スタッフブログ
新首相に期待したい
- 2011年9月 1日 13:51
- M.N氏の岡目八目
松下政経塾第1期生の最終面接に勇んで臨んだ青年に
故松下幸之助さんが尋ねた。「身内に政治家はいるか」。
いないと返すと「そりゃええな」。さらに「お金持ちか」と聞かれた。
「中の下です」「なおええな」民の暮らしに寄り添える政治家を
育てていきたかったのだろう。それから30年その青年が次の
首相の座を手中にした。
野田首相の演説のうまさは、政界でも定評がある。
民主党代表選の立候補者演説では「時代小説から多くのことを学んだ」
と切り出した。司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎。それぞれに、
「夢」「矜持(きょうじ)」「情」を学んだと述べた。
正直な人なのだろう。「このルックスなので首相になっても
支持率は上がらない」「政治に必要なのは夢、志、矜持、人情」だと。
自分をさらけ出しして政治への思いを率直に語られた。
「どじょうがさ金魚のまねをすることねんだよな」。
好きだという相田みつをの詩を引用しながら「ドジョウらしく
泥くさく政治を前進させる」。こうも述べた。
苦労人らしい。演説では、これまで歩んできた道を語ることに
多くの時間を割いた。飾らない言葉や話しぶりからも誠実さが
伝わってきた。しかし代表選そのものは党員や国民そっちのけの
数合わせでしかなかったのが実感だった。
(M.N)
激務からの解放感
- 2011年8月29日 19:19
- M.N氏の岡目八目
役所を退職した知人が訪ねてきた。激務からの解放からか、
顔つきが穏やかだった。丁寧に差し出した名詞には名前と住所のみだ。
「これからは名前だけで勝負です」と説明された。
日本は肩書社会である。職業や地位が明確でないと、
どうも不安でならない。政治家なら出自から丸裸にされる。
でも本来はそんな狭隘(きょうあい)な社会ではなかった。
江戸の町には「三脱(さんだつ)の教え」という作法があった。
粋な生活哲学ともいうべき「江戸のしぐさ」の一つだ。
「三脱」」つまり人を規定する年齢・職業・地位に関し、
初対面の人には聞いてはいけない習わしだった。
当時は身分の差があり武士階級もある。そんな格差を超え、
対等な付き合い方のルールがあったとは驚きだ。
江戸人の心意気と見るが、穏やかな秩序保持の手段だったのだろう。
何事にも先入観は禁物だ。肩書きはその人の「本質」ではない。
米国には雇用で「年齢差別禁止法」があり就職に際し年齢や人種、
宗教、性別を問うことを禁じている。
わが国も雇用対策法で募集・採用時の年齢制限は原則禁止だが、
守られているとは言い難い。人の器や能力を測る尺度を持つこと自体が
格差や差別を生む。管首相が間近に退陣されるが、官邸で開いた
党若手議員らとの会食で「辞めてからのことを考えると、
うれしくて仕方がない」と本音を漏らされたそうだ。
肩書きが重すぎたのか。
(M.N)
天高く
- 2011年8月26日 18:26
- M.N氏の岡目八目
「天高く馬肥ゆる秋」。子どものころ、この言葉を聞くと、
なぜか馬が風船のように膨らんで秋空高く浮かんでいる様子を
イメージした。そうではなく、秋というのは空が遠のいて
すがすがしく、食欲が進み、馬も太る季節なのだ。
と理解したのはずっと後年のことである。ところが、
これも正解ではなかったようだ。
「ことわざなるほど雑学辞典(PHP文庫)によると、
ことわざは中国からの伝来らしい。中国は古来、
北方の匈奴(きょうど)という騎馬民族に悩まされてきた。
春から夏にかけて豊富な草を食べた馬は、
秋には一段と元気になり、それに乗って匈奴が攻めてくる。
つまり、また注意すべき秋が来た、という危険信号の意味が
あったという。現代風ののどかな理解とは真逆の緊迫感が
うかがえる。しばらくの間、秋の到来を感じさせる青空を
見るのは難しそうだが、政界はいよいよ秋の陣が幕を開けたようだ。
東日本大震災のために延長した国会も党利党略、
派利派略ばかりが目立って、肝心の対策は後手後手に回った。
与野党そろって「国民の皆さん」を枕詞にした、
いかにも国会議論はもう聞き飽きた。今度はどんな内閣が
できるのだろうか。少なくとも安心して物が食べられる
食欲の秋になってほしい。
(M.N)
涙
- 2011年8月23日 08:00
- M.N氏の岡目八目
「涙は「女性の武器」と言って批判を浴びたのは、
小泉純一郎元首相だった。10年前、当時の田中真紀子外相が
外交問題への鈴木宗男衆議院議員の関与を涙ながらに訴えた
のに対し、先の発言となった。
涙が「女性の武器」かどうかは知らない。では「男の涙」は
どうだろうか。先の衆院経済産業委員会で早期辞任を求める
自民党議員の質問に「もうしばらくこらえてください」と、
泣き崩れた海江田万里経済産業相が思い浮かぶ。
洋の東西を問わず、指導者の資質の一つは強さといわれる。
ひるがえって、弱さは最大の欠点だ。人柄がにじみ出る涙は
いいとしても、国会で政治家が手で顔を覆い、肩を震わせて
泣いたのはどうか。
原発の再稼動問題などをめぐる菅直人首相との確執は
かねて言われてはいたものの、国会で泣くのはいただけない。
この人に国を任せて大丈夫かと、心配になった。
管首相の後継を選出する民主党代表選が今月中にも
行われるようだ。震災から立ち上がるために国をどう導いていくのか。
各候補は堂々と政策論議を戦わせてもらいたい。
海江田経済産業相も泣いているときではない。政治のふがいなさに
涙しているのは国民であり、とりわけ被災者であることを
忘れてもらっては困るのだが。
(M.N)
連帯と分かち合い
- 2011年8月17日 09:59
- M.N氏の岡目八目
終戦直後、進駐軍の通訳をしていた日系人が
東京のガード下で靴磨きの少年に出会った。靴を磨いてもらい、
年を聞くと7歳という。あまりにかわいらしいのでチップを弾んだ。
宿舎で食事の時、白い大きなパンを見て思いついた。
よし、これもやろう。おなかが空いているだろうから喜ぶはずだ。
パンをはんぶんにちぎって、たっぷりバターを塗り、再び
ガードしたに行って「これもあげるよ」と勧めた。
すると少年は「さっきはお代以上に頂きました。もうこれ以上は
受け取れません」と言う。「君のおなかが空いているだろうと思って
家から戻ってきたんだ。どうか受け取ってくれないか」と頼んだ。
少年は「そこまで言われるのでしたらありがたく頂きます」と
受け取った。すぐにパクつくと思っていたら、風呂敷を出して包み込む。
「どうするのか」と尋ねると、「家に3歳の妹がいます。
これを食べさせてあげたい」と顔をほころばせた。
通訳の日系人はそのとき思った。下手をすればナイフを取り出す
ニューヨークの靴磨きとは大違いだ。敗戦で悲惨な状況なのに、
こんな小さな子供でも誰かを思いやっている。この国は必ずや
どん底から立ち直れる、と
東日本大震災復興構想会議議長の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが
講演会で引用した話だ。阪神淡路大震災の被害者でもある五百旗頭さんは、
敗戦からの復興を例に、国民全体の連帯と分かち合いで
復興を進めることが重要だと力説されている。
(M.N)
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