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2013年11月 Archive

コンビニエンスストア

いまや若者だけでなく、主婦や高齢者も訪れ、日本人の
ライフスタイルを変えた、と言われるコンビニエンスストア。
その草分け的存在で、全国に1万5800店舗を持つ最大手の
セブンーイレブンが、創立40周年を迎え、全国紙に見開き
全面広告を出していた。

発祥は米国テキサスだが、イトーヨーカ堂が昭和48(1973)年
11月にライセンス契約し、翌年、東京・豊洲に第1号店を出店以来、
高い利益率を保持して高度成長した。「セブンイレブンいい気分!
あいててよかった」のフレーズが印象的だった。コピー、銀行機能、
本格コーヒーの販売までOK。

今後、力を入れるのが、日替わり弁当や生鮮野菜などの
宅配サービスという。インターネットや電話で注文を受け、
配送するそうだ。施設、工場、学校にも届ける。配達は電気
自動車、超小型電気自動車を導入して行うとのこと。
時代の変化を察知し、機敏に対応しているから、前途洋洋と
いう感じである。

流行語トップ10

年末恒例の「新語・流行語大賞」が30年目を迎える。
今年の発表を前に過去に受賞した337語から、トップ10が
選び出された。耳目を引いたものばかりで、一瞬にして
当時の雰囲気を思い出させる。1986年「亭主元気で留守
がいい」、89年「セクシャル・ハラスメント(セクハラ」、90年
「オヤジギャル」。序盤は男女の関係の移ろいを思わせる
言葉が並んでいる。

96年の「自分で自分をほめたい」以降は、2006年の「格差社会」
の一つだけだ。新語・流行語は毎年の世相を反映してきた。
ならばこの間、社会に活気がなかったことになる。振り返れば
そんな気もする。この選出は日本の30年をうまく切り取って
いるように思う。

さて今年は一転、豊作で混戦模様のようだ。有力候補は
人気ドラマで主人公が報復を誓うせりふ「倍返し」だろう。
とげのある言葉を社会が好むのは何とも世知辛いが、
それも映し出してこその新語・流行語大賞である。意味とは
裏腹に旬を過ぎたが、予備校講師の決めたせりふ「今でしょ」もある。

東京五輪誘致で急浮上した「おもてなし」は、その後にホテルや
百貨店で発覚したメニュー表示の偽装問題で傷が付いた。
受賞は2020年の本番にとっておいてもいいようだ。
「アベノミクス」「じぇじぇじぇ」も狙っている。あれこれ想像しながら
来月の発表を楽しみに待っている。

小泉流発言

首相経験者には政界に影響力を残したい人と、隠とん生活に
入るタイプがいられる。最近の前者の代表は森喜朗氏だろう。
安倍晋三首相の特使としてロシアを訪問するなど動きは活発だ。

逆に退任後7年、表舞台に出なかった小泉純一郎氏は
隠とん者と思いきや、そうではなかった。先日の講演で
「首相が決断すれば『原爆ゼロ』ができる。首相の判断力、
洞察力の問題だ」と安倍首相に迫られた。

短く分かりやすい言葉を操る小泉節も健在だ。「政治の責任で
使用済み核燃料の処分場にめどをつけろ」という一部報道に対し、
「原発事故前から見つけられなかったのに、事故後に政治の力
で見つけろと言う方が楽観的で無責任」とぶち上げられた。

もう一つの小泉流発言は「世論は軽視できない。大きな底流と
なっている根強い世論をどう読むかも政治家として大事だ」。
かって「自民党をぶっ壊す」発言で世論を味方につけた人
ならではの見立てだ。

健康第一

「健康は富の優る」と言う。たとえ巨万の富を築こうとも、
健康を買うことはできない。、いかに健康が大切かを
伝えることわざだ。

とはいえ、自らの健康の維持増進を願い、何らかの
持ち出しがある人たちが多いものと思われる。
ある生命会社が今年3月に実施した(成人2000人)によると、
健康づくりに対する年間の1人平均出資額は4万3000円弱
だったという。

