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2010年1月 Archive
西半球の小国ハイチ
- 2010年1月30日 09:18
- M.N氏の岡目八目
カリブ海の小国ハイチの大地震から半月たったが
目を覆いたくなるような惨状が日ごとに明るみになっている。
死者は20万人に達するとも伝えられる。
しかし正確な数は誰にもわからないといわれるところに
想像を絶する破壊力とこの国の実情がのぞく。
その一方で破滅的な被害を受けた首都ポルトープランスでは
がれきの中から奇跡の救出が相次いだ。
地震発生から72時間を過ぎると
生存率は急激に低下するとされるが
8日ぶりに5歳男児、11歳と14歳の女児が助け出されたほか
11日ぶりに救出された20代の男性もいた。
暑い地域であることや建物の構造が奇跡をもたらした
と専門家はみる。
「米国の裏庭」と呼ばれるハイチには
その米国を始め世界各国の救助隊がいち早く駆けつけた。
日本政府も国連平和維持活動(PKO)に
300人規模の自衛隊の派遣を決めた。必要なことだ。
医師や看護師から成る国際緊急援助隊も先週、現地入りした。
西半球で感染症の宝庫の代名詞でもあるハイチを最も知り
ハイチで医療活動に従事された長崎大熱帯医学研究所の
山本太郎教授も加わっていられるそうだ。
一人でも多くの命を救ってほしいと祈願する。
(M.N)
日比谷公園
- 2010年1月28日 09:09
- M.N氏の岡目八目
皇居の南側にある日比谷公園は
1903(明治36)年に開園した日本初の洋風近代式公園。
噴水や木立の中を巡る小道、音楽堂・・・。
いろいろなイベントも開かれている。
100年を超える年月を重ねた公園は、歴史の舞台ともなってきた。
1905(明治38)年には日露戦争後の
ポーツマス条約に反対する集会が開かれ
暴動へとつながった日比谷焼き打ち事件が起きた。
公園南東にある日比谷公会堂。
ここでは日米安全保障条約の改定に反対する
安保闘争があった1960(昭和35)年10月
社会党の浅沼稲次郎委員長が立会演説会中
右翼少年に刺殺された。
都心の憩いの場として親しまれながら
重い歴史を見てきた日比谷公園だ。
日比谷公園には約一年前、「年越し派遣村」ができた。
格差社会を浮き彫りにした村は
日本社会が抱える問題の象徴ともなり
昨年の政権交代への流れにもつながった。
通常国会も始まったが、新政権には
”戦う”べき相手を見誤ることのない実のある論議を求めたい。
散歩しながら、数々の歴史を振り返ってみた。
(M.N)
センター試験終了
- 2010年1月22日 08:53
- M.N氏の岡目八目
新型インフルエンザへの厳戒態勢のなか
本年度の大学入試センター試験が終了した。
不況による国公立大志向の高まりで
志願者は昨年を1万人近く上回ったようだ。
前進の共通1次試験を含め
センター試験が始まって30年余り。
受験生を点数で輪切りにし、大学序列化の一因になったと
批判を浴びてきたが、今では多くの私立大も利用し
大学志願者の大半が受験する一大イベントとなっている。
文部科学省のまとめでは昨年度、高校生の大学進学率は
全国平均で初めて5割を突破したそうだ。
少子化時代でも受験戦争はなお厳しいのかと思いきや
進学塾によると「大学入試にかっての悲壮感はない」という。
推薦や、得意科目だけの試験や「一芸」など
入試が多様化しどこかには入れる。
背水の陣で一般入試に臨む受験生は少数派らしい。
激化が厳しいのは中高一貫校や
難関私立中を目指す中学受験。
くしくもセンター試験第1日が中学入試の初日だった。
不況で私立中全体の志願者が減るなか
進学実績のあるコースは相変わらずの人気ぶりだ。
「先行き不透明な時代にあって、子に学力だけは
つけてやりたいと願う親心の現れ」と塾講師は言う。
そうなのかもしれない。
だが、一心に答案用紙に向かう児童を見て、何か気の毒にも感じた。
16年前にセンター試験を受けた時の子供が2児の母親になっているが
孫の受験期にはどう考えるのか心配だ。
(M.N)
健康第一
- 2010年1月20日 08:05
- M.N氏の岡目八目
今年いただいた年賀状には
「健康第一」と添え書きされていたのが多かった。
ここ数年、健康に注意することに心がけているので
身に染みる言葉だった。
昨年12月、突然腰が痛くなった。
立ったり座ったりするのが辛いばかりか寝返りもままならない。
ぎっくり腰かと思ったが、重いものを急に
持ち上げたりしたことはなく、原因が思い当たらない。
病院でエックス線を撮ったが、ヘルニアの所見はないという。
いすに座る生活習慣が多く、そうした姿勢を長くしていることから
血流が悪くなって起こる筋肉性の腰痛と診断され、湿布を張り
