Home > Archives > 2008年5月 Archive
2008年5月 Archive
わが家のアゲハ
- 2008年5月31日 18:00
リビングでアゲハ、飼ってます。
マンションのルーフバルコニーの蜜柑の木についたきキアゲハの卵を、わが家のリビングにとりこんで飼育していたところ、卵から幼虫、さなぎをへて、アゲハになってびっくり!
リビングの中を、華麗に舞っています。
癒しの気持ちで、皆様もいかがでしょうか?
(ガラカブ)
カーテンで一休み中です。
華麗なる「夜の舞い」
本日のおすすめ物件・・・おしゃれな築浅アパート
- 2008年5月31日 14:12
本日は、おしゃれな築浅物件のご紹介です。
8畳超の広くて明るい、築浅のお部屋。
駐車場も建物の前にあって、とても便利です!
賃料5,000円値下げしました!
即入居可能です。
ぜひ一度ご覧下さい!
くわしいお部屋の情報はコチラ
(てっちゃん)
外観。ちょっと戸建て感覚の、おしゃれな建物です。
広い収納のある、明るいお部屋。(反転タイプ)
8.6畳の、広~い居室。
お部屋の図面。収納2ヶ所、キッチン部分もゆとりの間取りです。
物件名: ツァールトC 201号室
おかげさまで、お申し込みが入りました。
ありがとうございました。
大相撲夏場所
- 2008年5月28日 12:59
- M.N氏の岡目八目
ブルガリア出身の大関琴欧州が夏場所を制した。
欧州勢としては初めてのことである。
大相撲の歴史に一ページを加えた。
二メートルを越す長身を生かした取り口で
たちまち大関まで駆け上がった。
だが、その後は不振が目立ち、今場所はかど番だった。
それが一転して、相撲に開眼したかのような土俵が続いた。
「やっと優勝ができました。これからもっと努力します」
父親が見守る中、ブルガリア語で喜びの弁を語る琴欧州。
そのさわやかな笑顔が印象的だった。
ブルガリア出身の二十五歳。欧州勢の初の優勝である。
特にここ二年余はモンゴル勢が独占し
琴欧州がその独走を食い止めた。
ファンも待ちかねていた一瞬だった。
琴欧州の優勝は柔道で世界チャンピオンとなったヘーシンク選手
(オランダ)を思い起こさせる。厳しい稽古の日々。
独特の伝統やしきたりが色濃く残る相撲界で大成するのは難しい。
かってハワイ勢が活躍したころは、「黒船来航」と騒がれ
モンゴル勢が土俵を沸かすと「蒙古襲来」との言葉が紙面に躍った。
そして今場所は「モンゴル帝国の欧州侵攻を止めた」とする
スポーツ紙もみられた。角界の多極化もまた楽しみだ。
モンゴル相撲の伝統を背負う朝青龍と白鵬。
これにレスリングから転向してきた琴欧州が割って入った。
そんなところにも、今の大相撲の多様な姿がうかがえる。
国際化の波は加速する一方だが
やはり日本人が優勝に絡まない場所は寂しさが残る。
(M.N)
初夏の食卓
- 2008年5月26日 15:57
- M.N氏の岡目八目
初夏らしい気候になってきた。新緑の美しい季節。
木陰を散歩してしていると青葉、若葉の独特のにおいに包まれる。
日差しを浴びた緑は日に日に色濃くなり、おう盛な生命力を感じる。
すがすがしい五月晴れに、心も晴れ晴れする。
ただ「五月晴れ」は本来梅雨の時季に晴れ間の意味という。
旧暦の五月は、現在の六月ごろ。
「五月雨」はこの時季の長雨、まさに梅雨のことだ。
木陰の草地に寝そべって本を広げる。
緑の活力を体全体で浴び、心を小説の世界に遊ばせる。
心のエネルギー補給になる。
このところ連日のように豆ごはんが食卓に上がる。
食べ物に「旬がない時代」と言われて久しいが、
今の時期にしか食することのできない代表的な味覚だ。
炊飯器のふたを開けたとき
立ち上がる甘みがかった豆の香りに食欲をそそられる。
茶わんによそえば、豆の緑とご飯の白のコントラストが涼しげだ。
味覚も刺激され、一口、二口とはしを運ぶことになる。
豆にもいろいろあるが
豆ごはんに使われるのは、グリンピースが多い。
