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2011年9月 Archive

渚にて

  • 2011年9月29日 12:41

海辺だけではなくて、宇宙にも「渚」があるそうだ。
連休中の日曜日にNHKが放送した国際宇宙ステーション
(ISS)からの生中継で知った。

地上数十キロから数百キロの高さだ。青空が漆黒の闇へと
溶け込む高度域を番組では「宇宙の渚」と呼んでいた。
そこでは、オーロラや放電閃光(せんこう)など地球と宇宙が
さまざまな物理現象を交わしている。ISS滞在中の宇宙旅行士
古川聡さんが撮影した超高感度カメラの映像は見応えがあった。

宇宙から見て「渚の底」にある夜の日本列島は、地図の形そのままに
まばゆい光で緑取られていた。やはり宇宙に長期滞在した宇宙飛行士
若田光一さんは、地球の夜景から「いかに人間が大量の電気
エネルギーを使っているかが分かる」と語っていた。

英国人作家ネビル・シュートのSF小説「渚にて」(1957年)は
核戦争でわずかに生き残った原子力潜水艦の乗組員の苦悩を描く。
冷戦は終わっても、地上にはなお大量の核兵器が残り、原発事故に
おびえる日々がある。海中ではなく、宇宙にいる間に故郷を喪失する
宇宙飛行士の物語も絵空事とは言い切れないだろう。

月曜日に作家大江健三郎さんらの呼びかけで開かれた脱原発集会は、
約6万人(主催者発表)の参加者が東京・明治公園を埋めたと
報道されていた。上空ヘリが撮影した人の波は、「渚の底」の
暮らしを変えていく大きなうねりのように見えた。

(M.N)

 

除染土壌

今夏、ヒマワリを育てて種子を福島へ 贈ろうという運動が
全国的に展開された。土壌の放射性物質を吸収しやすいとの触れ込み
だったが、効果は期待外れで関係者を落胆させる結果となった。

農地除染の実証試験を行った農林水産省によると、ヒマワリなど
植物によるセシウム除去効果は小さいことが分かった。
速効性が求められる現状では普及には適さないとの結論だ。

福島県飯館村で栽培したヒマワリの茎や根を調べたところ、
土壌1平方メートル当たりに含まれるセシウムの2千分の1しか
吸収していなかった。植物除染では気の遠くなるような年月が
必要となってしまう。

除染には表土除去が最も効果的で、4センチ削り取るだけで
セシウム濃度は4分の1に低下するという。
森口祐一・東京大教授の試算では、除染が必要な地域は福島県を中心に
2千平方キロあり、すべての表土を5センチ削り取るとすると
体積は1億立方メートルに達する。

東京ドーム80個分に相当する汚染土壌の安全な保管場所など
どこにもない。土壌のセシウムを分離することは技術的に難しく、
現状ではコンクリート製容器に密閉するしかない。

自治体ではごみ焼却施設から出る汚染焼却灰の処分にも困っている。
除染必要地域の7割は森林、残りが農地と市街地。用途に応じた
除染方法、費用負担など国が早急に示すことが必要と思うのだが。

(M.N)

盤上の海

棋士の羽生善治さんは、将棋盤の前に座って考え始めると、
<ほんとうになにか海の中に潜っていくような感じになる>
といわれる。潜っていく感じが深ければ深いほど、
時間があっという間に流れ、意識がなくなっていくような
感覚になるそうだ。それは、将棋というジャンルを超え、
創造の世界に生きる究極の才能が味わう没我の境地なのだろうか。

「盤上の海」は、縦横9マスと狭くても、底知れない深さを持つ。
あの故大山泰晴15世名人に並ぶ通算80期のタイトル獲得
という偉業は、深海に幾度ともなく身を沈めて、つかみ取ったものだ。

当時史上最年少の19歳3ヶ月で初タイトルを獲得して以来、
誰もなしえなかった全7冠を制覇するなど常に棋界の先頭にいられる。
眼鏡の好青年の印象が強い天才棋士も、はや40歳。髪には白い
ものもさす。

「若い人たちが台頭しており、一局勝つことが大変だと
しみじみ実感することが多い」。新世代を代表する24歳の
広瀬章人王位を下した後の記者会見で語った言葉は本音だろう。

『海の深さの中に入っていく』。「ほんとうに面白い言葉だなあ」
と思った。これからも、誰も見たことも、踏み入ったことも、
潜ったこともない世界を、棋譜と誠実な言葉で表現してくれるはずだ。

