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2011年8月 Archive
激務からの解放感
- 2011年8月29日 19:19
- M.N氏の岡目八目
役所を退職した知人が訪ねてきた。激務からの解放からか、
顔つきが穏やかだった。丁寧に差し出した名詞には名前と住所のみだ。
「これからは名前だけで勝負です」と説明された。
日本は肩書社会である。職業や地位が明確でないと、
どうも不安でならない。政治家なら出自から丸裸にされる。
でも本来はそんな狭隘(きょうあい)な社会ではなかった。
江戸の町には「三脱(さんだつ)の教え」という作法があった。
粋な生活哲学ともいうべき「江戸のしぐさ」の一つだ。
「三脱」」つまり人を規定する年齢・職業・地位に関し、
初対面の人には聞いてはいけない習わしだった。
当時は身分の差があり武士階級もある。そんな格差を超え、
対等な付き合い方のルールがあったとは驚きだ。
江戸人の心意気と見るが、穏やかな秩序保持の手段だったのだろう。
何事にも先入観は禁物だ。肩書きはその人の「本質」ではない。
米国には雇用で「年齢差別禁止法」があり就職に際し年齢や人種、
宗教、性別を問うことを禁じている。
わが国も雇用対策法で募集・採用時の年齢制限は原則禁止だが、
守られているとは言い難い。人の器や能力を測る尺度を持つこと自体が
格差や差別を生む。管首相が間近に退陣されるが、官邸で開いた
党若手議員らとの会食で「辞めてからのことを考えると、
うれしくて仕方がない」と本音を漏らされたそうだ。
肩書きが重すぎたのか。
(M.N)
天高く
- 2011年8月26日 18:26
- M.N氏の岡目八目
「天高く馬肥ゆる秋」。子どものころ、この言葉を聞くと、
なぜか馬が風船のように膨らんで秋空高く浮かんでいる様子を
イメージした。そうではなく、秋というのは空が遠のいて
すがすがしく、食欲が進み、馬も太る季節なのだ。
と理解したのはずっと後年のことである。ところが、
これも正解ではなかったようだ。
「ことわざなるほど雑学辞典(PHP文庫)によると、
ことわざは中国からの伝来らしい。中国は古来、
北方の匈奴(きょうど)という騎馬民族に悩まされてきた。
春から夏にかけて豊富な草を食べた馬は、
秋には一段と元気になり、それに乗って匈奴が攻めてくる。
つまり、また注意すべき秋が来た、という危険信号の意味が
あったという。現代風ののどかな理解とは真逆の緊迫感が
うかがえる。しばらくの間、秋の到来を感じさせる青空を
見るのは難しそうだが、政界はいよいよ秋の陣が幕を開けたようだ。
東日本大震災のために延長した国会も党利党略、
派利派略ばかりが目立って、肝心の対策は後手後手に回った。
与野党そろって「国民の皆さん」を枕詞にした、
いかにも国会議論はもう聞き飽きた。今度はどんな内閣が
できるのだろうか。少なくとも安心して物が食べられる
食欲の秋になってほしい。
(M.N)
涙
- 2011年8月23日 08:00
- M.N氏の岡目八目
「涙は「女性の武器」と言って批判を浴びたのは、
小泉純一郎元首相だった。10年前、当時の田中真紀子外相が
外交問題への鈴木宗男衆議院議員の関与を涙ながらに訴えた
のに対し、先の発言となった。
涙が「女性の武器」かどうかは知らない。では「男の涙」は
どうだろうか。先の衆院経済産業委員会で早期辞任を求める
自民党議員の質問に「もうしばらくこらえてください」と、
泣き崩れた海江田万里経済産業相が思い浮かぶ。
洋の東西を問わず、指導者の資質の一つは強さといわれる。
ひるがえって、弱さは最大の欠点だ。人柄がにじみ出る涙は
いいとしても、国会で政治家が手で顔を覆い、肩を震わせて
泣いたのはどうか。
原発の再稼動問題などをめぐる菅直人首相との確執は
かねて言われてはいたものの、国会で泣くのはいただけない。
この人に国を任せて大丈夫かと、心配になった。
