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2013年8月 Archive

ミドル級の新星

ミドル級はボクシングなど格闘技の階級の一つ。
ミドルの意味は「中間」。かってのプロボクシングの階級では、
ヘビー級とライト級の中間のウエートだった。 17階級に
細分化された現在では、5番目に重い。

日本人の感覚では重量級だ。1995年に竹原慎二氏が
WBAの世界王座につき、日本人選手が王座についた最も
重い階級となったが、防衛は果たせなかった。身長や骨格
からいって、アジアの選手には不利な階級とされる。

そのミドル級でロンドン五輪の金メダルを獲得した村田諒太氏が、
鮮やかにプロデビュー戦を飾った。ノンタイトルの6回戦で、
東洋太平洋同級王者に2回TKO勝した。初回から積極的に
前に出て右ストレートでダウンを奪い、2回にも右の強打を
ヒットさせて勝利を決めた。

「80点ぐらいはいいですか?」。試合後に求められた自己採点
の返答だった。大物新人として注目を集めたデビュー戦である。
重圧もあったはずだが、端正な笑顔を見せてリングに立ち、
「勝ってホッとした」とも。新しいタイプのヒーローを予感させる。

日本人のミドル級ボクサーの物語といえば、沢木耕太郎さんが
『一瞬の夏』(新潮社)で克明に描いたカシアス内藤の挑戦が
思い浮かぶ。内藤氏が果たせなかった夢だ。欧米選手中心
の階級で、"新星"が世界チャンピオンになる日も近いかもしれない。

イチロー選手の印象的な言葉

ヤンキースのイチロー選手が4千本安打を記録したときの会見で、
こんなことを言っている。「4千の安打を打つには僕の場合、
8千回以上の悔しい思いをしてきている。常にそれと自分なりに
向き合ってきた事実、誇れるとしたらそこじゃないですかね」。

並外れた努力で、今の立場を築いてきた自負であろう。
プロ生活22年。39歳になっても、走攻守に衰えを感じさせない
状態でプレーしている選手ならではの誇りであろう。

彼はその日、印象的な言葉をいくつも残している。
「記憶に残っているのは楽しいことではなく、うまくいかなかった
ことなんですね。そのストレスを抱えた中で瞬間的に喜びが
訪れる。それがプロの世界の醍醐味ですね」。

昔できたがことが今できないというのは見あたらない。でも、
昔考えなかったことを今は考えるようになった。過去の自分と
現在の自分を客観的に見て、どうなのかと考えるのは大切なこと」。

満足したら終わりというけど、それは弱い人の発想。満足を
重ねないと次が生まれない。僕はものすごく小さなことでも満足するし、
達成感を感じる。それを感じることで次が生まれてくる。
うれしかったら喜べばいいんですよ」。

まるで教育者、哲学者のような言葉が数々。それをすべて、
実践と記録に裏打ちされているから説得力がある。
ビート・ローズ氏の持つ最高安打4256更新も視界に入った。
海の向こうからのうれしいニュースは、日本人の誇りであり
励みともなる。これからもさらに広がる夢を共有したいものだ。

 

意外な決勝戦

日本中の誰も予想していなかった意外な顔合わせの決勝戦は、
夏の締めくくりにふさわしい好ゲームだった。
夏の全国高校野球は、群馬県代表の前橋育英高が初出場で
初優勝を飾った。防衛率0,00と抜群の安定感で勝ち上がってきた
好投手を相手に3点を先制。逆転を許した後も懸命に食い下がった。
どんな場面でもナインは笑顔を忘れなかった。宮崎県勢初の快挙は
お預けになったが、健闘に拍手を送りたい。

浦和学院、大阪桐陰,済美、横浜・・・大会では、優勝候補と
目された学校や甲子園の常連校が次々に姿を消していった。
最後に残ったのは、試合を重ねるごとに強く、たくましく成長した
2校だった。優勝した前橋育英は準々決勝で、9回2死無走者
という絶体絶命の場面から2点差を追いついた。

延岡学園も準々決勝で9回、内野手の超美技で逃れたはずの
ピンチを微妙な判定で"やり直し"にされ、そこをもう一度
しのいで競り勝った。

素質に恵まれた選手が「古豪」や「伝統校」に集まりやすいのは
確かだろう。だけど、試合をするのは同じ高校生、やってみなければ
勝負は分からないースポーツのそんな楽しさと厳しさ、それに
若さの持つ可能性をあらためて確認できた気がする。
まるで大会の閉幕を待っていたみたいに天気は、下り坂だ。

古都鎌倉

年を重ね、あらためて文豪の作品を読み返すと、
昔は気づかなかった人生の機微に触れ、新鮮な驚きを
覚えることがある。夏目漱石の「こころ」もそのひとつだ。
愛と死を見つめたテーマはずっしりと重く、主人公の「先生」と
「私」が出会った鎌倉の描写には時の流れを感じる。

小説が書かれたのは大正初期、当時、東京から鎌倉へは、
<二、三日かけて金を工面して>出かける場所だったとある。
川端康成や小林秀雄など著名な作家がこの地に居を構えたのも、
大仏や八幡宮、武家屋敷などが点在する落ち着いたたたずまい
あってのことだろう。

東京とのほどよい距離感が思索の場としての魅力を高めたはずだ。
時代とともにその距離は縮まり、いまでは電車で小一時間だ。
週末には狭い市街地に観光客があふれ、猛烈な交通渋滞だ。
漱石が見たまち並みとは、別世界に違いない。

世界遺産登録を目指す鎌倉に審査機関が事実上の"辞退勧告"
を迫ったのは、ものすごい人混みに圧倒されたのが一因かもしれない。
景観を軽視した開発を厳しく指摘する声も少なくなかったようだ。
残念な結果ではあるが、景観こそが古都の顔である。