健康実践策で最も多かったのは「十分な睡眠・休養」で、
ほぼ半数に上った。以下「バランスの良い食事」
「適度な運動・スポーツ」「規則正しい生活」「健康食品・
サプリメントの摂取」「定期的な健康チェック」の順だ。
男女別では、男性が「休」と「動」、女性は「休」と「食」を
重視する傾向にあるようだ。

このうち運動・スポーツ面では、ウオーキング、ストレッチ・
軽い体操、スポーツジムでの運動、ランニング、ゴルフが
人気ベスト5。.15年前調査(ビジネスマン対象)との比較では、
トップのゴルフが5位に後退し、テニスや水泳人気も半減している。
手軽にできるものへと変化していることがうかがわれる。

年代別では、各項目において60代の取り組みが最も多い結果と
なったようだ。年代が高まるにつれて健康に対する意識が強い
傾向にあり、20代に至っては4人に1人が「(実践活動は)特になし」
の状況だ。背景に、時間と金にゆとりがない世代であることも
うなずけるが、若さゆえの健康に対する過信も気に掛かるところだ。

出資額の大小はともあれ、健康を第一に考えた生活の先にこそ、
人生の宝があるように思えてならない。

 
 
 

宇宙

世界で始めて打ち上げに成功した人工衛星は、
旧ソ連のスプートニク1号である。1957年、ソ連の一部だった
カザフスタンのバイコヌール基地からR-7ロケットで飛び立ち、
周回軌道に乗った。慌てたのは、ソ連と冷戦状態にあった
米国だ。頭上を敵の衛星が飛ぶ「スプートニク・ショック」。
その脅威が全力で宇宙開発に突き進ませることになった。

R-7ロケットが弾道ミサイル用に造られたように、
宇宙開発は軍事が主眼だった。平和利用がうたわれたのは
後の話だ。代表格が米国と日本、ロシア、欧州、カナダの
15カ国が参加する国際宇宙ステーション(ISS)である。

そのISSに若田光一さんがパイコヌール基地からロシアの
ソユーズロケットで旅立った。半年の滞在のうち後半約2ヶ月、
日本人初の船長を務められる。経験豊富なだけに重責も難なく
こなされるだろう。ソユーズには来年2月に開幕するソチ五輪の
聖火トーチも積まれたようだ。ロシア人飛行士2人が外で
「宇宙聖火リレー」を挙行。別のクルーが地球に持ち帰り、
開会式の聖火台点火に使う趣向のようだ。

ブーチン大統領の人気取り、「政治利用」のにおいもしない
わけではないが、祭典に花を添える「平和利用」とも言えようか。
もちろん軍事目的の開発競争は今も頭上で激しい。
それを平和のために振り向けるには、各国が共同作業を
積み重ねるしかないと思う。

日本ラグビーのささやかな向上

2日、東京秩父宮ラグビー場で行われた日本代表と
ニュージランドのテストマッチで、世界ランキング15位の日本は
同1位の相手に歯が立たず6-54で完敗したものの
大人と子どもの差があった以前と比べたら
若干でも手ごたえがあったというのは収穫だろう。

「オールブラックス」の愛称で知られるニュージランドが
来日して対戦するのは26年ぶりというが、その時の試合で、
雲をつくような大男たちを相手に、体格に劣る日本代表は
まさに翻奔されたような印象だけが残っている。

イングランドが発祥のこのスポーツは、英国や旧英連邦が
「国技」的強さを発揮してきた。アジアでは特に日本で人気があり、
新日鉄釜石チームが全盛の時代は列島にフイーバーを
もたらしたことが懐かしい。

そのラグビーで日本代表が強豪ウェールズに勝った時は
信じられない思いだった。なにせ「ホームユニオン」と呼ばれる
ウェールズ、イングランド、スコットランド、アイルランドのどこを
とっても勝つのは至難のワザだからである。