痛み止めを服用したら、数日後に痛みは治まった。
また、以前から痛みがあった右肩は
年齢は50歳を遠くに超えているのだが「五十肩」との診断。
自然に治るとのことだが、今も肩が上がらないため
シャツなどを着るのに時間がかかり、痛いやら情けないやら・・・
医師によれば、腰痛も五十肩も筋肉の衰えが原因で
老化の予兆のようなものだとか。
小まめな運動のほかに、老化防止には「噛む」「つまむ」「握る」の
三つの力を高めることを心掛けるように言われた。
よく噛むと唾液の分泌を促して消化を助け
「つまむ」「握る」力は指先の機能を保ち
とっさのときに体を支える腕の筋肉の衰えを防ぐ。
さらに、この三つの力のいずれもが脳の働きを活発化し
老化防止につながるのだという。
ならば実践するしかない。今年の目標は「健康第一」だ。
(M.N)
がんばれ両力士
- 2010年1月15日 11:37
- M.N氏の岡目八目
ゴルフの石川遼選手のように10代で脚光を浴びる人もいれば
プロ野球の工藤公康投手のように46歳になっても現役で在り続け
中高年世代に勇気を与える人もいる。
大相撲の大関魁皇も後者の一人だろう。37歳、幕内最年長。
12日の初場所3日目で元横綱千代の富士を抜き
幕内通算808勝の新記録を打ち立てた。
怪我と闘いながらの快挙である。魁皇の頑張りを見て
「よし、おれも」と奮起を誓った人も多いのではなかろうか。
魁皇は酒好きで、若いころはよく深酒をしたようだ。
変わったのは、大怪我をした25歳ぐらいからで
「付き合いが悪い」と言われても酒の誘いを断り
けがの治療やけいこに打ち込んだ。その結果が快挙である。
その魁皇に3日目に敗れた関脇千代大海は
きのう13日に現役引退を表明した。
「あいつの才能が10としたら、おれは3くらい」と
師匠の元千代の富士(九重親方)に言わしめた千代大海だ。
天才的な素質を持ちながら
けいこで磨かなかったのは、魁皇とは対照的だ。
それも同じ九州勢同士、仲が良かった二人。
「引導を渡すのはおれだ」と冗談を言い合っていたという。
その言葉通り、魁皇が千代大海に引導を渡す結果になった。
千代大海は「(最後の相手が)魁皇関で良かったかな」と言ったそうだ。
寂しさの中の小さじ一杯のぬくもりが、せめてもの慰めだろうか。
今後、相撲界での健闘を祈りたい。
(M.N)
大人の段階
- 2010年1月12日 09:55
- M.N氏の岡目八目
若者は結婚式をよく「ゴール」と表現するが
実際には夫婦生活の始まりに過ぎない。
成人式もそれに似ている。
その段階で「大人」になるわけではなく
大人の社会の入り口に立ったに過ぎない。
誰しもわが身の20歳のころを振り返れば
「大人」とはほど遠かったと思い出すのではないだろうか。
成人式は同窓会。
その日が過ぎれば何事もなかったかのように
親のすねをかじる生活に戻る。
社会のルールも理解していたとは言い難い・・・。
では年を重ねて「大人」になれたかというと
それも多くの人には怪しいのではないか。
少々分別が生まれ、多少世間の裏表が分かりかけ
どうにか自活できるようになりはしたが
つまらない失敗もすれば、いまだに道に迷っている。
「いまどきの若者は」なんて簡単に批判するのも
「大人」になりきれていない証拠かもしれない。
ついつい、かって自分たちもそう言われていたことも
自分たちがそんな若者に育ててしまったことも忘れ
そんな風に口にする。
実は大人たちだって、皆が皆「大人」なわけではないし
自信を持っているわけでもない。
入り口に立ったばかりの若者よりも
ほんのちょっと先にいるにすぎない。
歳を重ねるほどゴールの遠さを実感する人もいるだろう。
今日の成人の日は、スタートラインに立った若者たちを
祝い励ます日であるとともに、大人たちが自分の現在位置を
再確認する日でもある。ようこそ20歳の皆さん。
ともに「大人」への段階を一歩ずつ上がっていこうではないか。
そういう私もいつまでも、「大人」になりきれないで侘しい。
(M.N)
とんちの日
- 2010年1月10日 16:39
- M.N氏の岡目八目
きょうは「とんちの日」だそうだ。
1月9日。1と9の語呂合わせで
とんちで有名な一九さんにあやかったそうだ。
本などのほか1970年代から80年代にかけて
テレビアニメが放映された。
額に両手を当て「チーン」とかねの音が鳴ると
数々の難問をとんちで見事に解決する一休さんに
喝采(かっさい)を送った人も多かったことと思う。
中でも有名なのはびょうぶの虎退治あたりか。
将軍足利義満が一計を案じ
びょうぶに描かれた虎を捕まえるよう命じる。
一休さんは早速、縄を用意させて身構え
「さあ、早く虎を追い出してください」と応じて逆に将軍をやりこめる。
成長してからの一休さんはまさに自由奔放に生きた。
仏像を枕に昼寝したり、朱ざやの木刀を差して