管首相の後継を選出する民主党代表選が今月中にも
行われるようだ。震災から立ち上がるために国をどう導いていくのか。
各候補は堂々と政策論議を戦わせてもらいたい。
海江田経済産業相も泣いているときではない。政治のふがいなさに
涙しているのは国民であり、とりわけ被災者であることを
忘れてもらっては困るのだが。
(M.N)
連帯と分かち合い
- 2011年8月17日 09:59
- M.N氏の岡目八目
終戦直後、進駐軍の通訳をしていた日系人が
東京のガード下で靴磨きの少年に出会った。靴を磨いてもらい、
年を聞くと7歳という。あまりにかわいらしいのでチップを弾んだ。
宿舎で食事の時、白い大きなパンを見て思いついた。
よし、これもやろう。おなかが空いているだろうから喜ぶはずだ。
パンをはんぶんにちぎって、たっぷりバターを塗り、再び
ガードしたに行って「これもあげるよ」と勧めた。
すると少年は「さっきはお代以上に頂きました。もうこれ以上は
受け取れません」と言う。「君のおなかが空いているだろうと思って
家から戻ってきたんだ。どうか受け取ってくれないか」と頼んだ。
少年は「そこまで言われるのでしたらありがたく頂きます」と
受け取った。すぐにパクつくと思っていたら、風呂敷を出して包み込む。
「どうするのか」と尋ねると、「家に3歳の妹がいます。
これを食べさせてあげたい」と顔をほころばせた。
通訳の日系人はそのとき思った。下手をすればナイフを取り出す
ニューヨークの靴磨きとは大違いだ。敗戦で悲惨な状況なのに、
こんな小さな子供でも誰かを思いやっている。この国は必ずや
どん底から立ち直れる、と
東日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが
講演会で引用した話だ。阪神淡路大震災の被害者でもある五百旗頭さんは、
敗戦からの復興を例に、国民全体の連帯と分かち合いで
復興を進めることが重要だと力説されている。
(M.N)
花火
- 2011年8月12日 07:54
打ち上げ花火の季節である。芯物花火は二重三重の輪を描く。
光の粒が広がる「牡丹(ぼたん)」、光が放射する「菊」、
しだれる「柳」。上昇中に枝を出す「昇り曲導(きょくどう)」
があるかと思えば、ふいにマスコットの顔や土星のような形が
ぽっかりと夜空に浮かんだりする。
鮮やかな青やピンクなど、色彩も年々豊かになるようだ。
緑はバリウム、赤はストロンチウム、青はナトリウム、金は
チタニウムなど、金属元素の炎色反応を駆使した光の芸術が美しい。
一説によると、花火は江戸初期の「駿府政事録」に史料として
初めて登場している。駿府城を表敬した外国人の献上品に花火があり、
徳川家康公が慶長18年(1613年)8月、城内二の丸で
花火を見たと伝えられている。
打ち上げ花火は川遊びや水の犠牲者の供養から始まったと言われ、
新旧の盆の月に集中している。今夏は多くの開催地が、
東日本大震災の犠牲者を供養し、併せて被害地復興への祈りを
込めたという。
東北は昨今、熱い思いのこもる大きな祭りのうねりの中にあった。
青森のねぶた、秋田竿燈、山形花笠、仙台七夕など華やかな伝統行事が
相次いだ。2万人を超す大地震の死者行方不明者をしのび、
復旧・復興への不安をかき消すような夏祭りだった。
身近な花火にもまして、遠方の花火が心に染みる夏だ。
国家的宿題
- 2011年8月 6日 20:12
- M.N氏の岡目八目
8月、夏本番。児童・生徒たちの夏休みも真っ盛りだ。
海へ山へプールへ、もいいが、宿題も少しずつやっておいた
ほうがいい。いつでもできると思っていたら、あとが大変だ。
自由研究のテーマは今年はいくつもありそうだ。
地震や津波について考えてみるのもいい。日本は大昔から
自然災害とたたかってきた。節電についても考えてみたい。
電気がなくては暮らしていけないのだから。
この夏は円高の問題も加わった。大変だ大変だ、という
