将棋は、「升田・大山時代」
(昭和23年ー54年)後は興味を失ったが、羽生善治王位・棋聖が、
かって感嘆した大山康晴十五世名人の通算タイトルを獲得数八十期を
更新された。続く中原誠十六世名人が六十四期。森内俊之名人などは
十期というからケタ違いの強さだ。

27歳年上の米長邦永世棋聖が最年長名人となった平成五年、
NHKで「羽生さんのおかげ」と言っていられた。「19歳の挑戦」の題で
新聞に載った羽生二冠の「勝負の世界で『これでよし』とする消極姿勢に
なるのが怖い。そこでストップし、後退が始まる」の下りに感銘した。
自分の長所のはずの「経験の差」が実はかわし業など、勝負を避けて
勝とうとする消極さだと反省。若手研究会を組織し、46歳で将棋を
一から学び直される。

50歳で名人位を獲得できたのはその努力に対する「将棋の神様の
ご褒美」といわれた。それまでの米長将棋はゆがんだ駒組で勝つ
勝負強さがあり「泥沼流」と言われた。安定度が増した反面、何を
してくるか分からぬすごみも消えた。知識必ずしもプラスにあらず。
「将棋巧者はほめ言葉ではない」と河口六段は言われる。

大山十五世名人は座っただけで対局者を萎縮させたという。
歴戦の古つわものの将棋観を根こそぎ変えてしまう羽生二冠の
すごさも底知れない。

駅舎

久しぶりに東京駅へ行って驚いた。工事の覆いが取れ、
タマネギのようなドームをはじめ復元された駅舎が姿を
現していたからだ。赤レンガに白い窓枠がよく映える
堂々たる威容にしばし目を奪われた。
尖塔(せんとう)などの装飾が豊かで、ヨーロッパの町にでも
迷い込んだような光景だ。

1914(大正3)年の東京駅開業時の建造で、日銀本店などを
手掛けた建築界の重鎮、辰野金吾先生の設計だった。
45年の空襲でドームや3階部分が焼失。今回の工事が始まるまで
半世紀以上の"仮設"状態だったといえよう。

駅の復元といえば、東京スカイツリーのお膝元、東武鉄道
浅草駅も話題だ。約80年前に建てられた7階建て駅舎は
74年の改修でアルミ材の外壁で覆われていた。これを取り去って
シックな外観と時計塔がよみがえった。

どちらの駅も、町の中心的存在だった駅という存在を当時、
いかに大事なものかと思っていた証拠ともいえよう。ひるがえって
昨今の駅舎といえば、なんとも貧相な建物ばかりに見えるのだが。

新幹線の駅は駅名の看板を外せばどこだか分からなくなるような
ものばかりだし、善光寺を意識したのか寺院風で趣のあった
旧長野駅などもとうに壊され、コンクリートの箱になった。

たかが駅舎と侮るなかれ。駅はその町の玄関だ。
降り立ったときに、おやっ、いい雰囲気だな、と思わせれば、
町への印象も変わってくる。地域のシンボルにふさわしく、
誇りを持てるような駅舎のデザイン、たたずまいを考えてみては
どうだろうかと、昔を振り返って偲ぶ一人だが。

 

学ぶ

人は「学ぶ」という言葉に一生向き合っていく。
母親の胎内にいるときから学習が始まっているともいえる。
だが、学んだつもりでも忘れてしまう。特に人生勉強では、
その傾向が強いようだ。

心理学者であり、文化庁長官も務めた故河合隼雄さんの
「生きること・学ぶこと」と題した講演内容は興味深かったことを
思い出す。。「いやいや勉強したものは身に付かない。
学んでいて楽しくなかったら本当に学んでいないのだ」と。

河合さんがそう得心したのは孔子の「論語」に出合ったからだ
といわれた。「之(こ)れを知る者は、之れを好む者に如(し)かず。
之を好む者は、之を楽しむものに如かず」。

学んでいる者より、好きだと思っている者が、好きだと思って
いる者よりも、楽しむものが一番上だという意味である。
楽しむ中で知識が身に付けば、こんなうれしいことはない。

同時に河合さんは「苦しみ伴わない楽しみは偽物だ」と忠告される。
学びとはまさに「苦楽」を共にすること。苦しんで難問を解いたときの
爽快感が忘れられない。一つの務めに苦しみもがいて、喜びを
勝ち取りたい。それが勇気なのだ。
 

Index of all entries

Home > Archives > 2012年7月 Archive

Search
Links

ページ上部へ戻る