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2009年9月 Archive

2016年五輪の東京招致

ソ連のタッチネットで金メダルが決まった女子バレーボールの「東洋の魔女」。
神永を破った柔道無差別級のヘーシング。
トラックで抜かれ無念の銅メダルになったマラソンの円谷。

 1964年の東京オリンピックのドラマを覚えている人が減った、五輪の感動を若い世代にも知ってほしい。
石原慎太郎東京都知事が以前、2016年五輪の東京招致の狙いをこう語っていた。

 同感だが、当時と今回の最も大きな違いは国民的な盛り上がりを欠くことだろう。
当時、敗戦からの復興を目指して五輪開催は国民の悲願で、政府や経済界、在外邦人も一体となり招致に動いた。

 それと比べ今回の関心は低く、IOC(国際オリンピック委員会)が昨年6月に行なった世論調査では東京の地元都民の開催支持率が候補4都市の中で最低だった。
国民の関心が年金や不況対策などに向いていることや、東京一極集中が進むことに対する危ぐも影響しているのだろうか。

 開催地が決定する10月のIOC総会に向け海外での招致活動に熱心だが、
2008年五輪の招致に失敗した大阪市では根強い市民の反対運動があった。
市民らの支持はIOCの大きな判断基準になっているように思う。

 2度目の東京五輪がどんなスポーツの未来を目指すのか、十分伝わってこない。
もっと国内でビジョンを語り理解を広める努力が必要だと思うのだが。
 ライバル都市では大統領や国王など元首クラスの出席が決まる中、鳩山首相が10月2日にデンマーク・コペンハーゲンで開かれるIOC総会に出席し2016年夏五輪の東京招致を訴えることに決まったようだ。

(M.N)

熱い戦いでのライバル

8月決戦となった総選挙をはじめ、今年の熱い戦いは終わった。
スポーツ界ではウサイン・ボルト選手が
驚異的な世界新記録をマークした世界陸上や
夏の甲子園などでいくつもの名勝負が生まれた。

名勝負に欠かせないのはライバルの存在。
ボルト選手が9秒58をマークした男子100メートルでは
世界歴代2位の9秒71で走ったタイソン・ゲイ選手や
3位に入った全世界記録保持者の
アサファ・パウエル選手がいた。

中京大中京高(愛知)が43年ぶりの
優勝を果たした甲子園の決勝では
6点を追う九回2死から5点を奪った日本文理高(新潟)。
前評判では劣勢が予想される中で真っ向勝負を挑み
強豪をあと一歩まで追い詰めた。

レベルが高いほど、結果が劇的であるほど
勝者は時に勝者の引き立て役に回る。
しかし、日本文理高のエースが
「最高のゲームで終われば幸せ」と話したように
今回の名勝負は勝者、敗者、見ているものにも
充実感を残した。

ライバルは競争相手であるが、敵対するものではなく
仲間の中にも存在する。
お互いが認め合い、しのぎを削ることで
それぞれが力を伸ばしていける。

(M.N)
 

政治体制

国の政治体制は大きく大統領制と
議院内閣制の二つに分けられるが、それは二元代表制と                           一元代表制の違いと言ってもいい。

例えば大統領制は大統領と議会(議員)とが
別々に選出されるため民意は二元的に代表される。
対して議院内閣制において選出されるのは議会で
その議会を基盤に行政機関の中で最高にして
最終の権限を持つ内閣が成立するため
民意は一元的に代表される。

日本国憲法は「内閣総理大臣は
国会議員の中から国会によって指名する」(第67条)
などと議院内閣制を明文化されている。

有権者が選挙で国会議員を選び、
国会議員が有権者の代表として権限を得る。
権限を得た国会議員は内閣総理大臣を(首相)選び
首相は行政権を行使するための複数の国務大臣を選任して
内閣の構成員とする。各大臣は各省庁(官僚)の
専門的な補佐を受けながら権限を持って
行政にあたる。

これが有権者ー国会議員ー首相ー大臣ー官僚という
権限委任の連鎖。この連鎖こそが一元代表制の根幹なのに、
長年の自民党支配の中で議員の適正や力量よりも
当選回数や派閥力学が重視され、閣僚人事が行われてきたと思う。
そのおかしさに有権者も鈍感だったように感じる。
                                                             民主党政権の組閣を有権者がこれまでのように
井戸端政談として楽しむのでなく
民意がそこに反映されているのかしっかり注視したい。
そうでないと権限委任の連鎖が最初から途切れることになる。

