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2013年3月 Archive

質素な生活ぶり

作家の城山三郎さんが、経団連会長だった土光敏夫さんの
自宅を訪ねた時の事だが城山さんが玄関を開けようとすると、
たてつけが悪くなかなか開かない。縁側から上がり
庭を見ると、石や池はなく植木と芝生と野菜畑があるだけ。
植木は土光さんが手入れしているらしく雑然としていた。

土光さんは夫人との生活費用10万円を残し、あとの収入は
全て学校に寄付していた。だから玄関も直せない。健康法は
木刀を振り回し庭を駆け巡るだけ。

城山さんも自宅に芝生を敷いていたので「まめにやらないと
いけないんで大変ですよね。うちなんかも良く人を頼んで・・・」と
口を滑らせると、「それなら僕が芝刈りに行くよ。頂いた日当は
寄付します」と身を乗り出してきた。「よみがえる力は、どこに」
(新潮社)に書いていられる。

後に臨時行政調査会の会長に推された土光さん。
「財界総理」と称され、質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」
で知られた。

実績、統率力、強い意志・・・。組織のトップには多様な要件が
求められるが、清廉であること、そして人間的な魅力は内外から
尊敬され信頼を得る重要な要素だろう。政治家は?

新卒採用

企業の新卒採用予定は、業績が回復してきた製造業を中心に、
増加の傾向にあるようだ。大卒、高卒の就職内定率が
発表される度、そんな程度かと思ってきただけに、高まってほしい。

戦後の高度経済成長期に定着した終身雇用は、雇う側から
すると、長期的に人材育成でき、忠誠心を養える良さがあり、
働く側は年功賃金と相まって、守られている安心感があった。
長期の経済低迷で、いろいろほころびが生じ、半ば崩壊した
と言われる。

しかし、いったん正規に雇った者を解雇するのは難しく、
こうした慣習は存続している。新卒一括採用も同様で、
その「一発勝負」からこぼれた学生は、リベンジしにくい。
いまや働くもの全体の3分の1が非正規という。

若者が将来を見通せない、希望を見いだしにくい労働環境を
改善できないものだろうか。

老舗そば屋

東京の老舗そば屋「有楽町・更科」の4代目だったのが
藤村和夫さん。そばの技術や歴史に関する研究でも知られていた。
幾つかの著書も残されたが、この中に1975(昭和50)年の都内
「蕎麦屋の暖簾」分布を調べた記載がある。調査で最も多かったのが
「やぶ」で、約300軒。次が「更科」の約160軒だった。

いずれの名も通称で、登録されなかったため増えたようだ。
ちなみに「藪」の本家筋の屋号は「蔦屋」。「更科」は「布屋」とか。
そばの仲間内では店がある町名で呼び合っていた。
ただ「藪蕎麦」と漢字を使えるのは、神田の本家と分家の並木など
3軒だけというのが「不文律」だったそうだ。昭和の中ごろまで、
のれんはそばの特徴を表す代名詞だったといわれる。

老舗が培った味と技に魅せられる食通も多い。作家の
池波正太郎さんは「藪蕎麦」社が営む「かんだやぶそば」の常連だった。
池波さんは「日本の名随筆蕎麦」(作品社)で「酒がのみたくなるような
蕎麦屋が、東京にはまだ、いくつか残っていることは、まことに
うれしいことだ」と触れている。

その「かんだやぶそば」が焼けた。店舗は数奇屋造り。
都の歴史的建築物に選ばれて風情も慕われた。
東京の楽しみに代々伝わる食の味わいがある。
神田の顔であった老舗そば屋だ。再建をぜひ果たして
もらいたいと願っているファンの一人だ。 

TPP論

なるほど自民党は老練だ。所信表明で唐突に
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加検討を
言い出して党内が大混乱した菅直人首相や、
反対論に押し切られた野田佳彦首相ら民主党政権とは
一枚も二枚も役者が違うように思う。

まず「聖域なき関税撤廃を前提にする限り反対」の
公約を掲げ、農業はじめ影響する団体・関係者の支持を
取り付けた。「聖域」に自分たちが入るなら反対する理由はない。
次いで、オバマ米国大統領との会談という最高の舞台で
「聖域」の小窓を開けさせた。そして「聖域設定」を最大限に演出し、
交渉参加は公約違反にはならないという理屈への賛同を
導きだそうとしている。

「聖域」に関税全品目が入るはずもなく、カナダ、メキシコらの
警戒心も強い。安部晋三首相は「強い交渉力で国益を守る」
と言われるが、日本の足元を見て自動車関税を存続させた
米国相手にどこまで通じるか心もとない。減反政策は農地を
回復不可能にした。「ピンチをチャンス」というより、食の安全保障の
危機感が募るが、消費増税を巡る民主党の論法よりは
手順を踏んでいるように思う。
 
岡田克也前副総理は米国を軸とする貿易網に参加しないで
日本の国が成り立つかという「開国論」を述べられた。
安部首相が「国家百年の大計」と高揚するのは、北朝鮮や
「海洋国家」へと膨張する中国への対抗軸として日米協調,
TPP諸国との包囲網を視野に入れているからではないか。

「国益」という最後の壁をどう乗り切るかが課題だが
洗練されてはいる。さすが一度失敗しただけはあると言ったら、
だから我々はもう一度、と民主党は言うだろうか。

作家菊地寛の人情

小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が亡くなった時、
その枕元で泣いたそうだ。直木三十五が亡くなった時は
東大病院で号泣されたという。よほど無念だったのだろう。
二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。
「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、
小説家の川口松太郎氏が書かれている。

