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2010年2月 Archive

花粉症

やっと布団から出るのが楽にんったと思ったら
まぶたが何だかおかしい。おまけに鼻も詰まっている。
さては、と開いた朝刊の花粉予報に「やや多い」とあった。
気の重い季節が巡ってきた。

今年のスギ花粉の飛散量は、例年より少なめと予測されている。
夏に雨が多く、日照不足で花芽の成長が抑えられたためらしい。
つらい症状に悩む人には朗報である。

日本で初めてスギ花粉症が報告されたのは1964年という。
東京オリンピックの年だ。それから経済成長のカーブを追うように
患者の数も右肩上がりに増え続ける。
今や4人に1人を上回った、との調査もある。

ただスギのせいだけでなく、住まいや食べ物の欧米化がある。
大気汚染もある。人がアレルギーを起こしやすくなった。
温暖化によっても花粉の量は増える。
経済活動との浅からぬ因縁が見えてくる。

全国的に大量の花粉が飛んだ5年前、そのあおりで
実質GDPが6800億円あまり減った、という試算がある。
対策グッズの特需があったものの、外出や旅行の手控えが響いたらしい。
逆に飛散が少なければ、景気にプラス。
長患いの床から起き上がろうとしている日本経済にとっても
花粉予報は人ごとではないと見るが。 

(M.N)

カーリング

ヤー!イェップ!」「ウォー!ウォー!」。
氷のレーンに大きな声が飛び交う。
バンクバー冬季五輪のカーリング女子で
日本代表の「チーム青森」が奮闘している。
一発逆転の絶妙ショットが次々と放たれるから、目が離せない。

漬物石のようなストーンを40メートル先の
約直径3・7メートルの円中心目がけ滑らせる。
相手の石を円からはじき出したり、防御用に手前に置いたり。
「氷上のチェス」と呼ばれるが、おはじきやビー玉遊びを連想する。
15世紀にスコットランドで生まれたらしい。

冒頭の「ヤー」は「掃け」。「ウォー」は「掃くな」の合図という。
この掃き具合で、石の停止位置が変わるから必死なのだ。
カーリングでは技だけでなく、対戦相手を思いやることが大切とされ
その「カーリング精神」は選手宣言の決まり文句にもなっている。
相手のミスを喜ぶなどもってのほかだ。

競技の母国、対英国選で日本は好ショットを連発した。
最終エンドのプレーを放棄して英国は日本に握手を求めた。
潔いギブアップぶりは、さわやかで品格すら漂っていた。

(M.N)


転落事故

何年か前、深夜の新幹線ホーム。
前を会社員ふうの男性が千鳥足で歩いていた。
ふらっとホームから落ちそうになったが
運よく持ち直し、事なしにすんだ。
肝を冷やしたのはこちらの方だが
もし転落していたら自分に何ができたろう。

先日、JR中央線高円寺駅ホーム。
酒に酔った女性が線路に転落。たまたまそばにいた
若き男性が線路に下り、着を失っていた女性を
レールの間に寝かせた直後、電車が通過。
男性の機転とわずか20センチのすき間のおかげで
女性は転落時の軽傷ですんだ。

二人とも無事だったが、一つ間違えば逆もあり得た。
レール上にあった女性の手足を
レールの間にそろえて安全を確保した時
電車は目前に迫っており、男性は機敏に
ホーム下の待避所に逃げた。

JR東日本の安全体制や駅員が
どう対応したかが気になったが、表彰は翌日で手早かった。
男性は、「考えて行動したのではなく、とっさに体が動いた。
自宅に帰って冷静になり、あらためて恐怖感がよみがえってきた」
と話した。

誰にでも起こりうるケースだが、誰もができることではない。
それなのにどこにでもいる普通の市民という印象で
テレビに映った笑顔もさわやかだった。

人知れず人を救ったり、道に迷い
何かにつまづいて困っている人にさっと手を差し伸べる人。
そんな心温まる人間になるよう、遠い昔の小中学校時代の先生
亡き父は教えてくれたのだが。反省している。

(M.N)


  
 

立松和平さん

昭和期に行われた法隆寺大修理の際の話だが
屋根を支えたいた建材などは曲がって朽ちたように見えたが
数日で元の形に戻り、カンナで削ると品の良い香りがしたそうだ。 

宮大工の棟梁・故西岡常一さんはヒノキの命について語っていた。
まな弟子の小川三夫さんは思ったそうだ。
約400年後に来る次の大修理では
「改修に使えるヒノキの大木が今のままでは国内にない」と。

