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2013年9月 Archive

日本の伝統を守ろう

立川志の輔(たてかわしのすけ)さんが高座で披露したあいさつは
実に楽しい。さすが当代一の売れっ子落語家だ。

「ようこそ皆さま」と口を開き、「といっても、私の方が遠くから
来たんですが」。言われてみれば、その通り。仕事とはいえ、
多忙な中で足を運んだ人をねぎらうのは、客の方だろう。
何気ないやりとりに、「おかしみ」を見つける柔かな発想が光る。

志の輔さんの師匠は立川談志さん。落語界で一派を立てた
異端児が、才能ある弟子を育てた。その談志さんの「師匠は
損な役回りというボヤキを著書で読んだ記憶がある。

弟子に芸を教える。身の回りの世話をさせるが、「授業料」はなし。
時には小遣いを与える。「学校教育」とはあべこべである。やがて、
師匠をしのぐ弟子も出る。ただ飯(めし)を食わせ、飯のタネを
争うライバルを育てるのが師匠の役割なのだ。

そんな師匠や親方と弟子と言う関係を、昨今の若者は敬遠する。
つらい修業より楽しい学習を選ぶ。だが、談志さんの「師匠の方が損」
というのも、言われてみれば、一理ある。日本の伝統を育てた
そんな世界に、いま赤信号が点滅してはいないだろうかと、
やきもきしている。

伝統と革新

幕が上がると中村勘九郎さん、七之助さん兄弟が
男女の鳥売りの姿で現れる。一幅の日本画を見るようだ。
女性客からは「きれいね」との声が漏れた。

舞踊「吉原雀(よしわらすずめ)。流麗で息の合った
2人の動きが目を奪う。新しくなった東京・歌舞伎座で
観劇の機会があった。今春以降こけら落とし公演が続き、
9月は若手俳優がそろう花形歌舞伎で場内はにぎわう。

老舗が改築されると、昔ながらの風情が失われることが
よくある。しかし建物は外観も内部も建て替え前の雰囲気を
保っていた。建築家隅研吾さんの設計の妙か、違和感がない。
伝統と現代が調和していると感じた。

昨年暮れには兄弟の父である中村勘三郎さん、今年に入り
市川団十郎さんと歌舞伎界は大きな柱を相次いで失い
危機感が広がった。今回は若手を中心に新作「陰陽師
(おんみょうじ)に挑戦している。歌舞伎の継承には、
その殿堂と同様に伝統と革新の両立が求められる。

老舗菓子店の職人から聞いたことがある。売り上げの核と
なっている名物の菓子があっても、常に新たな商品の開発を
続けなければならないのだそうだ。職人の心と技を磨くことで
銘菓の伝統の味が守られるという。

古典の芸をしっかり継承しながら、新作にも取り組む
若手の俳優による舞台を見ていると、重責を担う
心意気が伝わってきた。

敬老の日

 老いの自覚は人それぞれ、とらえ方も時代によって変わる。
団塊世代に「高齢者は何歳から?」と尋ねたら、8割が「70歳以上」
と答えたそうだ。世界保健機関の定義「65歳以上」はそろそろ
改めるべきだろう。

団塊世代の先頭集団にいるエッセイストの南伸坊さんは、
「オレって老人?」と著書で疑問を投げ掛ける。今年66歳。
老いの実感がなく、年齢も気にしない。若さ偏重の風潮が
生まれたのは戦後、米国の影響であり、反発を覚えるとか。

対照的に江戸時代は老いが尊ばれた。寛政の改革を進めた
松平定信は白河藩主のころから、「敬老の日」を設けて高齢者を
城に呼び、意見に耳を傾けた。足腰の弱った者には駕篭(かご)
を差し向けたほどだ。人生経験豊富な高齢者の情報や知恵を
政治に生かそうとしたのだ。

若さより老いに価値を置いた社会である。老いを表す言葉も
大事にした。高齢の域に達することを「老人(おいれ)」と称した。
現代の「老後」より、実に前向きだ。江戸の庶民は「いい老人」を
迎えることを人生の目標にしたそうだ。

いまや総人口の4人に1人が65歳以上でである。人工減少社会で、
大勢の元気な高齢者の知恵と力を生かせないだろうか。あすは
「敬老の日」。この連休、老いに思いを巡らすのも悪くないと思うのだが。

2020年夏季五輪

昭和39(1964)年10月開催された東京五輪は、アジア初の五輪であり、
敗戦から19年、日本が再び国際舞台に登場する絶好の機会となった。
東京~大阪間を4時間で結ぶ東海道新幹線が開業し、東京一局集中に
伴う大規模開発が進んだ。カラーテレビも登場した。

東京五輪は、高度経済成長期に迎えた"宴"であったろうし、
宴のあとも、日本は経済大国への道をひた走り、豊かな国を築き上げた。
その強い光と影。いま影の部分が、少子高齢、デフレ、格差、あるいは
福島第1原発事故に象徴される災害、という形で見えるようになった。