春から初夏にかけて収穫され、さやのままで店頭に並ぶ。
料理する直前に、さやから出さないと風味が落ちるからだ。
缶詰や冷凍したものでは、あのおいしさは味わえない。
グリンピースといえば、付け合せ野菜の定番であり
シュウマイやチキンライスでは脇役といえる。
それが、豆ごはんでは主役に見える。
これから夏本番にかけて、
空豆、枝豆と次々に旬の豆が登場する。
親から子供たちへ、季節の恵みを伝えて生きたい。
孫がおいしそうに御代わりする姿は食卓を和ませる。
(M.N)
中国・四川省地震
- 2008年5月19日 18:06
- M.N氏の岡目八目
巨大サイクロンがミャンマーを襲った衝撃の冷めぬうち
今度はマグニチュード7.8の巨大地震が中国の内陸部を襲った。
身構え、足を踏ん張っても立っていられない。
人が働き学び、活動している時間帯である。そこを激震に見舞われた。
学校の倒壊現場では夜通しで、生き埋めとなった生徒たちの捜査が続く。
ひしゃげた筆箱、ぼろぼろのリュックサック。傍らで泣き叫ぶ親の姿。
写真を、映像を直視できない。
次々と飛び込んでくる被害のすざましさに慄然(りつぜん)とする。
倒壊した学校や病院,民家の周りで続く人海戦術の救出作業が痛々しい。
被害は日を追うごとに死傷者の数は増え、中国・四川大地震は悲惨の一途を
たどる。テレビでは連日、崩壊事態となった、がれきの町が映し出され
放り出された、被害者の叫び声が痛々しい。
震源地周辺の様子が明らかになるに連れ
死傷者や行方不明者がさらに増える恐れもある。
四川省は温暖な気候と肥沃(ひよく)な土地に恵まれ「天府の国」と呼ばれた。
それが一瞬にして地獄絵に変わった。
古くは三国時代、諸葛孔明(しょうかつこうめい)や劉備(りゅうび)の活躍の
舞台となり、愛くるしいジャイアントパンダの故郷である。
激辛の四川料理を思い浮かべる向きもあろう。観光地としても人気は高く
数千メートルの山中に透明度の高い湖沼が点在する九寨溝(きゅうさいこう)は
世界自然遺産の一つである。
四川省や重慶市には日系企業が多く、日本と経済的なつながりも深い。
「暖かい春の旅」と自ら称した日本訪問から戻ったばかりの胡錦濤国家主席は
救助活動に全力をを挙げるように指示し温家宝首相を地震発生の当日被害地に
向かわせ後日、主席自らも被害地で状況の把握や救出の指揮をとっている。
軍などの救援隊も間をおかず現地に向かい、作業に当たっている。
隣人の災難だ。一刻も早く、立ち尽くす人たちに援助の手を差し伸べたい。
国外からの支援も力に、災禍(さいか)を何とか乗り越え3ヶ月後に控えた
五輪の成功に向けてほしい。
災害のたびに感じるのは「自然を甘く見ていないか」ということである。
どんなに科学技術が進んでも、自然現象から逃れることなど不可能だ。
謙虚に自然と向き合い、地道に備えていくしかない。
自然の猛威に人間は何と無力なのだろう。でも無力だからこそ国境や
政治体制を超えて、みんなが手を取り合い、力を合わさなければと思う。
被災した人たちの救助を何よりも優先させ
阪神大震災などで経験した日本の災害対策ノウハウを積極的に提供し
一人でも多くの罹災者を救えたらと願うものです。
(M.N)
中原街道の謎
- 2008年5月15日 19:24
本日は、当社前を通っている「中原街道」について。
中原街道は、江戸時代初期に東海道が開通するまでは、江戸から西へ向かう主要な街道だったそうで、小杉御殿町(徳川将軍家の宿舎があった)・小杉陣屋町などの由緒ありげな地名からも、それがうかがえます。
このエリアの中原街道を見て気がつくのは、丸子橋付近から高津区千年の交差点付近まで、ほぼ一直線であること(江戸時代初期に、小杉御殿の防御上の理由から、西明寺のところだけ「鍵型」に曲げられたのが例外)です。
それと、街道の前方真正面に「富士山」が見えることも大きな特徴で、これも偶然とは思えません。
このような中原街道ですが、実はこの道を誰が、いつごろ造ったのか、はっきりわからないんだそうです。
