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父親像

直木賞作家・向田邦子さんのエッセーに、『父の詫び状』がある。
仙台にいた両親の元で冬休みを過ごした折
父親の客が酔っ払って玄関を汚した時のエピソードをつづる。

掃除する向田さんに、父からねぎらいの言葉はない。
小遣いが増えるかと期待したが、変わらない。
東京に戻る向田さんを見送る際も
ぶすっとした顔で「じゃあ」と言うだけだったという。
世の中の恐ろしいものを
「地震・雷・火事・親父」といったころの話だ。

日本の父親の権威が危うくなっている。
それぞれの家庭で、父親の存在はどんな位置にあるのだろう。
封建制の下での「家」制度が変容した戦後、父親像も変遷した。
今、かっての「厳父」は少数派ではないか。
代わって登場した優しいお父さん、近年の「友達みたいな」パパ。

朝早く出勤して、帰宅は夜遅くなってから。
家族と触れ合えるのは休日ぐらいなのに
つい家の中でごろごろしてしまう。
そんな姿をさらして権威を感じろというのも無理な話で
身から出たさびといったところか。

人間としての男女平等を前提とした上で
母親とは違った父親の存在意識が求められているのではないか。
母の日に贈るカーネーションに対し、父の日はバラだという。
父親の未来像をばら色にしたいものだ。

父親の影が薄くなったと嘆く家庭が多い。
が、父親は強い方がいいのか弱くていいのか・・・。
迷路のような問いを抱きつつ、せめて家庭で「父の日」に
普段の努力に頭を垂れるねぎらいの言葉を届けたら。
お父さん、お疲れさま。

さて、東京に戻った向田さんには父から手紙が来ていた。
改まった文面で、「この度は格別の御働き」とあり
朱線で傍線が引いてあった。
権威が邪魔して率直に気持ちが表せないおかしさがある。
権威がないのは淋しいが、あればあったで面倒なようだ。

(M.N)

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