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2011年2月 Archive
受験生
- 2011年2月28日 17:15
- M.N氏の岡目八目
大ベストセラーの超ロングセラー、受験生に愛され続ける
”赤尾の豆単”こと「英語基本単語熟語集」(旺文社)の
復刻版(1966刊行)が発売されたようだ。
お世話になった人は数知れず。思わず、郷愁に駆られる人も
多いのでは・・・。
初版は42(昭和17)年だが、団塊の世代が
大学受験期を迎えた60年代半ばから爆発的に売れた。
復刻版の66年当時の価格は180円。受験生人口60~
70万人に対して年間売り上げが30万部に達したという。
出題頻度の高い見出し語句は赤色刷りで、ただひたすら
日本語訳を暗記したものだ。
受験誌「蛍雪時代」(旺文社)が今もあることを最近知り
懐かしさに駆られた。この「蛍雪」という言葉は、
中国・晋時代の歴史を記した「晋書」にある故事が元と
なってるそうだ。車胤(しゃいん)と孫康(そんこう)
という貧しい若者がおり、車胤は夏、ホタルヲ数十匹集めて
絹の袋に入れ、その光で勉学に励んだ。
孫康は冬、窓辺に積み上げた雪の明かりで書物を読み勉強した。
そうした努力の結果、2人は晴れて高級官僚に登用されたことから、
苦労あるいは苦心して学問を修めることを「蛍雪}と
いうようになった。
国公立大2次試験の前期日程がスタートした。志願者は
中期日程と後期日程を合わせた全体で50万4000人。
倍率は、国立大が4.6倍という。さあいよいよ実力の
みせどころだ。ガンバレ受験生!
みんなの将来に、明るい光が差す世の中になるよう祈るばかりだ。
(M.N)
震災に備える
- 2011年2月25日 19:41
- M.N氏の岡目八目
ニュージランド・クライストチャーチ市で
2月22日に発生した大規模地震。震源の深さが
約5㌔、マグニチュード6・3の直下型の強い地震で、
建物の倒壊の様子など現地の状況が連日、
テレビなどで映し出され、被害の大きさを伝えている。
日本でも、平成7年1月17日午前5時46分に、
阪神・淡路大震災が発生。震度7、マグニチュード7・3、
直下型の激しい揺れに見舞われた。6434人の命が
奪われるなど、甚大な被害がもたらされた。
阪神・淡路大震災でのボランティア活動や住民の自発的な
防災活動の重要性が認識され、1月17日を
「防災とボランティアの日」、15~21日を「同週間」
と定められている。
各市町村でも自主防災活動の認識を高めようと、
週間にちなんだ行事や広報活動、訓練などが行われている。
災害は、いつどこで発生するか分からないし、自分が被害に
遭わない保証はない。「備えあれば憂いなし」ではないが、
万一の事態を想定し、気をつけたい。
(M.N)
ジャイアントパンダ
- 2011年2月24日 08:11
- M.N氏の岡目八目
上野動物園に約3年ぶりにジャイアントパンダがやって来た。
中国四川省雅安の保護施設から上海経由で成田空港に空路到着した。
3月末には愛くるしい表情を見られそうだ。
地元は歓迎ムード一色、子どもたちは対面を心待ちにしている。
中国の発表によると、研究センターなどで飼育されているのは
約200頭、野生では約1500頭。
毛布目当ての狩猟で21世紀初頭に絶滅の危機を迎えたが、
その後の保護区設定と人工繁殖で盛り返しつつあるという。
2008年の四川大地震で保護施設が破壊され、
多くのパンダが引っ越した。
日本へ初来日は1972年10月。日中国交正常化記念として
中国から上野動物園に2頭寄贈された。雄の「カンカン」、
雌の「ランラン」を見ようとガラス窓越しに長蛇の列ができ、
空前のパンダブームが起きた。2008年4月に
「リンリン」が死亡以来、上野で飼育されていなかった。
今回レンタルで来日したのは雄の「比力(ビーリー)」と
雌の「仙女(シィエンニュ」。比力は大食いで、
仙女は人懐っこいという。パンダブーム時に「客寄せパンダ」が
流行語になった。集客力のある人気者を指した。
比力と仙女は、選挙を戦う陣営の垂涎(すいぜん)の的になる
ことだろう。
(M.N)
痩せ我慢
- 2011年2月22日 08:01
- M.N氏の岡目八目
「暖衣飽食」を戎められて育ったというよりは、
そもそもぜいたくなどしたくてもできない時代の申し子たちは、
冬でも厚着せず、寝るときも暖房の世話などにはならなかった。
だが、それも若いうちだけのこと。加齢とともに
寒さが身にしみるようになり、あれほどいやがっていた
電気毛布のお世話になることも抵抗を感じなくなるようになる。
「伊達の薄着」に耐えられなくなって厚着を始めても
「神経痛の予防のためだよ」と言い訳はきくが、電気毛布だけは
抗弁できない。
しかし寝室には暖房がないのだから、それぐらいは
大目に見てもらうことにし、昨年からこの「文明の利器」を
利用している。ただ、確かに暖かいことはいいにしても、
室温や体温を測りながら熱量調節をできないので(最新型はできる?)
