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世界の平和を願いたい

作家の向田邦子さんの父は大酒飲みの癇癪(かんしゃく)持ちで、
家では「バカ野郎」の罵声や拳骨(げんこつ)が絶えなかった。
そんな父が終戦の年の4月、疎開する幼い妹に自分の宛名を書いた
おびただしいはがきを持たせた。「元気な日はマルを書いて、毎日1枚
ずつポストに入れなさい」と。妹はまだ字が書けなかったからだ。

そのうちはがきが届かなくなり、母が迎えに行った。妹は百日咳
(ひゃくにちぜき)を患い、虱(しらみ)だらけの頭で寝かされていた。
妹が帰ってくると、父は裸足(はだし)で表に飛び出し、瘠せた妹の
肩を抱いて声を上げて泣いたいう。向田さんのエッセー集
「眠る盃(さかずき)から引いた。暴君に見えても、心は子への
心配でいっぱいだったのだ。
 
向田さん親は無事に子供と再会できたからまだいい。
この時から1年ほど前、沖縄の子どもたちが疎開船「対馬丸」に乗って
那覇港から鹿児島へ向け出航した。米軍が迫ってきたためだ。
が、途中で米潜水艦の魚雷を受け沈没する。それが1944年
一昨日(8月22日)の夜だった。

疎開船には学童738人と教師、付き添いら合わせて1747人が
乗っていた。暗い海中に投げ出され、力尽きて次々と水中に姿を
消していく。生存者は227人。このうち学童は59人だけだった。

本土でしたいことがいっぱいあったはずだ。希望に満ちた
子どもたちの命を理不尽な戦争は一瞬にして奪った。子どもたちの
恐怖と苦痛。、わが子を殺された親たちの悲しみを思うと、
戦争を憎まずにはいられない。日中韓で危険な国益主義が
高まっている折だけに、ことさらだ。

 

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