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2011年8月 Archive

激務からの解放感

役所を退職した知人が訪ねてきた。激務からの解放からか、
顔つきが穏やかだった。丁寧に差し出した名詞には名前と住所のみだ。
「これからは名前だけで勝負です」と説明された。
日本は肩書社会である。職業や地位が明確でないと、
どうも不安でならない。政治家なら出自から丸裸にされる。
でも本来はそんな狭隘(きょうあい)な社会ではなかった。

江戸の町には「三脱(さんだつ)の教え」という作法があった。
粋な生活哲学ともいうべき「江戸のしぐさ」の一つだ。
「三脱」」つまり人を規定する年齢・職業・地位に関し、
初対面の人には聞いてはいけない習わしだった。
当時は身分の差があり武士階級もある。そんな格差を超え、
対等な付き合い方のルールがあったとは驚きだ。
江戸人の心意気と見るが、穏やかな秩序保持の手段だったのだろう。

何事にも先入観は禁物だ。肩書きはその人の「本質」ではない。
米国には雇用で「年齢差別禁止法」があり就職に際し年齢や人種、
宗教、性別を問うことを禁じている。

わが国も雇用対策法で募集・採用時の年齢制限は原則禁止だが、
守られているとは言い難い。人の器や能力を測る尺度を持つこと自体が
格差や差別を生む。管首相が間近に退陣されるが、官邸で開いた
党若手議員らとの会食で「辞めてからのことを考えると、
うれしくて仕方がない」と本音を漏らされたそうだ。
肩書きが重すぎたのか。

(M.N)


天高く

「天高く馬肥ゆる秋」。子どものころ、この言葉を聞くと、
なぜか馬が風船のように膨らんで秋空高く浮かんでいる様子を
イメージした。そうではなく、秋というのは空が遠のいて
すがすがしく、食欲が進み、馬も太る季節なのだ。
と理解したのはずっと後年のことである。ところが、
これも正解ではなかったようだ。
 
「ことわざなるほど雑学辞典(PHP文庫)によると、
ことわざは中国からの伝来らしい。中国は古来、
北方の匈奴(きょうど)という騎馬民族に悩まされてきた。
春から夏にかけて豊富な草を食べた馬は、
秋には一段と元気になり、それに乗って匈奴が攻めてくる。

つまり、また注意すべき秋が来た、という危険信号の意味が
あったという。現代風ののどかな理解とは真逆の緊迫感が
うかがえる。しばらくの間、秋の到来を感じさせる青空を
見るのは難しそうだが、政界はいよいよ秋の陣が幕を開けたようだ。
東日本大震災のために延長した国会も党利党略、
派利派略ばかりが目立って、肝心の対策は後手後手に回った。

与野党そろって「国民の皆さん」を枕詞にした、
いかにも国会議論はもう聞き飽きた。今度はどんな内閣が
できるのだろうか。少なくとも安心して物が食べられる
食欲の秋になってほしい。


(M.N)


「涙は「女性の武器」と言って批判を浴びたのは、
小泉純一郎元首相だった。10年前、当時の田中真紀子外相が
外交問題への鈴木宗男衆議院議員の関与を涙ながらに訴えた
のに対し、先の発言となった。

涙が「女性の武器」かどうかは知らない。では「男の涙」は
どうだろうか。先の衆院経済産業委員会で早期辞任を求める
自民党議員の質問に「もうしばらくこらえてください」と、
泣き崩れた海江田万里経済産業相が思い浮かぶ。

洋の東西を問わず、指導者の資質の一つは強さといわれる。
ひるがえって、弱さは最大の欠点だ。人柄がにじみ出る涙は
いいとしても、国会で政治家が手で顔を覆い、肩を震わせて
泣いたのはどうか。