建物の色や形を含め、まち全体の統一感が保たれなければ、
訪れた人も興ざめする。歴史や文化が息づく美しいまちは
鎌倉だけでなく全国の都市に突き付けられた課題と受け止めたい。

頑張り屋の見本

暑さに体力を奪われたか。また失速か。世界陸上女子マラソンで
福士加代子選手が先頭集団から遅れ始めた時、テレビを見ていて、
やきもきした。だが、この無類の頑張り屋を天は見捨てなかった。

間もなく3位メルカム(エチオピア)が落ちて目の前に迫ってきた。
途端に元気を取り戻すあたりが福士選手らしい。抜き去る姿が
実にたくましく、これまでと違う力を感じた。

銅メダルのゴール直前、何度もこぶしを握りしめていた。
まぶしいほどの満面の笑みだった。「こんなにうれしく走ったことはない」。
苦しい日々に耐えてきたからだろう。跳びはねたり抱き合ったり、
と喜びが止まらなかった姿だった。

終盤の失速を克服する練習は順調というわけではなかったそうだ。
監督からも「もうやめよう」と言われ、涙を流したこともあったという。
「マラソンは苦しんだ者勝だよ」。アテネ五輪金メダリスト
・野口みずき選手の言葉をかみしめ、頑張ったという。

「トラックの女王」と言われながら、マラソンではスタミナ切れで
ぶざまな姿をさらしたこともある。それでも、挑戦し続け、結果を出した。
勇気づけられた人も多いだろう。仕事や勉強がうまくいかなくて、
めげそううになっても、一生懸命、頑張れば道は開ける。
福士選手が身を持って教えてくれた女子マラソンだった。

終戦から68年

昨日は広島市で原爆戦没者慰霊式と平和記念式が営まれた。
9日は長崎市でも式典が行われ、15日は終戦の日だ。
この10日間は核廃絶と恒久平和への思いを新たにする時期だ。

1945年8月6日に原爆が投下された広島市では当時の人口
約35万人のうち、同年末までに約14万人が死亡したとされる。
今でもなお多くの被爆者が放射線の影響による健康被害に
悩まされている。

原爆投下と終戦から68年経った。被害者と戦争体験者の
高齢化と減少が進む。戦争体験を風化させずに後世へ伝えようと、
今月は各地でさまざまな催しが開かれる。息の長い取り組みこそ、
今を生きる人たちの大切な役割に違いない。

広島市の式典には原発事故で被災して放射線への不安を
抱える福島県民も昨年に続いて出席さされたようだ。同県浪江町の
町長さんは「関東より西では、原発事故が風化しているきらいがある」
と話されたという。

「原発は絶対に安全」と言われ続けて事故は起きた。
経済成長も国民生活の安定も重要だが、平和と安全が大前提だ。
世界唯一の被爆国であり、深刻な原発事故も経験した日本
だからこそ、政府は国民の声を謙虚に聞きながら、国の進路を
慎重に定めるべきだ。

新駐日大使に期待する

日本と米国との外交は、1853(嘉永6)年の黒船来航
によって幕が上がる。この時、米国を代表した提督こそ
マシュー・ペリー。その後、初代の駐日総領事としてタウゼント・ハリス
が赴任し、日米修好通商条約などを結んだのは史実の通りだ。

第2次世界大戦以降の駐日大使を見ると、日本人の妻
を持ったエドウィン・ライシワーやカーター、レーガン両政権時に
約12年も重責を務めたマイケル・マンスフィールド、副大統領
経験者でもあったウォルター・モンデールが有名だ。そして
3年前の夏、広島平和式典に初めて参加したジョン・ルース
らがいる。

その米国のオバマ大統領は、次期駐日大使として、
キャロライン・ケネディ氏を指名することを発表した。
日米の長い外交史の中でも米国が駐日大使に女性を起用
するのは初めてだ。上院での承認を経て秋にも着任する。

彼女の父親は、あのケネディ元大統領(JFK)。さらに、
叔父には元司法長官のロバート・ケネディや元上院議員の
エドワード・ケネディなど、有力な政治家がおり、米国内では、"
ケネディ王朝"とも称される。

ただし、キャロライン氏の政治的な手腕は未知数。今回の起用は、
オバマ大統領の有力な支援者であったことが最大の理由とされ、
今後の日米関係にどのような影響力を持つかは不明だ。

 

 

水を大切に

現代生活に欠かせないものは多々ありますが、必需品は
電気と水。どちらも手に届かなくなったら一気に生活が混乱します。
ただ、電気は凌(しの)ぎようがありますが、水はそうはいきません。
生命に関わるからで、故に水の大切さが叫ばれています。
幸いわが国は恵まれています。

飲み水として世界的評価の高い上水道を亨受し、下水道も普及
しています。しかも雨不足や災害で施設の破損を起こさない限り
断水も少ない。「あって当然」という感覚にマヒしてか、贅沢に使える
水への感謝は奇薄のようです。だが、水も無限ではありません。

雨不足が続いたり、使用量が増えると影響がでてきます。
節水が呼びかけらるのも絶対量の懸念からです。1年を通して
最も使用量が多いのは8月といわれます。この月に水の
大切さを考えて欲しいのです。ということで「水の日」が
設けられています。

あまり知られていないのが残念ですが、その日は8月1日です。
7日までは「水の週間」です。世界には水に苦労している国が
少なくありません。そこに思いを寄せると、水を大切に使う運動が
もっと広がって欲しいと思います。川崎市でも地下街アゼリアで
上下水道局主催で「川崎水水フェアー」のイベントが開催
されています。

 

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