そのおしつけがましさが気になるのはいかんともしがたい。
だが、この冬はなぜか事情が一変した。温度を最高にしても
暖かくならず、それどころ薄冷えさえするのである。
これは毛布の能力が追いつかないほど今年の寒さが厳しいため
だろうと考え、人に会うたび「いやぁ、今年の寒さは格別だねぇ」
と同意を求めていた。むろん年のせいも考慮はしての上だが。
だが先日、今夜は冷えそうだからと、あらかじめ電源を入れ、
ふと温度調整目盛の横を見たら、なんと切り替えスイッチが
「2時間」を指していた。その下には「15時間」とある。
つまり毛布は2時間だけ作動していたのだった。
どうりで寒かったわけだ。
(M.N)
現代中国
- 2011年2月17日 17:12
- M.N氏の岡目八目
孔子は、弟子から政治の要締は何かと問われて答えた。
「まず国民に十分食べ物を食べさせること」、次に軍備充実で
安心させ、「為政者が国民から信頼されること」。
「民信なくんばたたず」の教えだ。
現代中国は社会主義を掲げてはいるが、政府指導者にとって、
この紀元前の教えは今も切実かもしれない。広大な国土に
13億人の国民を抱えて、「まず食べさせること」が
求められているからだ。
日本を追い抜き、国民総生産(GDP)世界2位の中国。
軍備を拡大し米国と張り合う大国となった一方で、
内部矛盾が広がっているそうだ。貧富の差の拡大や
拝金主義の横行。カネとコネがものをいい、
礼節はどこへやら、が目立つとも聞く。
1960年代の文化大革命で毛沢東が「批林批孔」運動を仕掛け、
孔子は封建的として排除された。あれから時を経て孔子はは復活。
北京五輪の開会式で孔子の名句を唱えた演出は、
中国の精神文化のアピールだった。
GDP世界2位の国にふさわしい礼節とは。
「論語」に「礼の用は和を貴しとなす」を見つけた。
これは礼儀作法だけでなく、全体の調和が大切という教えだ。
大国であればこそ心がけるべき振る舞いではないだろうか。
さすが5千年の歴史に培われた教えは、現代でも生きる。
ただし、民を治める為政者向けだ。広がるインターネットから、
GOP2位の市民向け教えが出てくるかもしれない。
(M.N)
エジプトの政情不安
- 2011年2月12日 12:28
- M.N氏の岡目八目
30年前、エジプトの大統領が暗殺されたニュースに
驚いた記憶がある。米国の仲介で敵対するユダヤ人国家の
イスラエルとの和平に合意、ノーベル平和賞も受けた
サダト大統領は1981年10月、軍事パレードを観閲していたさなかに、
反発を強めていた勢力の銃弾に倒れた。
当時、副大統領だったムバラク現大統領がその跡を継いだ。
以後、この国では政権トップが代わることなく同大統領が
その座に居続けてきた。今回の反政府デモの報道に接して、
そのことをあらためて思い起こした。
巧みな外交と経済復興の裏で、赤ん坊が30歳の大人になるまでの
長い年月にわたり強権体制が敷かれてきた。打倒を求めて
大規模なデモが繰り返され、そのデモ隊と大統領支持派が衝突し、
多数の死傷者が出る事態ともなった。
「中東の大国」で先進国との関係も良好なエジプトの
政情不安が続けば、他の国にも深刻な影響を及ぼしかねない。
現に原油価格の上昇傾向がこの騒乱で加速し、米国の先物相場では
2年ぶりの高値を付けた。
国民同士が血を流して争うような不幸はどのような事情があるにせよ
終わりにしなければならない。イスラエルとの間で
歴史的な平和条約締結を果たした国だけに、国内安定への道筋は
きっと描けるはずと思うのだが。
(M.N)
批判と評価
- 2011年2月 8日 07:58
- M.N氏の岡目八目
JR両国駅からほど近い旧本所松坂町、
現在の墨田区両国3丁目に白いなまこ壁に囲まれた
「吉良邸跡」がある。赤穂の四十七士が
討ち入りを果たしたところだ。
かっては約8400平方メートルもある広大な屋敷だったが、
いまは約98平方メートルしかない。
邸内には苔(た)むした「吉良の首洗い井戸」があり、
歴史を感じさせる。
吉良上野介といえば、忠臣蔵ではすっかり悪役とされたが、
邸内にあった資料によると、領地三河の吉良(愛知県吉良町)では