(M.N)

今衆院選

今衆院選は近年の歴史ブームを反映するかのように
文字通りの「天下分け目の関ケ原」となった。
結果的に徳川家康の東軍が民主党
石田三成が率いる西軍は自民党ということになる。

NHK大河ドラマ「天地人」原作者火坂雅史氏は
近著「名将の品格」で、織田信長側近の豊臣秀吉が
天下人になったのはいわば政党内のトップ交代。
これに対し秀吉から家康への移行は完全な
政権交代という見方だ。

歴史小説は調べ尽くして大きく飛ばないと面白くない
という著者らしい視点で、好機をじっと待って
老かいな政治手腕を見せた家康を評価している。
今回の衆院選とだぶらせると、著者の考えは
うなづけるところも多い。

その後の徳川家は長期政権だったが、民主党はどうだろうか。
深手を負った自民党は早く体制を立て直し
次なる戦いに備えたいはずだが
党再生の議論がぎくしゃくしている。
二大政党制が定着するかどうかは霧の中だ。

今の自民党に求められるのは「義」を貫いた
上杉景勝や名参謀の直江兼続のような人物かもしれない。
上杉家は西軍にあっても、したたかに生き延びた。
兼続の才覚と一大決心があったからとされる。

歴史を動かしたリーダーには必ず名参謀がいて
今の歴史ブームではむしろ主役だ。
政党の盛衰も多彩な人材を発掘し
育てることに尽きるのではないだろうか。

(M.N)

迎賓館

平成18年から2年間かけた迎賓館赤坂離宮の
大規模な改修工事が終了した。
一般参観の希望を募っていたので応募したが外れた。

説明書によると迎賓館は、江戸時代に
紀州徳川家の江戸中屋敷があった敷地の一部に
明治42(1909)年に東宮御所(後の赤坂離宮)として建設された。
英国人建築家コンドルの弟子である
片山東熊(とうくま)の総指揮の下に当時の一流建築家や
美術工芸家が総力を挙げて建設に当たった。                                  日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築物である。

敷地は11万7千平方メートルで、建物は地上2階
地下1階の耐震、耐火構造となっている。
知人から聞くところによると、迎賓館は戦後
皇室から国に移管され、国立国会図書館や
オリンピック組織委員会などに一時使用されたそうだ。

外交が重要になるに伴い、芝白金台の迎賓館が手狭になり
新たに迎賓館が必要となって、赤坂離宮を改修して
迎賓館とすることが昭和42(1967)年に決定された。
5年有余の歳月と108億円の経費をかけて
同49年に完成し、今や華々しい外交活動の場を提供している。

外交文化のすぐれた面を摂取しながら、
いかにしてすぐれた自国の文化を創りあげるかは
私たち日本人にとって、永遠の課題である。
願えれば是非、参観したく思う。

(M.N)

国会議事堂

国会議事堂の前庭に
全国47都道府県の木が植えられている。
神奈川県はイチョウだ。
四季折々の花を咲かせ、実りもあろう。

国会開設80年を記念し、1970年に
自治体がら贈られたものだそうだ。
太い幹に広げた枝が
国政を見守ってきた長い年月を物語る。
閑散とした議事堂敷地を歩くと、虫の声がする。

新しい主を迎えるためでもないが
議事堂は今、リニューアルの真っ最中だった。
衆参両院ともシートで覆われ
外壁の汚れを洗い落とす作業が行われていた。
1936年に議事堂が完成して
以来初めての「化粧直し」だそうだ。

70年を越える間に染み付いた汚れは相当なものだろう。
黒っぽい灰色に見えた花崗(かこう)岩は
高圧で噴きつける洗浄を終わると
見違えるほど白く、明るい。
「かって白亜の殿堂と呼ばれたのが分かった」
と衛視も驚かれていた。

(M.N)