一説によれば、古代に、当時南関東屈指の寺院であった「影向寺」への参道を、富士山がその背景となるよう、綿密な計画のもとに造ったのだ、という話もあります。
その話の真相はともかく、明治13年の地図(下図)では、すでに現在と同じ道筋になっているので、いずれにしても明治以前に、だれかが計画的に造ったことはまちがいありません。
研究してみると、面白いテーマではないでしょうか。
(てっちゃん)
当社前から見た中原街道(千年方面)。冬の晴れた日などには、真正面に富士山が
くっきりと見えます。
明治13年の陸軍参謀本部陸地測量部作成の地図。だいたい今の武蔵中原駅周辺か
ら高津区千年の交差点付近まで。街道に面して人家(■印)がほとんどないのがわかります。
もちろん、武蔵中原駅も富士通さんもありません。
現在の同じエリアの地図。周辺の様子や道幅は大きく変わりましたが、中原街道の一直線の道筋は、基本的に同じです。
メタボリック症候群
- 2008年5月12日 19:21
- M.N氏の岡目八目
初夏陽気に誘われてか
夜間でもウオーキングを楽しむ人が増えてきた。
会話を楽しみながらの夫婦づれや女性の一団がいれば
修行僧のような黙々と歩く男性もいる。
時に大きく腕を振り、背筋を伸ばしてリズミカルに歩く女性に会う。
颯爽(さっそう)と歩けばエネルギーがたくさん消費され
肥満解消に役立つそうだ。
まさに彼女の歩き方は颯爽そのものだ。
ウオーキング人口はさらに増えるだろう。というのも
4月から健康診断の項目に新たに腹周りの測定が加わるからだ。
肥満か否かの腹周基準は男性85センチ、女性90センチとのことだ。
男性には厳しい数字と思う。
診断結果によっては、生活習慣の改善を促す指導の対象になるという。
イエローカードやレッドカードを突き付けられるわけだ。
不要な投薬や治療は行われないが、
食事のコントロールや運動のアドバイスなどの指導も行われるようだ。
メタボリック対策がひいては増加し続ける
医療費の削減にもつながるとのこと。
医者から、ストレスが急になくなったときが肥満には要注意と聞いたことがある。
子供が成長して肩の荷がおりたとき
退職してやれやれと思ったときなどを例に挙げて説明していただいた。
ほどほどの緊張感が大切なのか。
この季節退職をはじめ多くの人が人生の大きな節目を迎える。
それが肥満への入り口にならないように気をつけたい。
太りすぎも悪いが、やせ過ぎも怖い。
ただ長年、行状をつぶさに見ている家内から
「あまり太っていると将来、介護が大変よ」これが一番こたえる。
(M.N)
つるバラ
- 2008年5月 8日 15:22
わが家の窓際に植わっているつるバラが、今年もたくさん花をつけました。
もともと5年前、今の家を中古で買ったさい、前の住人の方が植えてあった苗を放っておいたところ、勝手に大きくなって、今のような姿になったものです。
一見するときれいでいいのですが、夏場に枝がどんどん伸びて窓の前をぼうぼうに覆いつくすし、枝を整理しようとすると、トゲが服にひっかかるわ、撥ねかえった枝が当たるわ(痛い!)と、まるで悪女を相手にしているようで、本当に面倒です。
でもやはり花が満開になると「私きれいでしょ♪」と言われているようで、やっぱり許しちゃいたくなるのが、因果なところですね。
(てっちゃん)
子どもの日
- 2008年5月 7日 10:01
- M.N氏の岡目八目
新緑と薫風と子どもたちの歓声がそちこちで広がる。
そして家族の輪が広がる。
遊ぶ子の声を聞けば、親たちも喜ぶ。
いつの世も変わらぬ親と子の愛情だ。
『柱のきずは おととしの 五月五日の 背くらべ・・・』
童謡「背くらべ」。
ちまきを食べながら、兄さんが背丈の伸びを計ってくれた
縁側での兄弟の一こま。
端午の節句といえば、そんな歌の情景を思い出す。
きょうは「子どもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに
母に感謝する」日でもある。