そんな余韻をかってか、日本代表の練習ぶりを先日のテレビが
伝えていた。スクラムでどうしても力負けする日本代表の弱点を補う
ためジョーンズ・ヘッドコーチの指導によって、重心を下げる練習を
徹底し、これによって弱点を克服した結果がウェールズに快勝する 
結果につながったという内容だったが、まさに目からウロコが
落ちる思いをしたのも、どうしても"本家"には勝てないと諦めて
いたからだろう。

だが、王者ニュージランドは依然として鉄壁だった。日本は
1トライもできず、わずかに2PGで6点を稼ぎ出したに過ぎなかった。
結局は相手に7トライも許したのだが、過去5回の対戦成績を見ると
100点以上の大差で負けた試合が2回もあったことから比べると
今回はかなりの健闘と言えなくはない。悔しまぎれかもしれないが、
日本ラグビーは確かに変わったみたい。

ミャンマーを思う

空前のミャンマーブームだ。一気に進む民主改革を背景に、
豊富な資源や安価な労働力を世界各国が狙う。
「アジア最後のフロンティア」に開発の波が押し寄せている。

人口約6千万人の国は135の民族で形作られている。
敬虔(けいけん)な仏教徒が多く、温和な国民だと聞く。
貧しくとも隣人とのオープンな付き合いの中で心豊かに
暮らしていると聞いた。だが、旧軍事政権と少数民族
の対立の根は深く残っているようだ。

民政移管した政府は和平に自信を見せるが、
国をひとつに束ね、大きな変革のうねりを超えていくのは、
簡単ではないと思う。政府への不満によるといわれる
連続爆破事件に、平和はまだまだ遠いと痛感する。

経済進出にわく一方で、村は医療が受けられない人たちで
あふれている。自然や伝統の中に人々は生き、歴史の上に
ひとりひとりの暮らしがある。彼らはどんな未来を望んでいるのか、
踏みにじられない変化を祈る。

村には日常的な停電に負けず懸命に治療に当たる
日本人医師がいる。医療支援スタッフには女性もいる。
命を懸けて伝えた平和への願いを、あらためて思う。

「人々を愛する気持ちを国中、世界中に広げたい」。
民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チーさんは春に
日本を訪れた際、こう語っていた。私たちがすべきことは何か
考えたい。来年は日本とミャンマー国交樹立60周年だ。

学徒出陣の碑

東京・国立競技場にはマラソン門と呼ばれるゲートがある。
1964年の東京五輪男子マラソン。銅メタルを手にした円谷幸吉
選手も、このゲートを走り抜け、コースに飛び出していった。

マラソン門を入ると、桜の木の下に石碑が立つ。「出陣学徒
壮行の地」と刻まれている。碑文には「約十万人の学徒がペンを
捨てて剣を執り、戦場へ赴くことになった」との一文も。

太平洋戦争の戦局が悪化し、43年に大学、専門学校などの
文科系学生に対して徴兵猶予が停止され、戦場に送られる
ことになった。その年の秋、文部省の主催で「出陣学徒壮行会」
が開かれ、雨の中、銃を担いだ学徒が行進した。

会場となったのが明治神宮外苑競技場で、その跡地に
国立競技場は建てられた。壮行会から50年後の93年、
若い世代に学徒出陣の歴史的事実を伝えようと、元学徒や
遺族らが今の場所に石碑を建てた。

国立競技場は2020年東京五輪が決まり、建て替えられる。
来年7月には解体が始まる。元学徒らは、完成後も石碑を
敷地内に残すよう要望している。

新競技場は「平和の祭典」である五輪のメーン会場となる。
学徒出陣では、多くの学生が戦争の犠牲となった。
その事実を忘れずに、平和の思いを新たにするためにも、
石碑は敷地内に残してほしい。

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