(M.N)

薬味

スダチとカボス。違いがよく分からない。
双方とも果汁を焼き魚や刺し身に薬味として添える。
地味だが、料理の引き立て役だ。

岐阜から天下布武を唱えた織田信長。本能寺の変で
野望が朽ちた時、徳川家康はわずかな
家来とともに堺に留まっていた。身の危険を知った家康は、
三河の岡崎城までどう戻るかを案じたという。

この時、忍者服部半蔵の計らいで伊賀の山中をかろうじて抜け、
岡崎までたどり着いたらしい。家康は様々な局面で
忍びの者を使い、半蔵はその功績から江戸城近くに屋敷を与えられた。

現在の東京の地下鉄半蔵門線や駅名の半蔵門はその名残とか。
脇役の忍びの者が、こんな形で後世に名を残すとは。
だが薬味のような地味な引き立て役がいなければ家康の名も
残らなかったかもしれない。

秋の食卓と言えばサンマの塩焼き。薬味はスダチや大根おろし、
甘酢ショウガがよく似合う。久しくお目にかからないマツタケにも
スダチが薬味になる。

食べる喜びは生きる喜び。つらい、苦しいは生きるための薬味と思えば、
困難は生を彩(いろど)るために欠かせない妙味に変じる。家康も
「不自由を常とおもへば不足なし」と辞世の句を詠んだ。
東日本大震災から半年が過ぎた。被災地の食卓のサンマ。
その薬味をただ思う。

デジタル機器

最近、電車内でデジタル機器を利用し、小説などを
楽しむ人たちを見掛ける。画面上に手を当てて、
ページをめくる動作で次ページに移る様子はまさしく
本を再現しているようだ。おそらく機器の中には何冊、
もしくは何冊分もの書籍データーが蓄積できるのだろう。
本の数だけかさばらないし、読まなくなったデーターは
消せばいいのだろうか。

アナログ人間としては、本の装丁や厚さ、重さを実感し、
手にとって読む行為の方がしっくりくる。
読み終わったら書棚に置き、背表紙の趣を楽しむのもいい。
いくらデジタル機器が充実、進歩しても本という文化は
消えてほしくない。しかし、実際は読書離れや大手書店の
地方進出などで地方の書店が消えているという現状があり、
本を購入して読むには厳しい環境の地域もある。

1冊の本との出会いは、その後の人生を変えることもある。
幼いうちは絵本を何度も読み、読んでもらい言葉を
会得する手段とする。

本が手元にあるーというデジタルにはない幸せ、
これをかみしめることが時には必要と思うのだが。
ちなみに読書週間は10月27日からだ。

(M.N)

官房長官の器

首相の次にメディアに登場する機会が多い閣僚は官房長官だ。
首相の女房役、内閣のスポークスマンとしての1日2回の
記者会見のこなし具合が政権のイメージを左右する。

在任期間の長さでは福田康夫氏が浮かぶ。
小泉純一郎首相らの下で3年以上務めた。首相になって
評判を落としたが官房長官として名を残した。仕事の鋭さでは
後藤田正晴氏を思い出す。中曽根康弘首相の下で
「カミソリ後藤田」と呼ばれた。

中曽根内閣は5年近く続いた。小泉内閣は約5年半続いた。
管直人前首相まで1年前後での退陣が5人続いたから、
なんともまぶしい。政権党がどこであれ、安定した政権を
取り戻したい。

安定政権の成否は、首相の器はともかく、官房長官の力量にも
かかってきそうだ。後藤田氏のような参謀タイプ、福田氏のような
番頭タイプ、いろいろある。新しいタイプになれるだろうかー。

野田首相は側近の藤村修氏を選んだ。閣僚経験はない。
政権を舞台裏で支える仕事が多かった。自分を「ドジョウ」に
見立てる野田首相より「もっと地味な人」との声も聞く。
風貌と人柄から「ドラえもん官房長官」ともいわれる。

異色のコンビといっていい。首相と官房長官の器、
力量は見た目の派手さとは一致しない例も見てきたから、
楽しみな氣もする。ドジョウみたいなつかみどころのない言動や
ドラえもんの秘密道具で国民をけむに巻いたりしないよう、
とりあえず願いたいものです。

(M.N)

