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2011年5月 Archive

浮世絵版画

歴史上の名画や彫刻、工芸品の中には損傷や破損のほか、
歳月を経て劣化し、当初の状態から大きく変わってしまった
ものが多い。それでも、どんな発色、彩色だったのだろうかと
想像してみると楽しい。

千葉市美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展」は、
保存状態の良い作品を堪能できるのが魅力だ。
鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の三大絵師を中心とした展示が、
鮮明な色彩美を伝えている。

植物性の塗料が多く使われていたため、色あせ、変色しやすい
当時の浮世絵版画だ。光や湿度の影響で、本来の色を残している作品は
ほとんどないという。特に紫色は変わりやすく、茶色っぽく
退色してしまうそうだ。

会場には、着物の模様も美しく鮮やかに、約200年以上前に
摺(す)られたとは思えない色合いの作品群が並んでいる。
明治期にアメリカに渡って封印されたことが、保存上幸いしたようだ。

清長、歌麿、写楽らが活躍した天明・寛政期(1781~1801年)は、
政権の安定と経済発展により町人文化が繁栄した時代。
気品をたたえた美人群像や迫力ある役者絵に囲まれ、江戸の活気と
華やいだ空間に誘われる。

描かれた季節感も豊かだ。団扇(うちわ)や扇子を手にした女たち、
川端での夕涼み、舟遊び・・・。
社会と経済が行き詰まり、市民生活の見直しさえ迫られた現代社会。
江戸風俗のしなやかさが輝かしいほどである。

(M.N)


端正

端正という言葉が似合う人は最近ではめったにお目にかからぬが、
俳優やクイズ番組の司会者として親しまれた児玉清さんは、
その数少ない一人だった。

ぴんと伸びた背筋と同様、簡潔で歯切れのいい口調は
どこか潔さを感じさせた。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では
坂本竜馬の父親役を演じられたが、端然として存在感があった。
映画やテレビで名を上げる一方、早くから大の読書家
としても聞こえた。

それも学生時代に専攻したドイツ文学から日本の時代小説、
現代小説、海外サスペンス物まで、東西の文学に通じられていた。
外国の作品はまず原作で読むのが楽しみ、と書いていられるのを
目にしたことがある。

そして優れたエッセイストでもあった児玉さんが16日、
胃がんで亡くなった。享年77.体調を崩し、クイズ番組の
収録を休んだと先日の新聞で知ったばかりだった。
各界の著名人が自ら執筆し、10年ほど前に出版された
「私の死亡記事」という本がある。

この中で執筆者の一人である児玉さんは、子どものころから
手当たり次第に本を読みあさってきたこととともに、
組織に属さず一人でいたことが僕の勲章と記されている。

今回の東日本大震災で露呈した国の危機管理のお粗末さにも
言及されている。「知恵と想像力と決断力のある大人のリーダーを
今こそ日本は求めている」(「文芸春秋」5月号)。
死を前の病床で書き上げた原稿だったのではないだろうか。

(M.N)

技法

東日本大震災で東京タワーは先端が曲がる被害を受けたが、
隅田川近くで建設が進む東京スカイツリーは、
震災の一週間後に634メートルと完成時の高さに達した。

自立式の電波塔として世界一の高さだけに、
安全のための工夫に力が注がれる。「心柱(しんばしら)」
もその一つ。塔の中にある鉄筋コンクリートの筒で、
上部は塔に固定されていない。本体とは違う揺れ方をして
地震や強風の影響を抑える。

1400年前に建立された法隆寺に使われた技法だ。
昭和の大修理を手掛けた宮大工の故西岡常一さんは著書
「木に学べ」(小学館)に書いた。
「ゆうらゆうら動いて、力が抜けるとまた元どおりに、
じっとおさまる。塔とはそういうふうに作るもんなんです」。

法隆寺の五重塔は心柱に納める仏陀(ぶつだ)の遺骨を守るために
建てられたが、スカイツリーが担うのはデジタル放送の電波を送る
機能だ。災害時にまず必要なのは情報だろう。
被災者と社会を結ぶ大切な役割を果たしてほしい。