小説家の織田作之助氏が発病して宿屋で寝ているのを
菊池氏が見舞った時は、織田氏の方がおいおい泣いた
という話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は
世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、
菊池氏にまつわる話は心にしみる。

旧制一高(東大教養学部の前進)時代、菊池氏は窃盗事件で
友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める職にいられなくなる」。
友人がそう言って泣くので、菊池氏は罪を認めさせようと
いう気になれなかったのだ。

新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。
が、菊池氏は「前言を翻すのは卑怯と、最後まで罪をかぶる。
そんな勇気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。
そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。
同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池氏は
京大に進むことができた。

文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、
ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたといわれる。
少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。
まるで人情物語のような人生だ。菊池寛は65年前59歳で亡くなられた。

親子の絆

歌舞伎界は悲しいことが続く。父勘三郎さんを亡くした
中村勘九郎さん、団十郎さんを失った市川海老蔵さんが
ともに今月東京で公演を行う。勘九郎さんは会見で
「父が切り開いた道を耕し、豊かにしたい」と語った。
海老蔵さんも思いは同じだろう。

歌舞伎俳優のように直接仕事を継ぐのではなくても、
親の存在は誰にとっても大きいものだ。その重みや大きさは、
亡くした後の方が強く感じるのではないだろうか。勘九郎さんも
海老蔵さんもむしろこれから、父の偉大さが身にしみるに違いない。

数学者の藤原正彦さんが、父新田次郎さんの未完小説を
引き継いだ小説「孤愁」を出版した。新田さんが1980年に急死した際、
新聞連載中だった。明治・大正期の日本に魅せられてた
ポルトガル人外交官が主人公だ。

藤原さんは父の無念を思い、すぐに書き継ぐことを決意したが、
着手したのは父の没年と同じ67歳からだった。「父の方が
良い作品になっただろうが、やって良かった。やっと重荷を
下ろせた気分」と心境を語っていられた。息子として一つの
区切りをつけた気持ちだったのだろう。

父を亡くした当日も勘九郎さんは舞台を務めた。その口上に
「親子は一世」という言葉があった。親子関係はこの世限りの
はかないものという仏教由来の言葉だそうだ。しかし、
夫婦と違い、親子はお互いに相手を選ぶことができない。
だからこそ、その絆は尊いのだ。私は、両親に何の孝行も
できなかった。春の彼岸に墓前に詫びに田舎にいこう。

第148回芥川賞

「へやの中のへやのようなやわらかい檻(おり)とは何のことか
お分かりだろうか。答えは「蚊帳」。第148回芥川賞に決まった
黒田夏子さんの小説「abさんご」から引いた。75歳という
史上最年長での受賞が話題になったが、作品自体も
既成の価値観で固まっているこちらの頭を揺さぶった。
ひらがなを多用し、横書き。一つの文章が長く、正直読みづらい.
「小説」と書いたが「詩」と呼んだ方がふさわしいかもしれない。

作品から立ち上がるのは、濃密な「死」の気配だ。
全文が載った文芸春秋の3月号に、選考委員の作家小川洋子さんは
「この人は死者の国からやって来たに違いない」と書いていられる。
それでも、読後感は不思議と味わい深い。ひらがなを一つ一つ
目で追っていくと、言葉が持つ本来の意味を意識させられる。
一方で、少ない字数で瞬時に意味を伝えることができる漢字の
ありがたさを、あらためて思った。

定年後、小説を書き始める人が増えているという。自分を抑えて
働きづめに働いた後、自らを表現したいという思いが筆を執らせる
のだろう。人間や社会を見つめてきた人生のベテランたちが
思いがけない秀作を送り出すかもしれない。

小説だけではない。少子高齢化が進むなか、あらゆる局面で
高齢者の知恵と経験が求められよう。機械的に年齢で線を引き、
「ハイおしまい」という社会では味も素っ気もない。
「生きているうちに見つけてくださいまして、ほんとうに
ありがとうございました」。黒田さんの受賞の言葉である。すっきりした。

サラリーマン川柳

春闘が始まり、労働側は景気回復のための原動力として
賃上げを要求するのに対し、経営側は「実体が伴うのが先」
と慎重な姿勢を崩さない。物価が上昇して給料据え置き
では生活が苦しい。
労働者には、自由に使える小遣いにも影響するから
交渉の行方が気になる。

そんな給与所得者の哀歓を詠んだ恒例のサラリーマン川柳
(第一生命保険主催)の入選作100句が発表された。
あり得ないような内容でも、大いに笑ったり共感するのは、
世相を映し、職場や家庭の真実を鋭く突いているからだろう。

世代間のずれには特に職場で顕在化している。
新入社員だろう「軽く飲もう上司の誘い気が重い」。古参社員は
若者気質に手を焼く。「電話口『何様ですか?』と聞く新人」
「頼みごと早いな君はできません」。家に帰れば夫・父としての
権威低下に直面する。

「部下にオイ孫にホイホイ妻にハイ」「父の日は昔ネクタイ今エプロン」。
職場でも家庭でも孤立して、IT機器だけが心の頼り。
「人生にカーナビあれば楽なのに」「悩み事話すはコンシェルジュ」。
悩みは尽きない。

やぼを言えば、女性の就職率が向上し夫婦共働きが
増える中で、依然として男性視点の類型的な作品がほとんど
占めるのには違和感もある。逆に言うと、自虚ネタは、
まだまだ職場も家庭男性中心に動いている余裕の裏返し
かもしれない。少しはほっとしている。

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