変わらぬものの柱は、この精神だろう。
けれどいまだそこに届かぬ現実や、それを裏切るような・・・。
駐車場に止めた車中へ放置、満足な食事を与えず病気になっても
受診させないとのニュースなどが絶えることがない。
子どもの人格や幸福が何と軽んじられていることか。
それらのことを大人たちに問うている。
マンションのベランダに立って小学校の登校班が通り過ぎていくのを
目で見送ることがある。
五・六人ほどのグループが整然と一列に並んでいることもあれば
話に夢中になって列の一部が乱れていることもある。
そんな時は、最後尾のリーダーが注意して列を正すのが頼もしい。
新一年生が交じる時季。
天気のいい日には真新しいランドセルが朝日に映え
雨降りには大きな黄色い雨がっぱを引きづるようにして歩く。
小走りになって歩くそのけなげな姿に
保護者ならずとも思わず「頑張ってね」と声を掛けたくなる。
子どもたちは時代の鏡であることを、あらためて感じる。
(M.N)
揺れる聖火
- 2008年5月 2日 12:38
- M.N氏の岡目八目
チベット問題で注目を集めてきた北京五輪の聖火リレーが行われているが
長野市では、聖火を手に走るランナーの周りを
スポーツウエア姿の機動隊員が囲み、さらに両側を
百人規模の警察官が伴奏するという厳戒態勢のため
テレビの放映では、見ることができなかった。
八十人のランナーは妨害や沿道での小競り合いも見られたが
聖火リレーは無事に終わった。
警備の壁に囲まれた聖火は、見学者からあまりにも遠く
アスリートたちの複雑な笑顔ばかりが印象に残った。
何と言っても聖火は、歓迎の輪で幾重にも広がることによって
世界を結ぶシンボルとなる。
幾重な警戒の中、誰が何処をどのようにリレーするのか
見聞きできないようなありさまでは
聖火が何のために世界を巡るのか分からなくなる。
本来なら和やかに聖火がつながれていく中で
五輪のムードが高まるのだが、残念だった。
世界五輪大陸に、平和の祭典という五輪の意義を伝える
バトンとなるはずの聖火が各地の抗議行動にさらされ
北京五輪聖火リレーがおかしなことになっている。
平和と友好を象徴するはずが、逆に災いのもとになっている。
理想は理想として、五輪も政治とまったく無縁ではあり得ない。
今回の騒動はそんな現実をあらためて突きつけているのかもしれない。
モスクワ五輪、ロサンゼルス五輪と相次いだ東西両陣営のボイコット劇に
悲しみを覚えたことを思い出す。
日本が国際社会に戻ったのは
東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年だろう。
この年、東海道幹線が開通。「ひかり1号」が
東京ー新大阪間を4時間で走り抜け日本の力を世界に見せつけた。
OECD(経済協力開発機構)にも加盟でき
奇跡の復活を象徴する出来事が相次いだ。
ギリシャのオリンピアで採火された聖火が特別機で運ばれ
いくつかに分散された聖火は、日本の津々浦々をリレーされた。
トーチを持つ正走者は限られていたが
全国の中高生ら約10万人が随走者となったそうだ。
最終ランナー坂井選手が力強く美しい走法で
メーンスタジアム国立競技場のトラックを半周
聖火台へゆっくり駆け上がりトーチを高らかに上げた後、点火。
スタジアムは万雷の拍手。
名実ともに日本が国際社会に復帰した瞬間であった。
真近に迫った北京オリンピックも、かって日本がそうであったように
中国もこのスポーツの祭典に国の威信をかけて臨む。
何としても成功させ中国の力と発展を世界に示そうと必死なのだが
聖火リレーの混乱ぶりを見ていると
五輪本番は大丈夫なのかという不安が頭をよぎる。
中国内では、チベット自治区や
旗に描かれたヒマラヤのチョモランマも超えるようだ。
「大地の母」の名を持つ世界最高峰を行く聖火リレーは
整然として心穏やかであることを願う。
北京五輪のテーマは「一つの世界、一つの夢」なのだから。
(M・N)
- Search
- Links