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激務からの解放感

役所を退職した知人が訪ねてきた。激務からの解放からか、
顔つきが穏やかだった。丁寧に差し出した名詞には名前と住所のみだ。
「これからは名前だけで勝負です」と説明された。
日本は肩書社会である。職業や地位が明確でないと、
どうも不安でならない。政治家なら出自から丸裸にされる。
でも本来はそんな狭隘(きょうあい)な社会ではなかった。

江戸の町には「三脱(さんだつ)の教え」という作法があった。
粋な生活哲学ともいうべき「江戸のしぐさ」の一つだ。
「三脱」」つまり人を規定する年齢・職業・地位に関し、
初対面の人には聞いてはいけない習わしだった。
当時は身分の差があり武士階級もある。そんな格差を超え、
対等な付き合い方のルールがあったとは驚きだ。
江戸人の心意気と見るが、穏やかな秩序保持の手段だったのだろう。

何事にも先入観は禁物だ。肩書きはその人の「本質」ではない。
米国には雇用で「年齢差別禁止法」があり就職に際し年齢や人種、
宗教、性別を問うことを禁じている。

わが国も雇用対策法で募集・採用時の年齢制限は原則禁止だが、
守られているとは言い難い。人の器や能力を測る尺度を持つこと自体が
格差や差別を生む。管首相が間近に退陣されるが、官邸で開いた
党若手議員らとの会食で「辞めてからのことを考えると、
うれしくて仕方がない」と本音を漏らされたそうだ。
肩書きが重すぎたのか。

(M.N)


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