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2012年3月 Archive

武道の必修化

中学1,2年の保険体育で2012年度から男女とも武道が
必修化される。生徒が武道を通じ心身ともに鍛えられるのは
望ましいことに思えるが、賛成意見ばかりではない。
  
文部科学省が全国940校を対象に行った調査では、柔道を
選択科目として実施予定の学校が64・1%で最も多く、剣道
37・6%、相撲3・4%と続く。柔道はけがを懸念する声が多く、
安全を重視した対応が求められている。

中学のころ、わずかだが授業で柔道に触れる機会があった。
生徒の中で厳しいと恐れられていた経論が指導に当たり、
まず「受け身3年」と教わった。

後ろ受け身、前受け身、横受け身、前回り受け身を繰り返し練習し、
畳をたたく腕が赤くなり痛かった。投げ技も習ったが、痛さとともに
学んだ受け身の方が忘れ難い。その前にも後にも武道を
体験したことはなく、貴重な機会だった。

「人に勝つより自分に勝て」は柔道の創始者・嘉納冶五郎の言葉。
武道そのものが悪いわけではない。その精神に触れることで
得られるものは多いはず。安全の上に成り立つ貴重な経験の場に
なることを切に願いたいものです。
 

学生の部屋探し

今春、初めて親元を離れ大学生活を送るという若者も多いだろう。
この頃、1人暮らしの準備に追われる親の大変さを耳にする。
若者は期待を膨らませるのだろうが、親にすれば気苦労と
出費が膨らむ。

4畳半ぐらいの部屋だった。真ん中には木箱を2個並べた。
テーブル兼机だった。あちこちに波打っていた。50年余り前の
大学時代の部屋だ。寝床は押入れの上段で、書籍などを下段に
収納した。家具と木箱のほかは見当たらなかった。殺風景な暮らし
だったが、質素・倹約の実を挙げていた。

今の部屋探しは、ゆったり過ごせる物件に関心が集まるようだ。
家具や電化製品も一式買いそろえる。新生活に不便がないか
親の心配は絶えない。50年前の4帖半程度の生活環境に
比べれば、まったく別世界に思える。

もしも父親が仕事の関係で単身赴任が決まれば、荷物の量は
必要最低限だろう。こちらは子供よりもずっと身軽なものの、
家族を支える経済的な負担の方は時代と共に、一層ズシリと
のしかかる。

ジェクト株式会社で建設中だったシェアハウスの完成内覧会の
案内状が送付されてきた。現代にマッチした新しい賃貸建物のかたちで、
敷金・礼金がなく快適なシェア生活を送れるとの案内だ。
是非、見学したい。

謙虚さと優しさ

作家の司馬遼太郎さんが好んだ言葉に「原型」がある。
例えば「ロシアについて」という本で、こう書いていられる。
「その国が、国有の国土と民族と歴史的連続性を持っているかぎり、
原型というものは変わりようがない、と私はは思っている」。

ロシア人は一般に人が良いという。ところが国としての
ロシアは「過剰なほどに大砲ががすきで、無用なほどに
防衛本能がつよかった」。そこに、歴史の中で異民族の攻撃を
受け続けたロシアの原型を、司馬さんは見る。

一方でロシアはシベリア各地に学校を建て、先住民の子どもらに
教育の機会を与えた。そこから学者などの才能が育った。
獲得した土地に学校を建てるロシアの文明の「型」と指摘する。

それでは日本の原型は。一つは江戸期から明治末期の日本が
諸外国に示した「謙虚さ」だと、司馬さんは書く。言い換えれば、
自分を知り、自分と他者の良い点や立場を認める精神である。

震災では、冷静に助け合う日本人の姿が世界を感動させた。
自分に何ができるかを考え、被災者に心を寄せる。
その表れが「絆」の言葉だろう。優しさも原形だと思いたい。

被災地のがれき受け入れで、意見が対立している。
本はといえば原発の「安全神話」に寄りかかった結果だ。
安全を確かめた上で分かち合う道がないものか。
過ちを見詰め、何ができるかを考える謙虚さと優しさを、
私たちは変わらずに持っているはずだと思う。

あさま山荘事件

「あさま山荘事件」と聞いて、テレビにかじりついた冬の日を思い出すのは
50代以上の世代だろう。日本の犯罪史上に例のなかった事件から
40年が過ぎた。

振り返ると、1972(昭和47)年は戦後史の一つの節目の年だ。
沖縄復帰、佐藤退陣と田中政権発足、日中国交回復。戦後の
いくつかの課題が前進し、政治の主役が交代した。そんな年に
最も耳目を集めたのが、2月28日のあさま山荘をめぐる連合赤軍と
警察の攻防だった。

69年の東大安田講堂封鎖解除を境に、学生運動は急速に
しぼんでいく。一部が追い詰められて行き着いた先が軽井沢の山荘。
管理人の妻を人質に籠城して10日目、警察が山荘に強行突入。
人質は無事保護され、5人の犯人が逮捕された。