評判よく、人々が「吉良様」と呼んで敬う善政の殿様だったという。
領地に滞在しているときは赤い馬に乗って巡回し、
「吉良の赤馬」は、名君と共にその名を残す。
吉良の殿様でなくとも人の評価はつくづく難しい。
ある意味で評価と批判は表裏一体。
批判を受けるのは権力者の常であり、
どちらが正しいとも言い難い。
その点は、現在の政府も同じ。批判を恐れては何もできないし、
批判に謙虚でなければ国民にそっぽを向かれてしまう。
経済の建て直しや雇用の拡大、税と年金など課題が
待ったなしの状況の中で、内閣は歴史にどのような評価を残すのか。
いよいよ真価を問われる正念場を迎えた。
(M.N)
母の手紙
- 2011年2月 5日 08:07
- M.N氏の岡目八目
野口秀世(1876~1928年)の母シカが
米国の研究所にいる息子英世に書き送った手紙。
魂を揺さぶられるような文字で綴られている。
福島県・猪苗代湖の近く、生家に隣接して立つ
「野口英世記念館」に展示されるその手紙。
1度読んだぐらいではとても判読できない仮名ばかりの手紙。
まるで文字を覚えたての幼児が書いたようなたどたどしさ。
句読点のルールも完全に無視されている。
「おまイの。しせにわ。みなたまけました。はるになるト。
みなほかいドに。いてしまいます。わたしも。こころぼそくありまする。
ドかはやく。きてくだされ。はやくきてくたされ。いしよのたのみて。
ありまする(中略)」
お前の出世にはみんな驚いている。春になるとみんな北海道に
行ってしまう。私も心細い。どうか早く帰ってくれないか。
早く帰ってきてくれ。一生の頼みだー。結びは
「いつくるトおせて(教えて)くたされ。これのへんちち(返事を)
まちておりまする」
異国で研究に励むわが子の成功を喜び、一度でいいから
その帰りを待ちわびる母の愛情がにじみ出ている。
英世を思うシカの愛の深さ。すごみさえ感じられる名文といえようが、
精いっぱいに覚えたであろうその文字にも目頭が熱くなる。
シカは自分の不注意で幼いわが子に一生消えないやけどを
負わせたーと自分を責め、食うものも食わないような極貧の中で
息子の学費を工面したという。それに応えて英世は、上京する時に
「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」という決意を柱に刻んだ。
この母にしてこの子あり。今、、まさに受験シーズン。
時代はさかのぼるが、こんな母子の姿を思えば、
ぐっと力も出てこようというものだ。あと一息、がんばれ!
(M.N)
節分
- 2011年2月 3日 08:07
- M.N氏の岡目八目
きょうは節分。今晩はあちこちの家から「福は内、鬼は外」
の声が聞かれることだろう。節分にはいり豆をまき、
自分の年だけ食べると、一年間病気にならないといわれる。
一般的な豆まきのの口上は「福は内、鬼は外」だが、
そうとは言わない所も数多くある。たとえば、
鬼が投げた石でできた町と言われている群馬県鬼石町では
鬼は守り神。このため、「福は内、鬼は内」と言うそうで、
全国の家々から追い出された鬼のために、
「鬼さん、いらっしゃい」とばかり、イベントを行うというから面白い。
このほか、「恐れ入谷の鬼子母神」でおなじみ東京都台東区の
鬼子母神では、「福は内、悪魔外」で「鬼は外」とは言わないそうだ。
家庭によっては豆ではなく、落花生やチョコレート、キャンデーを
まくところもあると聞く。
風習は時代とともに変わってきたが、ここ数年で、
全国に広がったのが「丸かぶり」だ。節分にその年の神様が
やってくる方向「恵方(えほう)」を向きながら、
巻きずしを切らずに丸のまま食べる変わった風習のこと。
そうすると、一年の願いがかなうという。
発祥地は関西。だからか、巻きずしは「太巻き」。
節分の夜に家族そろって恵方を向き、願い事を念じながら
無言で巻きずしにかぶりつくものらしい。
巻きずしは、商売繁盛や家内安全などの「福を巻き込む」から、
切らないのは「縁を切らぬ」ためだそうだ。
ちなみに、今年の恵方は南南東の方角という。
(M.N)
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