7年後、再び東京五輪開催が決定し、猪瀬直樹都知事、安倍晋三首相
らの歓喜が伝えられた。「東京でやってよかった、と言われる大会にしたい」
(都知事)、福島の汚染水は制御できている。東京にダメージは与えない」
(首相)とのことだ。そうあってほしい。

五輪関連施設はもとより、東京の再整備に向けたつち音が響き出すだろう。
開催が子どもや若者に夢をもたらすのは素晴らしいが、東京ばかりに目が行き、
地方が置き去りにされた半世紀前の反省も生かさなければならない。

宮崎駿監督の引退発言

日本を代表するアニメ映画監督の宮崎駿さんが長編アニメからの
引退を表明された。これまでも引退ををほのめかす発言があった。
ただ「今回は本気です」と強い決意を示された。

公開中の「風立ちぬ」の登場人物のせりふで、「創造的人生の
持ち時間は10年だ」と語るシーンがあった。気力、体力ともに
充実した時期は限りがあるといわれる。

監督と呼ばれる職業の人もさまざまだ。病を押して生涯監督を貫く
人もいる。宮崎監督は72歳。まだまだ複数の作品を手掛けられ
そうだが、宮崎監督にとっての「10年」に到達し、今が引き際なのだろう。

会見では、若手の作品に監修や脚本などで関わる考えは「ありません」
と明言。一方で「あと10年」は仕事をしたい」「今、僕がやりたいことは
アニメーションではない」とも語り、複雑な心境をのぞかせた。

終わりというより始まりを予感させる会見でもあった。宮崎監督にとっての
10年はこれからとも取れた。作品作りについて「子どもたちにこの世は
生きるに値するんだと伝えるのが根幹」と語られたのが印象的だった。
その思いに「引退」はないはずだ。

 

 

最も記憶に残る演説

名だたる指導者は、名を残すにふさわしい言葉を残している。
「私が提供できるのは、血と苦労と涙と汗だけだ」(チャ―チル英首相、
1940年)。「時代に遅れる者は、歴史に罰せられる」(ゴルバチョフ
旧ソ連書記長、1989年)。

歴史の節目には名演説や名言が用意される。といってもいい。
1961年、ケネディ米大統領の「国が国民に何をしてくれるかではなく、
国民が国に何ができるかを問うてほしい」も忘れられない。

1999年、米国の大学の研究者が歴史家らに「20世紀で最も記憶に
残る演説」を尋ねた。1位に選ばれたのは、米公民権運動指導者
キング牧師の演説だった。

今からちょうど半世紀前の1963年8月28日、25万人が参加した
ワシントン大行進でキング牧師は「私には夢がある」と語りかけた。
「いつの日か、私の4人の子どもたちが、肌の色の違いではなく、
人格そのもので評価される国に住める日が来ることを」

ケネディ演説から2年後のことだ。希望に満ちた大統領を生んだ
米国人は、人類差別の国でもあった。2009年に誕生した初の
黒人大統領は黒人社会の夢だった。差別根絶は道半ばだが・・・。

米国の夢を体現したオバマ大統領に、世界が別の夢を託したのは
大統領就任直後のことだった。核兵器のない世界への取り組みを誓った
「プラハ演説」を、後世の歴史家らが「21世紀で最も記憶に残る演説」
に挙げる日が来る展開になることを、世界は夢見ているのではないだろうか。

夢の車

世界初の自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉
二コラ・キュニョーが発明した蒸気自動車だといわれる。
大砲運搬用で、石炭を燃やして動かしたようだ。その後、
欧米諸国で開発が進められ、石炭から石油、ガソリン自動車へと
発展していった。今の形に近くなったのは20世紀初頭で、
1908年に米国で生まれたT型フォードが大衆車の先駆けとなった。

それから100年余り。ハンドルを握らず、目をつぶっていても
目的地に運んでくれる自動運転者が実現化されそうだという。
「夢の車」が夢でなくなる日が来るかもしれないとは、
技術者たちの飽くなき探究心に感服させられる。

先日、日産が公開した試作車は21個のセンサーと5台の
カメラを備えているそうだ。200メートル先まで全方位を監視し、
人や車のほか車線、標識を読み取りながら走る優れ物だ。
2020年までの販売を目指すという。

米国では既にゼネラル・モーターズが10年代後半の実用化を宣言し、
トヨタも実験者を公開している。開発競争が過熱する中、先行
しているのは自動車メーカーではなくIT企業の巨人、グーグルと
いうから驚く。

人為ミスによる事故を防ぎ、高齢者や身体障害者も自由に
移動できる。いいことずくめのようだが実用化の大前提は
安全性と信頼性が高くなくてはいけない。目を閉じて命を
預けられるほどの夢の車は本当にできるのだろうか。
慌てずに待ちたい。

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