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2014年1月 Archive

細川藩

文武両道に秀でた人物といえば、まず戦国時代の武将
細川幽斎(ゆうさい)が挙がるだろう。幽斎は熊本藩細川家の
初代にあたる。権力の趨勢(すうせい)を見極め、
足利将軍家から信長、秀吉、家康まで6人に仕えた。
天下分け目のとき的確に判断できたのは、巧みな
情報収集力があったためとされる。乱世にあって歌学を究め、
茶道・能・有職故実(ゆうそくこじつ)に通じた当代一の文化人だった。

生き抜くには文化人の才も役立った。関ヶ原の戦いで居城を囲まれ
死を覚悟したときは、かけがえのない歌学者を救うため、
後陽成天皇が講和の勅命を下している。それから18代目が、
にわかに注目の集まる細川護煕元首相だ。都知事選に立候補されている。

「若いときから決めていた」と還暦を機に政界を去り、神奈川県
湯河原町の山荘で晴耕雨読の生活に入った。徹底して突き詰める
先祖譲りの性分kらか、間もなく始めた陶芸の道で表川得た。
近ごろは京都の寺のふすま絵も描き、多才ぶりを発揮されている。

晴耕雨読は現代人のロマン。それを見事に実現し、また
「76にして立つ」とは。国政選挙が望めぬ中で、脱原発が進まない
現状を民意に問うなら意義はあろう。同世代を「第三の人生」へ
奮い立たせるかもしれない。政界のみならず波紋が広がりそうな
細川さんの決断である。

コンパクトシティ

住宅や店、病院や公共施設が一定の範囲に集まり、
徒歩や公共交通で快適に暮らせる・・・。そんな「コンパクトシティ」
構想を進めようと、政府が本格的な自治体支援に乗り出す。

市町村が住宅を誘導する区域では、マンションやスーパー、
病院、介護施設などを集約した大規模施設を建設しやすいよう
制度を緩和、良好な景観づくりや緑化事業についても資金面で
支援する。逆に郊外での大型施設建設は、届け出制を導入して
抑制する。国土交通省は今回の通常国会に、都市再生特措法の
改正案を提出するようだ。

ニュータウンの建設、郊外大型店などが象徴するように、
これまで街は拡大を続けてきた。しかし、交通渋滞や中心市街地の
空洞化など、深刻な問題を抱え込んでいるのが実情だ。
高齢者など交通弱者にとって、買い物や通院といった
日常の暮らしさえ困難になりつつある。

少子高齢社会が到来する中、過度に拡大した街をどう縮小、
再編し、市街地再生につなげるか。税収の伸び悩みも予想される中、
都市経営のコスト削減は行政にとっても課題だ。

「都市の縮小」というとマイナスイメージが伴うが、コンパクトな都市空間、
車に依存しない社会は、地球環境への負荷軽減にもつながる。
20年後、30年後を見据え、住民参加の議論を深めたらどうだろうか。

建設業界の現状

東日本大震災の被害地の復旧工事が、建設業界の人手不足で
思うように進まないようだ。加えて、経済対策「アベノミクス」による
公共事業の大幅増だ。かってのバラマキ同様、借金を
増やすだけで、景気浮揚にはつながらない。と言われている。

さらに、消費増税に伴う駆け込み住宅建築、東京五輪に向けた
施設整備も待ち受ける。需要はあるのに・・・。専門技能を持った
職人たちが、決定的に不足しているというのである。技能を
身につけるには、年月を要するが、仕事が減り続けてきたため、
安定収入が得られない職人たちは、大幅に減ってしまった。

公共事業では、1回目の入札で決まらない「不調」が増えている。
民間工事の駆け込み発注が多く、公共事業に手が回らないと言い、
その原因の一つが、職人、技術者の不足だ。再入札で決まったとして、
今度は工期の問題が生じる。

官民を問わず、短期間で仕上げるには、多くの人手が要るし、
どこかが雑にならないとも限らない。業界の人手不足を解消する
取り組みを始めねばならない。給与、社会保険等の改善も
求められよう。

人生は試練

民法学者だった末川博さんは「人生三分論」を理想として
唱えられていた。一日24時間のうち、人はおおむね8時間眠り、
8時間働き、残り8時間を自分のために使う。これを一生に
当てはめた。
 
すなわち人生75年として、最初の25年は人の世話になって
一人前の人間にしてもらう。次の25年は仕事に励んで世の中の
ためになり、育ててもらった恩返しをする。最後の25年は
趣味などを楽しみ自分の好むところに従って生きる。

明治生まれの末川さんの時代と今では、社会背景も人心も
随分変わった。60歳すぎまで働くのが当たり前になった昨今、
25年単位で人生を区切るのは無理かもしれない。それでも
区分を引き伸ばしてみれば、考え方としては有効だろう。
長い人生航路にめりはりが付きそうだ。