原発の再稼動問題などをめぐる菅直人首相との確執は
かねて言われてはいたものの、国会で泣くのはいただけない。
この人に国を任せて大丈夫かと、心配になった。

管首相の後継を選出する民主党代表選が今月中にも
行われるようだ。震災から立ち上がるために国をどう導いていくのか。
各候補は堂々と政策論議を戦わせてもらいたい。
海江田経済産業相も泣いているときではない。政治のふがいなさに
涙しているのは国民であり、とりわけ被災者であることを
忘れてもらっては困るのだが。


(M.N)
 

連帯と分かち合い

終戦直後、進駐軍の通訳をしていた日系人が
東京のガード下で靴磨きの少年に出会った。靴を磨いてもらい、
年を聞くと7歳という。あまりにかわいらしいのでチップを弾んだ。

宿舎で食事の時、白い大きなパンを見て思いついた。
よし、これもやろう。おなかが空いているだろうから喜ぶはずだ。
パンをはんぶんにちぎって、たっぷりバターを塗り、再び
ガードしたに行って「これもあげるよ」と勧めた。

すると少年は「さっきはお代以上に頂きました。もうこれ以上は
受け取れません」と言う。「君のおなかが空いているだろうと思って
家から戻ってきたんだ。どうか受け取ってくれないか」と頼んだ。

少年は「そこまで言われるのでしたらありがたく頂きます」と
受け取った。すぐにパクつくと思っていたら、風呂敷を出して包み込む。
「どうするのか」と尋ねると、「家に3歳の妹がいます。
これを食べさせてあげたい」と顔をほころばせた。

通訳の日系人はそのとき思った。下手をすればナイフを取り出す
ニューヨークの靴磨きとは大違いだ。敗戦で悲惨な状況なのに、
こんな小さな子供でも誰かを思いやっている。この国は必ずや
どん底から立ち直れる、と
 
東日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが
講演会で引用した話だ。阪神淡路大震災の被害者でもある五百旗頭さんは、
敗戦からの復興を例に、国民全体の連帯と分かち合いで
復興を進めることが重要だと力説されている。

(M.N)

花火

  • 2011年8月12日 07:54

打ち上げ花火の季節である。芯物花火は二重三重の輪を描く。
光の粒が広がる「牡丹(ぼたん)」、光が放射する「菊」、
しだれる「柳」。上昇中に枝を出す「昇り曲導(きょくどう)」
があるかと思えば、ふいにマスコットの顔や土星のような形が
ぽっかりと夜空に浮かんだりする。

鮮やかな青やピンクなど、色彩も年々豊かになるようだ。
緑はバリウム、赤はストロンチウム、青はナトリウム、金は
チタニウムなど、金属元素の炎色反応を駆使した光の芸術が美しい。

一説によると、花火は江戸初期の「駿府政事録」に史料として
初めて登場している。駿府城を表敬した外国人の献上品に花火があり、
徳川家康公が慶長18年(1613年)8月、城内二の丸で
花火を見たと伝えられている。

打ち上げ花火は川遊びや水の犠牲者の供養から始まったと言われ、
新旧の盆の月に集中している。今夏は多くの開催地が、
東日本大震災の犠牲者を供養し、併せて被害地復興への祈りを
込めたという。
 東北は昨今、熱い思いのこもる大きな祭りのうねりの中にあった。
青森のねぶた、秋田竿燈、山形花笠、仙台七夕など華やかな伝統行事が
相次いだ。2万人を超す大地震の死者行方不明者をしのび、
復旧・復興への不安をかき消すような夏祭りだった。
身近な花火にもまして、遠方の花火が心に染みる夏だ。


国家的宿題

8月、夏本番。児童・生徒たちの夏休みも真っ盛りだ。
海へ山へプールへ、もいいが、宿題も少しずつやっておいた
ほうがいい。いつでもできると思っていたら、あとが大変だ。

自由研究のテーマは今年はいくつもありそうだ。
地震や津波について考えてみるのもいい。日本は大昔から
自然災害とたたかってきた。節電についても考えてみたい。
電気がなくては暮らしていけないのだから。