法隆寺では正月に修生会(しゅしょえ)が行われる。
毎年参加する一人に作家の立松和平さんがいた。
小川さんと知り合って話を聞いた立松さんは
ヒノキの苗木を植えて不抜の森を作り
時代を超えて育ててもらおうと思い立たれた。
栃木県出身の立松さんは、1996年から足尾銅山跡で
地元の人と一緒にサクラなどを植樹してこられた。
銅山跡には今、緑が戻りつつあると聞く。

林野庁が動いて国有林を使った壮大な事業が
2002年に京都の鞍馬山でスタートした。
「古事の森」と名づけられた。法隆寺だけでなく
各地の伝統木造建築の改修で使うことを想定しているそうだ。

足尾での目標100万本を植えるには100年以上かかる。
そのころ「古事の森」ではヒノキが幹の太さを増しているだろう。
「木の景色を、木の文化を、みんな守って生きたいね」。
素朴な語り口を思い出す。先日62歳で亡くなられた。

(M.N)

バンクーバー冬季五輪

 身近に置いたり、身につけていたりすると、幸運をもたらすとされるマスコット。いまでは大きなイベントにはつきもののようになったから、記憶にはなかなか残らない。

 五輪では東京や札幌のときはまだなかったように思うが、長野はフクロウの子どもをイメージした「スノーレッツ」だった。国内はまだしも外国での開催となると、五輪マスコットに関心のある人らを除けばまず覚えていないだろう。

 バンクーバー冬季五輪。公式マスコットは3体あるそうだ。茶色のあごひげを持つ人間に似た動物の「クワッチ」をはじめ、いずれもカナダ先住民の神話や伝説に基づくという。

 カナダは人口の8割近くを英仏など欧州系が占めるが、先住民のほか多くのアジア系も暮らす多民族国家。むろん、先住民は長く差別に苦しんできたし、言語や文化をめぐって根深い対立も続いてはいる。それでも看板の「多文化主義」は色あせていない。

 史上初となる屋内の開会式だったが、そうした文化の多様性をアピールされた。考えてみれば、五輪は民族や文化などの違いを超えて世界の競技者が集う祭典。選手村などはちょっとした多文化共生の場といってよい。

日本人選手の活躍を期待するとともに、「よりよき、より平和な世界の建設への寄与」という五輪憲章の精神がバンクーバーの地でさらに深まってほしい。

 友人のお嬢さんがカナダに永住されているが、久しぶりに喜ばしい、嬉しい毎日を迎えられると連絡があったそうだ。五輪中に得た多文化についてのお話を機会があったら伺いたいと願っている。

(M・N)

予算委員会

やじを飛ばす方も、むきになって言い返すほうも
どっちもどっちじゃないかと思う。
先日、参院予算委員会で答弁中の大臣が
やじを飛ばした議員に向かって「うるさい」と発言し
問題になった。

意見の異なる相手でも、きちんと話を聞いた上で
反論するのが討論の基本。
テレビの討論番組でも良く見かけるが
相手の話をろくすっぽ聞かず、言い負かそう
やり込めようとするだけの姿は見苦しい。

地方議会では、野次が飛び交う場面は少ない。
議員と執行部が質問と答弁の内容を
事前に打ち合わせている例が多いことが
関係しているのかもしれない。

それはそれで、議会をシナリオ通りの
面白みのないものにして、
市民の政治離れにつながる問題があるのだが・・・。 
ぜひ、国会の場で、本当の意味で
活発な討論の手本を見せてほしい。 

(M.N)

土俵外の出来事

土俵外の出来事で今週は2回も驚かされた。
貴乃花親方が日本相撲協会の理事選で予想を覆して当選
その3日後の立春の日に
今度は横綱・朝青龍関が引退を表明した。

引き金になったのは、初場所中に泥酔し
知人に暴行したとされる問題だ。
相次ぐ不祥事に相撲協会もようやく動いた。
土俵際に追い詰められた横綱は
持ち味の粘り腰を発揮することなく相撲人生に終止符を打った。

「悔いは一切ない」「けじめをつけた」。会見のときに
笑顔を見せたのは意地かもしれない。だが無念さは隠せない。
モンゴルの草原を駆け回っていた少年が来日して13年
「一番の思い出は」と聞かれると、切れ目の目に涙が光った。