法隆寺の五重塔には、先人たちが自然と向き合い、
学んだ技法と美意識が疑縮される。逆らわず、柔軟に。
そんな発想が、先端技術を駆使する東京スカイツリーにも受け継がれる。
来春の完成が待ち遠しい。

(M.N)

緑のカーテン

立夏を過ぎ、若葉がまぶしさを増す初夏に入った。
本格的な暑さが間もなくやってくるが、今年は東日本
大震災の影響で「節電の夏」が予想されている。

子どものころ、うだる暑さの中、行水を何回もするのが
心地よかった。うちわは必需品で、よしずやすだれを上手に使い、
戸や窓は開け放たれていた。風鈴の音色も涼しさを誘ったものだ。

扇風機もそれほど普及していなかったが、今よりは
過ごしやすかったように思う。それに比べて地球温暖化と
都市化が進む現代の暑さは実に厳しい。その中での節電だ。
エアコンに慣れきった身では早めに対策を考えておきたい。

強い日差しを和らげるのに、最近はゴーヤなどのつる性植物による
「緑のカーテン」が人気だという。葉から水分が蒸発する蒸散作用が
周囲の気温を下げてくれるし、豊かな緑による癒し効果も大きい。
国交省も「今からできる、誰でもできる緑化」と普及を呼び掛けている。

自治体が緑のカーテンづくりを勧め、実践する自治体、学校なども
少なくない。ゴーヤは、今植えれば7月過ぎには葉が生い茂るという。
栽培に手間がかからないのも魅力だ。子どものころの暮らしを
思い出しながら、電気に頼らない夏を工夫したい。

(M.N)

 

美術館

らんまんの桜色に代わって、若葉が枝々に広がり、
空を大きく覆う。萌(も)え出る多彩な新緑に吹く風が
染まり、心地良い。初夏のすがすがしさ、軽やかさ。

移ろう季節の中、燕子花(かきつばた)が見ごろを迎えていた。
訪ねたのは、コレクション展を開催中の南青山の根津美術館。
尾形光琳筆の国宝「燕子花図屏風」を中心に館蔵品が展示され、
日本庭園にも燕子花が咲き競う。

金地に群青と緑青のみでリズミカルに描かれた六曲一双の屏風は、
右隻と左隻の構成や微妙な濃淡の違いを楽しめる。
鑑賞後、起伏のある庭園を散策しながら都会の一角とは思えない
豊かな自然も満喫できた。

当初、「燕子花図」と米メトロポリタン美術館所蔵「八橋図」の
光琳による二つの金屏風が並ぶ予定だったが、震災の影響で
来春に延期になった。残念な思いをした人は多いはずだ。

地震と福島第1原発事故後、欧米から借りる巨匠の優品を
目玉に据えた企画展の開催中止や展示内容の変更が各美術館で
相次いでいる。海外の関係者が、日本への作品貸し出しに
難色を示したためだった。

「燕子花図」と「八橋図」は同じ伊勢物語を題材とし、
人物の描写こそないものの東国に下る途中の在原業平が都をしのんで
歌を詠む場面。大正時代、日本とアメリカに離れてから2作品は
一度も出会うことがなかった。100年ぶりの再会を待つ光琳画が
郷愁を誘った。

(M.N)

母の日

「母ありて/われかなし/母ありて/われうれし/(中略)
母ありて/われあたたかなり」。詩人サトウハチローが残した
詩のうち3千は母に関するものだ。

東日本大震災で被害のあった岩手県北上市は14年前から
サトウハチロー記念「おかあさんの詩」コンクールを
実施しているそうだ。寄せられた作品には母への思いが詰まる。

岩手県の幼稚園児の詩。「いちばんめに好きなのは
とうさんとにいちゃん/でもね、かあさんのことは/もっと大すきだから
/ゼロばんめ/ゼロだからいちより/ずっとぼくにちかいんだよ」