この夏は円高の問題も加わった。大変だ大変だ、という
雰囲気になっている。円高問題は日本にとっては長年の宿題
だったはずだ。円高が進んでも心配しなくていい国になるには
どうしたらいいか、という宿題を出されて30年近くになる。

「内需主導型への転換」という答えは最初から示され、
具体策を示すのが宿題だった。円高になると外国からモノを
安く買える。それを国の前進力にする道筋だ。政治が宿題を
サボってきたから「大変だ」を繰り返すだけ。

慣れ親しんだ外需(輸出)主導型経済は、円高が進むほど
骨格がきしむ。今回の超円高は輸出産業の生産の海外移転を
加速させるだろう。ただでさえ産業界には電力の供給不安を
背景に日本脱出を考える空気が出始めていた。

長年の宿題はともかく、突然突きつけられた宿題は
こなさないと、日本経済はいよいよ暗い。電力不安は
どうすれば解消できるのか。国家的宿題の答えとそこに至る
道筋を、政府・与党は夏休み抜きで見つけなければならない。
頼みますよ。


記憶遺産

平泉の文化遺産、小笠原諸島の自然遺産に続いて、
記憶遺産に筑豊の炭坑の様子を描いた山本作兵衛さんの絵が
選ばれた。まさに世界遺産の3連発。震災以降、
暗雲立ち込める日本列島に世界遺産のニュースは、
なでしこジャパンとともに久々に明るい話題が振りまかれた。

その「記憶遺産」だが、大方の人にとって始めて耳にする
言葉だったのではないか。何しろ今回初めて日本のものが
選ばれたのだ。記憶遺産自体は1992年に設けられた制度で、
これまでにグーテンベルクの聖書やアンネの日記などが登録されている。

これに伍して選ばれた山本作品は半世紀自分が働いた
「ヤマの生活を子や孫に残したい」との一心から60歳代になって
絵筆をとられたようだ。素朴で力強い筆遣いと余白にびっしり
書き込まれた文章が、炭鉱の暮らしを鮮明に伝え、まさに
「遺産」にふさわしい。

山本作品とはかなり趣を異にするが、やはり鮮やかに
時代や世相を伝えるものだとあらためて感じたのが、絵はがきだ。
最近出版された「東京今昔旅の案内帖」(学研ビジュアル新書)は、
明治以降の彩色絵はがきや写真と現在の写真を並べて
名所の今昔をたどるという趣向だ。

例えば、「浅草十二階」として知られ関東大震災で崩壊した凌雲閣が
ひょうたん池越しにそびえる絵はがきは、江戸と近代が混在するさまを
伝えている。まさに身近な"記憶遺産"と思う。同じ著者による
大阪版も出ていて、変貌ぶりを机上で歴史散歩できる。


高速鉄道

中国で23日夜、高速鉄道の追突事故で多数の乗客が
死傷したと報道された。追突された車両が
20~30メートルの高架橋から転落したらしい。
中国版新幹線では最悪の事故だ。日本は1964年に
東海道新幹線開業以来、死亡事故ゼロを続けている。

中国では高速鉄道網が急速に拡大している。昨年末で
営業距離8358キロは世界最長となった。
2020年末に約2倍の1万6000キロを目指して工事が進行中だ。
6月30日には過去最大となる2兆7500億円を投じた
北京ー上海間(1318キロ)が開業した。従来の10時間の半分に
短縮されたようだ。

威信をかけた国家プロジェクトだけに鼻息も荒く、
国内建設ばかりか、南米や中東に技術輸出の攻撃をかけている。
ところが後発だけに日本や独仏の技術をベースにしたのは
世界の常識で、特許紛争に発展しかねないと懸念されていた。
そこに今回の事故発生だ。各国は事後を注目している。

中国は去年から始まった第12次5カ年計画で「強国」から「富民」への
方針転換を表明した。一党独裁の制約下という前提付きながら
多少スタンスを変えようという姿勢を示した。死傷者の救済・
支援と同時に原因究明と対策をどう進めるか。
安心・安全の優先が富民と無関係ではないと思う。

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