過日、大学入試センター試験が終わった。受験というのは、
若者が人に「育ててもらう」期間での一つの試練であろう。
次の段階へ進むステップではあるが、憂鬱な関門でもある。

わが身を振り返ってみて受験の記憶はほとんど薄れてしまったが、
問題用紙を前にしての張り詰めた緊張感だけは覚えている。
入試を目前に控え、わが子の様子を祈るように見守っている
親御さんも多かろう。

年明けにいくつか神社を巡り、たくさんの絵馬を目にした。
合格祈願の文面をたどって行くと、それぞれの受験生の姿が
目に浮かぶようだ。列島は寒の中だが、抜けない冬はない。
とエールを送りたい。

新成人に期待したい

1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦から
今年で百年になる。大正生まれの人たちが百歳を
迎えている現実をあらためて思う。

昭和元年は一週間しかなく、昭和2年生まれが事実上の
昭和のトップバッターだ。その人たちも間もなく88歳の米寿
(べいじゅ)を迎える。「降る雪や明治は遠くなりにけり」と
うたわれたのは戦争前夜の昭和初期のことである。

今や大正も昭和もはるかに遠い。だが、どうもその気分に
なれない。この1世紀で日本人の寿命は延びた。
人生50年の大正や昭和戦前と、80歳以上が当たり前の
現在を同じ物差しでは計れない。元気な「大正人間」が
身近にたくさんいられる。

「20歳」も昔と今は違う。人生50年時代なら折り返し点の
前まできている。しかし、昨今では80歳のやっと4分の1に
過ぎない。歳月は時代によって長さも重さも異なる。ただ、
平成がそれ以前と決定的に違うことがある。

平成は戦争をまったく知らない新しい時代であることだ。
当たり前のことではない。明治、大正、昭和の人生の
先輩たちが残した財産である。新成人に期待する。
この宝を未来につなげていってほしい。

午年

2600年余り前、中国の春秋時代のことだ。
斉(せい)の王・垣公(かんこう)が戦いに出て
国に帰る途中、雪で道が分からなくなった。
「こんな時こそ老いた馬の知恵を利用すべきだ」。
家来が言うので、老馬を雪の中に放し、後を進んで
行ったら、無事、国に帰ることができたという。

「老いたる馬は道を忘れず」の諺はこの故事から生まれた。
転じて、経験を積んだ人は判断を誤らないという意味に
なった。そんなことを思い出させてくれる馬が今年の干支
(えと)だから、熟年世代にはうれしい年ではなかろうか。

馬ほど人間と深く関わってきた動物はいない。4500年も
前からイラクの辺りで戦車を牽(ひ)く動物として登場して
いるという。馬が戦争に利用され続けたのは悲しいが、
それだけに人馬一体の歴史は長い。

だからだろう。「道を忘れず」の諺からは馬に対する
深い信頼が見て取れる。このほかにも馬にちなんだ
諺は多い。例えば「馬が合う」。そんな人がいれば
毎日が楽しかろう。

足が遅い馬に乗っても10日行けば、名馬の一日分と同じ。
そんな意味の「駑馬十駕(どばじゅうが)は鈍才も努力次第で
秀才に追いつけるという例えだ。青蝿(あおばえ)だって
名馬の尾についていけば、1日に千里も行ける。
驥尾(きび)に付(ふ)す」がそれだ。愚かな身でも、
優れた人に従えば、何かは成し遂げられるということだ。
熟年世代でなくとも、午(うま)年に元気がわいてくる。

初夢

初夢とはいつ見る夢のことだろうか。調べた範囲では
2日夜が主流だった。だから、3日朝起きた時に頭に
残っていた夢が初夢である。良い夢ならば今年は吉。
悪い夢だったら逆夢と思えばいい。

だが初夢がなぜ2日夜なのか。年初めの夢は
大みそかに就寝し、午前零時過ぎ(元日)に見た夢と
するのが筋に思える。夢は脳が起きていて体が眠っている
レム睡眠時に見る。しかもレム睡眠は未明から早朝に多い。

しかし大みそかは眠らない人が多い。そのまま
初日の出を拝み、初詣に出掛ける。それで初夢は
1日または2日夜に見る夢とされたらしい。

昔から縁起の良い夢は「一富士,二鷹、三なすび」。
徳川家康が隠居した駿河の名物という。富士は「無事、
不死」、鷹は「高い」、なすびは「成す」に通じるとの説が
あるが、どんな夢になるのか想像もつかない。

平安、鎌倉の時代には節分の夜から立春の朝に見る夢を
初夢としたらしい。両時代を生きた西行法師の歌が
残っている。「年暮れね春来べしとは思い寝に、まさしく
見えしかなう初夢」。春になった夢を見たら、それが
本当になった、ということだろう。そんな単純な意味とも
思えないが、めでたい歌だ。

働く庶民の見る夢は景気の順調な回復と生活の
安定である。今年こそ本当になりますように。
本年もよろしくお願いいたします。

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