歩き回るなどの逸話も残る。よく知られている
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」は
いかにも一休さんならではの言葉。
正月飾りもとれて、世の中もいよいよ本格的に動き出したが
政治の世界では鳩山内閣の財務相が交代するなど
前途多難を思わせる幕開け。株価は幾分持ち直したようだが
景気回復にはほど遠く、デフレや二番底の懸念もささやかれている。
かといって嘆いてばかりはいられない。
一休さんには及びもつかないまでも
できる限りの知恵と工夫で明るく元気に、新しい一年を乗り切ろう。
(M.N)
正月の実感
- 2010年1月 7日 17:54
- M.N氏の岡目八目
正月という実感がわいてこなくなって久しい。
それは「毎日が盆正月みたいなもの」という表現が
大袈裟でないほど食生活が豊かになったからだろうか。
盆はともかく正月というハレの日は
いつものつぎはぎだらけの服でなく
文字通り一張羅の晴れ着を着せられ
家族のみならず多くの親戚縁者近隣などが集まって
普段は口にできないようなご馳走を食べ
大声で談笑するそのひとときは実に楽しいものだったから
「もういくつ寝るとお正月」と指折り数えて待つのは当然だった。
まさに正月用といった貴重品のミカンが
木箱から取り出されるときのうれしさ。
お年玉をもらった時の得意。
それにも増していつまでも思い出として情景に残っているのが
正月の遊びごとだろう。
いとこ、はとこ、友人たちが集まると当然ゲームの出番だ。
家の中なら十二支合わせ、トランプ、双六、福笑いなど。
家の外ならたこ揚げ、追い羽根などまさに正月用の定番というものがあり
それが集中して楽しめるのが正月だったのだ。
しかしこうした遊びも次第に姿を消し
正月ならではの光景というものが少なくなってきた。
それが実感を薄める最大の原因ではなかろうか。
先日、多摩川べりで子どもたちがたこ揚げしているのを見た。
年が明けて初めて見る光景だった。
たこは、空気の流れを利用して揚がる。
ただしビニール製の洋だこは
流れに水平に近い角度でうまく乗せる方が揚がりやすく
逆に長方形の和だこは流れに対し垂直に立てて
遮る形にしたほうが揚力が生まれる。
空を舞う風は、気ままで変幻自在である。
姿が見えず、やっかいな相手だが、風向きは必ず変わる。
風を読み、たこの性質をつかんで、空高く揚がるよう
「たこたこ揚がれ、天まで揚がれ」と子どもたちを励ました。
(M.N)
あけましておめでとうございます
- 2010年1月 5日 19:03
- M.N氏の岡目八目
おめでとうございます。
日本の正月は、家に迎える年神様が豊作や
一家安泰を約束するものと考えられてきた。
やおよろずの神様がいる国だ。正月担当もおられるそうだ。
十二支では寅年。十二支は中国で考えられ日本に伝わった。
年、月、時間などの単位として用いられる。
覚えやすくするため、身近な動物を割り当てたそうだ。
トラは日本には生息しないものの、古代からその強さが知られていた。
日本でトラを見るには動物園に行くしかないが・・・
経営難の動物園はトラを飼えない困った園長が
男にトラの皮をかぶってオリに入ることを頼む。「日給1万円」。
男がオリに入ると園内放送が流れた。
「トラのオリにライオンを入れます」。
震えた男にライオンが近づいて言った。「おれも1万円」。
「動物園」という落語は明治期の新作といわれるが
世相に合うのか、最近はよく演じられる。
英語や、韓国語の達者な落語家が海外でも演じて好評という。
不景気もグローバルである。
寅に「さん」を付けると
いまだに人気が衰えない名優の顔が浮かぶ。
小学校の時、友人への寄せ書きに
「がんばれ・ふんばれ・されどいばるな」と書いた(森英介著「風天」)。
幼くして人生の要諦(ようてい)を知る人だったようだ。
かって正月休みの楽しみといえば
映画「男はつらいよ」シリーズだった。車寅次郎役は渥美清さん。
淡い恋の物語があり、ぶらりとまた旅に出る。
言葉は投げやりだが、心はあったかい寅さん。
待っている妹夫婦や、おいちゃん、おばちゃん、午前様も魅力があった。
いまも時折、テレビで放送されている。見入ってしまうのはなぜだろう。
古きよき時代だけではない人生の真実が含まれているからに違いない。
現代は、人と人とのつながりが奇薄になってきている。
いたわり助け合う世の中をなんとしても取り戻したい。
家族のきずなを強めたい。
寅さんが妹を思う気持ちを込めた句がある。
「さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎」
(M.N)
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