夏休みの宿題

  • 2009年9月 6日 10:14

息子の長い夏休みが終わりました。
夏休みと言えば・・・「宿題」です。
そして、学校開始間際になってからの宿題消化です。
家庭科の課題は料理を一品作ることでした。
メニューを考えながら数日が経過した時、
オーナー様から手作りの「ゴーヤ」をいただきました。
やわらかそうな、新鮮で、色鮮やかなゴーヤでした。
私はひらめき・・・「ゴーヤチャンプル」にしようと息子に提案し決まりました。

息子は初めての「ゴーヤ」の調理にてこずっていましたが、
(私はそばで見守っていました(笑))
何とか和風「ゴーヤチャンプル」が見事に完成しました。
と言っても・・・豆腐がそぼろのようになってしまったのですが、
そこは大目にみて、初めての「ゴーヤチャンプル」が出来上がりました。
味もなかなかGOOD!でした。
満足感で課題を終えることができました。
オーナー様が、大事に育てた「ゴーヤ」に感謝です。
どちそうさまでした。


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(沖縄料理ということで、ご当地キューピー人形をアクセント撮影しました。)

(しむりん)

銅像

国会議事堂の中央広間の4階に、3人の銅像がある。
衆議院と参議院の真ん中だ。
高さ32メートルの広い空間だ。
板垣退助と伊藤博文、大熊重信の銅像だ。
言わずと知れた明治の元勲だが、そこに建てられたのは
憲政の功労者として評価されたからだった。
1938年に銅像になった。

国会開設を求めて自由民権運動を起こした板垣退助
明治憲法を制定した伊藤博文
初の政党内閣を組閣した大熊重信の銅像が
台座に建っているが、四つ目の台座に銅像がない。

なぜなのか、参議院事務局の説明によると二説あるという。
一つは、四人目を誰にするか決められなかったため
将来に持ち越されたとする説。
もう一つは「政治に完成はない」との
メッセージを込めた未完の象徴という説だ。

謎を秘めたこの台座を含め、国会議事堂の参議院側は
誰でも見学することができる。
原則として衆院議員の紹介がないと見学できない衆議院と違い
参議院では平日は一時間ごとに参観を受け付けており、
窓口で申し込めば一時間で見て回れる。
案内役は警備担当の衛視だ。
両院の衛視は国会の役割や議事堂の歴史を
見学者に説明することも職務の一つ、という。

衛視から二院制の説明を受けながら
参議院の存在意識を考えさせられた。
1947年の第一回選挙で無所属議員108人が当選し
各政党を抑えて最大勢力となった。
無所属議員たちは院内会派「緑風会」を結成し
政党が覇 を競う衆議院と一線を画した。

党派にとらわれない自由な伝統は今やなく
「良識の府」でも政党間の駆け引きばかりが横行した                             ねじれ国会だった迷走ぶり、政権交代された今回の選挙を
3人はどう見ているのだろうか。

(M.N)

永田町界隈

今にも降り出しそうな空の下
永田町界隈を歩いてみた。
2棟ある衆議院会館では
2日が落選者の退去期限とあって
スタッフらが残務整理に追われていた。

通路には事務用品や書類があふれ、
傍らを当選祝いのコチョウランを
配達する生花定員が通り過ぎる。
霞ヶ関の官僚も与党となった民主党議員への
表敬訪問に忙しい。
政権交代の明と暗を象徴する光景だ。

自民党議員の大量落選で、
失職する秘書も過去最多と予想される。
ベテランの男性秘書は
「年も年なので、今後のことは未定。
公園で時間でもつぶそうか」
落胆しきりだった。20代の女性は
「先生に再就職先を相談したら
結婚相手を見つけなさいよと言われた」
と笑いながらも疲れた表情だった。

がらんとした衆院本会議場を案内してもらった。
解散日の喧騒(けんそう)が随分前のことのように思えた。
議場では約40年ぶりに
椅子の布地張り替え作業が進んでおり
9月下旬までに全480議席を新調するそうだ。
新首相を決める特別国会は16日に召集されるが
一部は古いままになると聞いた。

勝海舟は晩年、「どうも7,8年ないし10年にして
人心が一変する」と述べている。
開国、尊王攘夷(じょうい)、王政復古と
「維新までに三変した」と振り返り
「政治家は流行ではなく機勢の変転を見なければならない」と
指摘している。

時代の流れを的確に読み
それに沿った政治を行えという意味にとれる。
流れを読み解けなかったら
次の選挙で明暗は逆転すると思う。

(M.N)
 

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