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2010年7月 Archive
熱中症
- 2010年7月24日 18:35
- M.N氏の岡目八目
「帽子をかぶっていないと、日射病になるぞ」。
夏になると、こんなふうに、大人たちから注意されたことだった。
炎天下、麦わら帽子にランニングシャツ、網を手にセミを取り、
トンボを追った日を思い出す。
年配者になじみ深い日射病に代わるように、
1990年代から広く使われ始めたのが熱中症だ。
屋外だけでなく、室内でも起こり得る。
全年齢で発症するが、高齢者が重篤になりやすい。
日射病では病態を誤解されかねない。そんなことが理由という。
熱中症が気温の上昇と比例するのは言うまでもない。
記録的な猛暑に見舞われた2003年のフランスでは、
死者がが高齢者を中心に1万人に達した。
わが国でも、やはり猛暑だった07年に900人を超す人が
熱中症で亡くなっている。しかも8割が60歳以上だ。
高齢社会に追い打ちをかけるような地球温暖化である。
このままだと、今世紀には熱中症の死亡リスクが
4倍近くに上昇するという予測もある。こども時代と重なる、
かっての日射病イメージは消した方がよさそうだ。
今夏も梅雨明けと同時に、各地で猛暑日を記録するなど
水銀柱はうなぎ上り。
畑仕事のお年寄りら熱中症による死者も報道されている。
海へ山へ若者たちには待ちに待った夏も、
高齢者にはいささか過酷だ。
日差しのきつい日中は水分を十分とって室内で涼しく過ごす。
今年はそんな夏になりそうである。
(M.N)
チャーチル
- 2010年7月20日 18:00
- M.N氏の岡目八目
英国の政治家チャーチルは「一晩で考えを変える人だった」
軍拡競争を批判したが、戦争不可避を鋭く感じ取ると一変。
海軍大臣に就き軍備増強を始め、
軍艦の燃料を石炭から石油に変えた。
速度が出るからだ。
石油の安定供給に遠い時代。冒険もあったが、
可能になれば海軍力は増す。
大国が植民地支配を競い合う第一次大戦前夜、
チャーチルにはこれを「支配権は冒険に対する褒美」と表現した。
その供給を英国から一手に引き受けたのがいまのBP社、
メキシコ湾で原油流出事故を起こした国際石油資本だ。
事故から3カ月、密閉バルブを取り付けて流出がやっと止まった。
推計で7億リットルが流れ出た。
それまでの最大規模はアラスカでのタンカー事故で
約4千万リットル。膨大さが分かる。
環境への深刻な影響もどんどん明らかになろう。
第一次大戦中、フランスのクレマンソー首相は米大統領あてに
「石油の一滴は血の一滴」と打電し、石油供給を求めた。
国家の血流にも例えられる石油は、陸上でも、浅い海でも掘り尽くし、
今は深海で掘る。今回は海底1500メートル。
何かあれば”冒険の褒美”どころか、
冒険の代償となり、環境破壊にもつながりかねない。
チャーチルのように一晩ではとはいかないが、環境負荷の少ない
新エネルギーをそろそろ真剣に考えなければ。
先日、ジェクト社長のブログでチャーチルの広大な屋敷を知ったが、
スケールの大きな人物だったんだなあと久々に感慨無量。
(M.N)
愛着
- 2010年7月12日 11:53
- M.N氏の岡目八目
家を建てるとき、それを壊すときのことまで考える人は少ない。
「大工さんにとって新築は大きな仕事にはちがいないが、
それを修理したり、解体することも、
同じかそれ以上に大切な仕事なんだ」。
「自ら手をかけた家が具合悪いとなると
すぐ飛んでゆきたくなるし、自分が生きている間に解体される様は
見たくないと思うと同時に、他人に壊されるくらいなら
自分で解くぞ、思うんだよ」。
「建物には愛着を持って自分の魂を植え付ける気持ちで
仕事に精出している」。
「戦前建てられた古い家の場合、解体、修理工事をしても
ごみはほとんど出なかった。木・土・竹・紙・といった
土にかえる素材でできているからだよな」。
「最近では洋風の家が多いが、昔ながらの和風の家では、
ふすまや障子を外し、すだれ戸などに替えた」。
「風通しを良くするためだ。のれんや座布団も、
麻製品などに取り替えた」。
多摩川土手を散歩していると、梅雨でたっぷりと
湿気をを含んだ草むらからは、独特の匂いが漂ってくる。
草だけでなく土の匂いも一緒だ。
この匂いを嗅ぐと、夏本番を実感する。
何気なく散歩しているとジェクト株式会社の創設者の言葉が
次々と聴こえる。懐かしい教えの言葉だった。
お盆が近づいたので、墓場から「おい、、しっかりやってるか」。