野田新内閣

  • 2011年9月 5日 09:35

野球で始めて、ラグビーで区切りをつけた後はサッカーだった。
「全員野球」を訴えて民主党代表選に勝利し、「ノーサイド」で
融和を呼びかけ、執行部をサッカーの「ミッドフィルダー」に例えた
野田首相のことだ。

新内閣は、党内各グループのバランスに配慮した顔ぶれとなった。
震災復興や原発事故、円高など難問山積の中での出発だ。
党や閣内の意見不一致で退陣に追い込まれた管前首相の轍(てつ)は
踏まぬとの思いは強いだろう。

もしかすると、野田首相が政権をサッカーチームに例えたのは
「なでしこジャパン」にあやかりたかったのかもしれない。
日本的な組織力を武器にワールドカップ優勝を果たした「なでしこ」は今、
日本の希望の象徴だ。

佐々木則夫監督は「選手の成長は、技術や知識でなく
『決意が本物かどうか』で決まる」とし、監督の仕事は目標を共有し、
選手の長所を生かす組織作りにあると言われる。
冷静と情熱に裏打ちされた信念だろう。

野田首相は組閣後の記者会見で、派手なキャッチフレーズは語らず
「国民の評価から出てくる言葉が本物」とした。新内閣の適材適所は
本当か、難局への覚悟はあるか、国民は注視している。

ロンドン五輪予選で「なでしこ」は幸先良く2勝をあげた。
民主政権にはすでにイエローカードが累積している。
これが最後のチャンスであると思う。レッドカードで退場
とならぬよう野田「主将」に期待したい。


(M.N)

親と子

大正初期、ある小学校の昼食の時間に、弁当の包みを開いた少年が、
間違って山仕事に行く父親の弁当を持ってきたことに気づいた。
家は貧しく、いつも弁当で満腹になったことがない。
お父さんは力仕事だからご飯がいっぱいに違いないと思っていた。

ふたを開けて驚いた。ご飯がいつもの自分の弁当よりはるかに少ない。
これっぽっちのご飯であんなに激しい仕事をしているのか・・・。
少年は衝撃を受けた。

自分には干し魚がおかずに入っているのだが、その弁当は
生味噌と梅干が1っ個だけ。「これがお父さんの弁当だ」。
少年は胸が詰まり一粒も残さず食べた。

晩ご飯の時、帰った父親が「お前、弁当箱を間違えて
おなかが空いただろう」と、茶碗からご飯を分けてくれた。
翌日、少年は親友に「夕べは眠れなかった。この親に
心配かけちゃいけないと決心した」と打ち明けた。
少年はそれからぐんぐん成績を伸ばしたそうだ。

親友とは『梅干と日本刀』で有名な考古学者の樋口清之先生だ。
その樋口先生の思い出を僧侶の松原泰道さんが『輝いて生きる道』
(致知出版社)で引用されている。

親としてどうあるべきかを心得て、そのように生きる姿を
みせることに勝る教育はない。と松原さんは語る。
子を育て、生徒を導くには、押し付けがましくなく、
料理の隠し味のようであるべきで、徳行もまたそのような
ものだと説いていられる。親の心子知らずでは、身勝手な
ふるまいで時に踏み外すこともあろう。

(M.N)

新首相に期待したい

松下政経塾第1期生の最終面接に勇んで臨んだ青年に
故松下幸之助さんが尋ねた。「身内に政治家はいるか」。
いないと返すと「そりゃええな」。さらに「お金持ちか」と聞かれた。
「中の下です」「なおええな」民の暮らしに寄り添える政治家を
育てていきたかったのだろう。それから30年その青年が次の
首相の座を手中にした。

野田首相の演説のうまさは、政界でも定評がある。
民主党代表選の立候補者演説では「時代小説から多くのことを学んだ」
と切り出した。司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎。それぞれに、
「夢」「矜持(きょうじ)」「情」を学んだと述べた。

正直な人なのだろう。「このルックスなので首相になっても
支持率は上がらない」「政治に必要なのは夢、志、矜持、人情」だと。
自分をさらけ出しして政治への思いを率直に語られた。

「どじょうがさ金魚のまねをすることねんだよな」。
好きだという相田みつをの詩を引用しながら「ドジョウらしく
泥くさく政治を前進させる」。こうも述べた。

苦労人らしい。演説では、これまで歩んできた道を語ることに
多くの時間を割いた。飾らない言葉や話しぶりからも誠実さが
伝わってきた。しかし代表選そのものは党員や国民そっちのけの
数合わせでしかなかったのが実感だった。

(M.N)

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