母の字は女性が子を抱く姿をかたどったとされる。
また母語、母国、母校など、母には源という意味もある。
サトーハチローと園児の詩には、命の源である母を慈しむ気持ちが共通する。

働く母親は外で仕事、家で家事・子育てに追われ、専業主婦は
一日中子どもと向き合う。「トイレでも/一人になれない/母親業」
新読書社「育児・子育て川柳」)。家事・育児に追われ、
家族の感謝を十分かみしめる余裕がないのも今どきの母親の一面か。

今年も6月から作品を募る北上市。被災地ではまだ作詞どころではない
地域もあるかもしれない。母親への感謝を気軽に詩につづる日常を
一日も早く取り戻してほしい。8日は母の日だった。各家庭で
素直に母親への感謝を伝えたい。「お母さん、ありがとう」の一言とともに。
孫に母親のありがたさを話してやったのだが、孫からの返事は
「ジィジィはバァバァを大切にしているの」だった。

(M.N)

省エネの知恵

夏場を中心に電力需要のピークをいかにカットして
いくかがこれからの大きなテーマになっている。
東京電力や東北電力の管内の話ではあるが、
全国でよそ事にしてはいけないことだろう。

省エネルギーの取り組みは今回の震災前から、
日本の社会に求められてきた環境問題上の大命題である。
脱化石燃料、消費電力の抑制は生活のあり方を問い掛けた
世界的ニーズでもある。

政府が示す目標は使用電力の15%カット。企業では
サマータイムの導入や工場の稼働時間の分散化、夏季休暇の
長期化などを検討している。一般家庭でも家電の使い方を見直
すなど、電力使用の削減が求められる。

国内の生産性を低下させずに省エネを成功させる取り組みは、
東日本だけでなく全国的なスタンダードモデルにもなり得よう。
これから試行されていく非常時の知恵をその後のローコスト社会、
エコロジー社会の実現に向けた礎としたい。

部屋を冷やすエアコンの設定温度を上げる。無駄な電灯の
スイッチを切る。省エネタイプの家電に切り替える。
夏場を軽装で過ごすクールビズを徹底する。打ち水をする。
すぐできる実践例も多い。

新旧の省エネの知恵を集積し一人一人が努力する。
人ごとにしないことが日本復興の推進力になるはず
であると思う。

(M.N)

石炭の世紀

21世紀は石炭の世紀だった。
と言われてもぴんと来ないかもしれない。
エネルギーの主軸を石油に譲って久しい。
燃やせば温室効果ガスの二酸化炭素(CO2)を
大量に出すから悪玉扱いもされた。

が、世界は「黒いダイヤ」の誘惑から解放されていない。
米国や中国の大量消費は言わずもがな。
太陽光や風力に熱心なドイツでさえ発電の5割近くが石炭。
何せ石油や天然ガスよりも価格が安い。

埋蔵量が豊富、産地が広範、地政の影響も低い。
ゆえに石油ショック以来、電源構成の影の主役だ。
人ごとではない。日本の電力会社が近年、最も精を出したのは
石炭火力発電所の建設だ。

「原発が増えると火電が増える」という言葉があるのだそうだ。
原発をつくれば、日常の出力調整と非常時に備える別電源が
必要になる。京都議定書後の10年で、石炭家電の総出力は
1200万キロワット以上も増えたようだ。
もはや石炭隠しのための原発であると思われる。

石炭の世紀とは、石炭とのつきあい方を考えなくてはならない。
日本はCO2排出を抑える石炭ガス化複合発電の技術力こそあれ、
実用化では後れをとる。原発一辺倒で進んだツケかもしれない。

福島原発事故を受け、再び脱原発に向かったドイツは、
火電が出すCO2を地下埋設する研究を本格化するそうだ。
環境負荷の懸念はあるが、使用済み核燃料の地層処分よりはまし。
そう思わされるのも、また原発の罪になるのだろうか。

(M.N)

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