特筆すべきは、突入の様子がテレビで生中継されたこと。
鉄球による壁の破壊に始まり、ライフル銃を撃つ犯人との攻防は
8時間に及んだ。その一部始終が生の映像として茶の間に
届いた。視聴率は89,7%だったそうだ。俗に言えば、
脚本のないスペクタクルに息をのんだということになろうか。

程なく、山岳アジとで起きた「総括」という名の凄惨(せいさん)な事実が
明らかになる。彼らを駆り立てたのは何だったのか。一つの思想の結末、
異常な心理が招いた猟奇(りょうき)事件・・・。さまざまにいわれたが、
40年を経た今も明確な答えは出ていない。
東大合格発表の時期にふと思い出した。


 

なでしこ ジャパン

国際大会なのに観客席がなかったり、観客席はあっても
観客がほとんどいない試合場からの中継に「なんじゃこりゃ」と
毎度思ったが、そんなことはすぐに忘れさせる「なでしこジャパン」
の戦いぶりだった。

ポルトガルで行われた女子サッカー「アルガルベ杯」で
日本代表は準決勝した。最後はドイツに惜しくも敗れた。
世界勢力地図の中心部になでしこたちがいることを示すには
十分な結果だった。

国際サッカー連盟(FIFA)のランキングでいうと、ドイツは2位で
日本は3位だ。1位は米国。日本は最高峰のワールドカップ(W杯)を
昨夏に制したのに、、なんか変だなあ、と素人ながら
思わないでもなかった。

W杯をフロックとみる空気が一部にあったのだとしたら、
今回の準優勝で日本に対する評価は確たるものに変わる。
準決勝で米国に勝ち、決勝は2点先行されながら最後の最後まで
くらいついた。

劣勢でも下を向かない戦いぶりと、世界一といわれるパスの
つなぎ方に、磨きがかかった。「自分たちがどのくらいの位置にいるか
確認できた」(大野選手)との分析が頼もしい。体調不良の沢選手を
欠きながらもここまでやれた自身も大きい。

五輪ではもう一段上のサッカーを目指すというからいよいよ頼もしい。
日本に初めて敗れた米国チームからは「日本のサッカーは世界の
手本になる」「私たちももっとうまくならないと」との声が聞かれそうだ。

雛祭り

女の子の健やかな成長を願って飾られた雛人形の前でひし餅や、
ハマグリのお吸い物などをいただき、お祝いする家庭が多い。
「桃の節句」とも呼ばれ、雛壇最上の白酒の徳利に桃の木が
挿(さ)される。

現在の雛祭りの原型は室町時代にできたといわれるが、
庶民の間にも広がったのは江戸時代。桃の節句は江戸幕府が
季節の節目として定めた式日の一つになった。節句は五つあり、
ほかに1月7日は七草、5月5日は菖蒲(しょうぶ)、7月7日は
七夕、9月9日は菊の節句と呼ばれる。

季節の節目としては中国で生まれた二十四節氣もあるが、
節句には骨休みと特別な草花木を飾ったり物を食べて
お祝いする要素も含まれる。例えば男子の祭りの菖蒲の節句では
鯉幟を(こいのぼり)立て、ちまきや柏餅を食する。
菊の節句は菊花を飾るだけでなく菊酒を飲む習慣があった。

節句は農作業とも密接に絡み、休息して病気、邪気、害虫を除く、
払う行事なども付随する場合が多い。そして、桃と菖蒲の節句には
未来を担う子どもの成長を願い、期待する家族や地域の暖かい
気持ちを感じ取れる。拙宅でもささやかな膳を準備し家内と、
3歳になる孫の成長を願った。

 

春一番

  • 2012年3月 1日 09:17

昨年11月に天皇陛下が気管支肺炎で御入院されたとき、
宮内庁は「ご疲労が相当蓄積し・・・」と説明した。それでも陛下は
病室にパソコンを持ち込み、式典で皇太子さまが代読する
あいさつ文を自分で作成されたそうだ。

無理をしてでも務めと向き合おうとされる。周辺の人は
「元来きまじめすぎるほど、きまじめに公務を果たされてきた」と言う。
国民と接する機会を大切にする姿勢は一貫して代わることがない。

国事行為や式典出席、宮内行事など陛下の務めは多岐にわたる。
1年間に900件以上の内閣の文書に署名・押印し、行事への参加は
200回を越える。園遊会などの前には出席者の資料に目を通して
声をかけられる。
 昨年は東日本大震災の被災地訪問が加わった。7週続けて
各地の避難所を回り、皇后さまと一緒にひざを折って被災者と
語り合われた。国民と悲しみも共にする「象徴天皇」をあらためて
実感させられた。

心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた。9年前の前立腺がん
摘出以来の手術だった。1年前の検査時に比べ狭窄(きょうさく)が
やや進行していたという。今後の公務を支えるための手術でもあった。

78歳で陛下ほど忙しい方は民間でも少ない。公務の負担を減らす
きっかけになされたらと思う。両陛下だけの時間をもっと持って
いただきたい。国民の願いだ。順調なら2週間ぐらいで御退院されるようだ。
その時に見られるはずのお二人の笑顔が、列島にまずは春一番を運ぶ。

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