と声をかけられた思いだった。
いわゆる「夏座敷」への衣替えである。
少々の手間は掛かったとしても部屋を夏バージョンにすれば、
五感を通じて涼味はぐんと増す。
エアコンを効かすより地球に優しい。
宮大工
- 2010年7月 7日 15:16
- M.N氏の岡目八目
「最後の宮大工棟梁]と言われた西岡常一(つねかず)さんが
亡くなられて、15年になる。その本を読み返していて
「おやっ」と思うくだりがあった。
宮大工の家に生まれ、法隆寺や薬師寺の
修理、復興を手がけた名匠である。若手への指導は
さぞ厳しいだろうと思ったら、意外にそうではない。
問題があっても人前では絶対に怒ってはならないと
戒める。(「宮大工三代」徳間書店)。
ではどうするか。西岡さんは自ら鉢巻を締め、汗を流して手本を示す。
「こういうふうにやってみい」というわけだ。
「なんぼ上手に文句言うてもあきません。自分からしてみせな」。
鉄材などを頑として拒む一徹な棟梁の、これが若手育成法である。
そういえば、「やってみせ,言ってきかせてさせてみて、ほめてやらねば
人は動かじ」という言葉がある。
旧海軍の山本五十六元帥が語ったと伝えられるが、真偽はわからない。
同じ新潟県出身で、名を成した経済人の遺訓との意見もあるが。
誰が言ったかは別にして、原典は旧米沢藩主上杉鷹山(ようざん)の
座右の銘かもしれないともいわれる。藩政改革で有名な鷹山は
「してみせて、言ってきかせて、させてみる」と言った。
押しつけではなく、目上の者が手本を見せ、意義を説き実践させる。
それが組織を動かす基本だと論じている。
政治家には名棟梁や名君の教えが重くのしかかる。
(M.N)
大工あれこれ
- 2010年7月 6日 08:20
- M.N氏の岡目八目
大工があり小工がある。幕末に高知県吾川郡、土佐郡などで
寺社建築がなされた際に、その棟札に大工何某、小工何某と
記されているそうだ。小工とはもともと奈良・平安時代、
大工の下に属し営作に従事したものだという。
蛇足ながら、大工は専門化されていて、
宮大工、寺大工、屋大工、船大工などがあり、
建具専門職は大工とはいわなかったようだ。
下手な屋大工は、小屋大工(住宅は無理で、非住宅の小屋くらいしか
施工できない者)と蔑まれたという。
また宮大工の入門にあたっては入門書兼契約書として師匠に
「大工壷金之書」(壷は墨壷、金は局尺、さしがね、L字型の物差)
を差し出したものだという。大工修行も大変であったようだ。
隠語もあったという。施主が昼飯を出していたようだが、
「今日のホソは本山杉で付けられたものではなかった」などという。
昼飯は不味くて食えないということ。
「板を削らせて呉れたら」というのは酒を飲ませて欲しいとの
意味だそうだ。施主には全くわからない。
これはジェクト株式会社創立者との会話から教わったもの。
(M.N)
日本代表ありがとう
- 2010年7月 2日 07:35
- M.N氏の岡目八目
ブラジルのペレは「サッカーの神様」
アルゼンチンのマラドーナは「神の子」と呼ばれた。
一流サッカー選手は、人間離れした存在であることを強調する
ニックネームで呼ばれることが多い。
だが、選手は人間だ。
その人間が、才能と努力で自分の可能性を切り開き、
神業のようなプレーを連発するようになる。
人間の無限の可能性に気付かせてくれるから、サッカーに、
すべてのスポーツに、感動があふれている。
自分の可能性を信じて勝負に挑むには勇気が要る。
勇気なくしては可能性も開けない。だから、
勇気を奮い起こして戦いに挑む選手たちの姿は皆、凛々しい。
だから栄光を手にした勝者の姿もまぶしいが、
力を尽くして敗れた勇者の姿もまた美しい。
サッカーW杯決勝トーナメント1回戦でパラグアイに破れ、
ピッチで天を仰ぐ日本代表選手たちの姿もまた美しかった。
PK戦の末の惜敗だ。勝利の女神はパラグアイに微笑んだが、
日本代表も決して負けてはいなかった。
対カメルーン、オランダ、デンマーク、パラグアイ戦。
W杯の大舞台での4試合、ひたすら走り続けた選手たちの姿が、
あざやかによみがえる。
力を尽くした末に迎えた敗北の光景の、
なんと誇らしく感動的であったことか。
選手たちに勇気づけられ、今、多くの人々が、
それぞれのピッチを誇らしげに走り始めていることだろう。
日本代表選手ありがとう。4年後、今度は大輪の花をぜひ見たい。
(M.N)
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