雰囲気になっている。円高問題は日本にとっては長年の宿題
だったはずだ。円高が進んでも心配しなくていい国になるには
どうしたらいいか、という宿題を出されて30年近くになる。
「内需主導型への転換」という答えは最初から示され、
具体策を示すのが宿題だった。円高になると外国からモノを
安く買える。それを国の前進力にする道筋だ。政治が宿題を
サボってきたから「大変だ」を繰り返すだけ。
慣れ親しんだ外需(輸出)主導型経済は、円高が進むほど
骨格がきしむ。今回の超円高は輸出産業の生産の海外移転を
加速させるだろう。ただでさえ産業界には電力の供給不安を
背景に日本脱出を考える空気が出始めていた。
長年の宿題はともかく、突然突きつけられた宿題は
こなさないと、日本経済はいよいよ暗い。電力不安は
どうすれば解消できるのか。国家的宿題の答えとそこに至る
道筋を、政府・与党は夏休み抜きで見つけなければならない。
頼みますよ。
記憶遺産
- 2011年8月 4日 16:30
- M.N氏の岡目八目
平泉の文化遺産、小笠原諸島の自然遺産に続いて、
記憶遺産に筑豊の炭坑の様子を描いた山本作兵衛さんの絵が
選ばれた。まさに世界遺産の3連発。震災以降、
暗雲立ち込める日本列島に世界遺産のニュースは、
なでしこジャパンとともに久々に明るい話題が振りまかれた。
その「記憶遺産」だが、大方の人にとって始めて耳にする
言葉だったのではないか。何しろ今回初めて日本のものが
選ばれたのだ。記憶遺産自体は1992年に設けられた制度で、
これまでにグーテンベルクの聖書やアンネの日記などが登録されている。
これに伍して選ばれた山本作品は半世紀自分が働いた
「ヤマの生活を子や孫に残したい」との一心から60歳代になって
絵筆をとられたようだ。素朴で力強い筆遣いと余白にびっしり
書き込まれた文章が、炭鉱の暮らしを鮮明に伝え、まさに
「遺産」にふさわしい。
山本作品とはかなり趣を異にするが、やはり鮮やかに
時代や世相を伝えるものだとあらためて感じたのが、絵はがきだ。
最近出版された「東京今昔旅の案内帖」(学研ビジュアル新書)は、
明治以降の彩色絵はがきや写真と現在の写真を並べて
名所の今昔をたどるという趣向だ。
例えば、「浅草十二階」として知られ関東大震災で崩壊した凌雲閣が
ひょうたん池越しにそびえる絵はがきは、江戸と近代が混在するさまを
伝えている。まさに身近な"記憶遺産"と思う。同じ著者による
大阪版も出ていて、変貌ぶりを机上で歴史散歩できる。
高速鉄道
- 2011年8月 4日 15:58
- M.N氏の岡目八目
中国で23日夜、高速鉄道の追突事故で多数の乗客が
死傷したと報道された。追突された車両が
20~30メートルの高架橋から転落したらしい。
中国版新幹線では最悪の事故だ。日本は1964年に
東海道新幹線開業以来、死亡事故ゼロを続けている。
中国では高速鉄道網が急速に拡大している。昨年末で
営業距離8358キロは世界最長となった。
2020年末に約2倍の1万6000キロを目指して工事が進行中だ。
6月30日には過去最大となる2兆7500億円を投じた
北京ー上海間(1318キロ)が開業した。従来の10時間の半分に
短縮されたようだ。
威信をかけた国家プロジェクトだけに鼻息も荒く、
国内建設ばかりか、南米や中東に技術輸出の攻撃をかけている。
ところが後発だけに日本や独仏の技術をベースにしたのは
世界の常識で、特許紛争に発展しかねないと懸念されていた。
そこに今回の事故発生だ。各国は事後を注目している。
中国は去年から始まった第12次5カ年計画で「強国」から「富民」への
方針転換を表明した。一党独裁の制約下という前提付きながら
多少スタンスを変えようという姿勢を示した。死傷者の救済・
支援と同時に原因究明と対策をどう進めるか。
安心・安全の優先が富民と無関係ではないと思う。
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