言動の数々に品格を問う声はあった。
だがその強さは別格だった。
ヒール(悪役)としてもファンを魅了したが
暴行が事実なら品格以前の問題である。
歴代3位、25回の幕内優勝に自分で泥を塗り
ファンも裏切ったことになる。

印象的だったのは、ライバルの引退を語るときの白鵬関の涙だ。
「やり残したことがあるんじゃないか」と気遣ったのは
言葉や習慣の違いに戸惑い
苦労を重ねた故国の仲間だからだろうか。

朝青龍関の退場は角界にとって大きな痛手である。
ファンの相撲離れは避けられない。
横綱人気に頼り、甘えを増長させた相撲協会は
土俵の中に注目が集まるように変革してほしい。

(M.N)


 

国会審議

2010年度予算案に対する国会審議が始まった。
命を守るために与野党ともに身のある論議を展開し
国民生活、景気回復につながる施策に結び付くような
予算措置をお願いしたい。その実現こそが
施政方針に揚げた鳩山首相の理念だろう。

09年度補正予算が成立し、川崎市にも予算措置が行われたが
審議過程は褒められるだろうか、考えさせられる。
報道には、「国会崩壊」「学級崩壊」の見出しが躍り
尋常ではなかった様子が 伝わった。

国会中継をテレビ放映で見ていて
「政権交代してもヤジは変わらないなあ」と感じた。
いくら予算委員長が注意喚起したところで、収まらない。
閣僚がヤジられるのは常としても、閣僚席からヤジが飛んだり
「うるさい」「くだらん質問には答えられない」では節度もなく
国民の手本にもならない。
 
守るのは「生まれる」「育つ」「働く」「世界」「地球」命で
インドのマハトマ・ガンジーの「七つの社会的大罪」を問い
行動することが必要だという。
 
理念なき政治は失格とはいえ、具体性を欠く政策では
国民の理解は得られない。今日は節分、「鬼は外、福は内」と
言語明瞭で分かりやすい国民の命を守る豆を
国会からまいてほしいと願いたい。
 
わが家でも、今では今年こそ幸多き年にと願いを込めて
災いをもたらすさまざまな”鬼”を追い払う年中行事としてすっかり定着した。
長引く不況に閉塞感、政治とカネ、年金、雇用問題など、あちこちで
”鬼”が暴れ回っているだけに今年は「鬼は外」の大声に合せて
力いっぱい、孫と一緒に豆をまくことにしよう。
「福は内」の願いが届くことを期待しつつ。

(M.N)

経済大国

日本に世界第二の経済大国という看板を
そろそろ下ろす時がやってきた。
後ろから猛追してきた中国が真後ろに迫り
間もなく抜き去られそうだからである。
その悔しさを日本財界は噛みしめながら
次の手を模索しているようだ。

1991年から始まったといわれる「失われた十年」後も
経済は一時的回復を見せたものの、快癒にはほど遠く
いまなお低迷が続いている状況は
「失われた二十年」への延長を思わせる。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられた
八〇年代の栄光がまるで嘘だったかのように暗転、凋落した
九十年代の悪夢と、訣別し、夢よもう一度と
不死鳥のように蘇る青写真を描いた日本経済再生計画は
つまるところ政治の無策によって頓挫し
日本経済は不況の長いトンネルから抜け出せないでいる。
そこに追い討ちをかけたリーマン・ショックで
自信喪失状態なのが今の日本だ。

「世界の工場」として下請け加工と輸出の両面で経済力を付け
なお8%台の成長率を維持している中国が
GDPで日本を追い抜くのはもはや時間の問題となり
日本はいやでも脚力の衰えを感じざるを得ない状況だ。
だが、日本の技術力は決して失われたわけではない。

大横綱双葉山は中国の古典「荘子」にある「木鶏」を目指した。
まるで木で作ったかのように見える闘鶏だ。
相手の姿を見ても興奮したり、虚勢を張ったりせず
何事にも動じることがない。
そんな木鶏の境地は確かに理想の姿ではある。

国や企業などにとっても同じだろう。とはいえ
どういう事態に対しても不動の心で当たるのはかなり難しい。
格下に見ていた相手が急激に力をつけてきた場合には
焦りやねたみなどから要らぬ敵意をかき立ててしまうことがある。
「不動心」だ。

(M.N)

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