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2013年3月 Archive
質素な生活ぶり
- 2013年3月28日 22:23
- M.N氏の岡目八目
作家の城山三郎さんが、経団連会長だった土光敏夫さんの
自宅を訪ねた時の事だが城山さんが玄関を開けようとすると、
たてつけが悪くなかなか開かない。縁側から上がり
庭を見ると、石や池はなく植木と芝生と野菜畑があるだけ。
植木は土光さんが手入れしているらしく雑然としていた。
土光さんは夫人との生活費用10万円を残し、あとの収入は
全て学校に寄付していた。だから玄関も直せない。健康法は
木刀を振り回し庭を駆け巡るだけ。
城山さんも自宅に芝生を敷いていたので「まめにやらないと
いけないんで大変ですよね。うちなんかも良く人を頼んで・・・」と
口を滑らせると、「それなら僕が芝刈りに行くよ。頂いた日当は
寄付します」と身を乗り出してきた。「よみがえる力は、どこに」
(新潮社)に書いていられる。
後に臨時行政調査会の会長に推された土光さん。
「財界総理」と称され、質素な生活ぶりから「メザシの土光さん」
で知られた。
実績、統率力、強い意志・・・。組織のトップには多様な要件が
求められるが、清廉であること、そして人間的な魅力は内外から
尊敬され信頼を得る重要な要素だろう。政治家は?
新卒採用
- 2013年3月23日 17:03
- M.N氏の岡目八目
企業の新卒採用予定は、業績が回復してきた製造業を中心に、
増加の傾向にあるようだ。大卒、高卒の就職内定率が
発表される度、そんな程度かと思ってきただけに、高まってほしい。
戦後の高度経済成長期に定着した終身雇用は、雇う側から
すると、長期的に人材育成でき、忠誠心を養える良さがあり、
働く側は年功賃金と相まって、守られている安心感があった。
長期の経済低迷で、いろいろほころびが生じ、半ば崩壊した
と言われる。
しかし、いったん正規に雇った者を解雇するのは難しく、
こうした慣習は存続している。新卒一括採用も同様で、
その「一発勝負」からこぼれた学生は、リベンジしにくい。
いまや働くもの全体の3分の1が非正規という。
若者が将来を見通せない、希望を見いだしにくい労働環境を
改善できないものだろうか。
老舗そば屋
- 2013年3月20日 17:39
- M.N氏の岡目八目
東京の老舗そば屋「有楽町・更科」の4代目だったのが
藤村和夫さん。そばの技術や歴史に関する研究でも知られていた。
幾つかの著書も残されたが、この中に1975(昭和50)年の都内
「蕎麦屋の暖簾」分布を調べた記載がある。調査で最も多かったのが
「やぶ」で、約300軒。次が「更科」の約160軒だった。
いずれの名も通称で、登録されなかったため増えたようだ。
ちなみに「藪」の本家筋の屋号は「蔦屋」。「更科」は「布屋」とか。
そばの仲間内では店がある町名で呼び合っていた。
ただ「藪蕎麦」と漢字を使えるのは、神田の本家と分家の並木など
3軒だけというのが「不文律」だったそうだ。昭和の中ごろまで、
のれんはそばの特徴を表す代名詞だったといわれる。
老舗が培った味と技に魅せられる食通も多い。作家の
池波正太郎さんは「藪蕎麦」社が営む「かんだやぶそば」の常連だった。
池波さんは「日本の名随筆蕎麦」(作品社)で「酒がのみたくなるような
蕎麦屋が、東京にはまだ、いくつか残っていることは、まことに
うれしいことだ」と触れている。
その「かんだやぶそば」が焼けた。店舗は数奇屋造り。
都の歴史的建築物に選ばれて風情も慕われた。
東京の楽しみに代々伝わる食の味わいがある。
神田の顔であった老舗そば屋だ。再建をぜひ果たして
もらいたいと願っているファンの一人だ。
TPP論
- 2013年3月20日 17:34
- M.N氏の岡目八目
なるほど自民党は老練だ。所信表明で唐突に
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加検討を
言い出して党内が大混乱した菅直人首相や、
反対論に押し切られた野田佳彦首相ら民主党政権とは
一枚も二枚も役者が違うように思う。
まず「聖域なき関税撤廃を前提にする限り反対」の
公約を掲げ、農業はじめ影響する団体・関係者の支持を
取り付けた。「聖域」に自分たちが入るなら反対する理由はない。
次いで、オバマ米国大統領との会談という最高の舞台で
「聖域」の小窓を開けさせた。そして「聖域設定」を最大限に演出し、
交渉参加は公約違反にはならないという理屈への賛同を
導きだそうとしている。
「聖域」に関税全品目が入るはずもなく、カナダ、メキシコらの
警戒心も強い。安部晋三首相は「強い交渉力で国益を守る」
と言われるが、日本の足元を見て自動車関税を存続させた
米国相手にどこまで通じるか心もとない。減反政策は農地を
回復不可能にした。「ピンチをチャンス」というより、食の安全保障の
危機感が募るが、消費増税を巡る民主党の論法よりは
手順を踏んでいるように思う。
岡田克也前副総理は米国を軸とする貿易網に参加しないで
日本の国が成り立つかという「開国論」を述べられた。
安部首相が「国家百年の大計」と高揚するのは、北朝鮮や
「海洋国家」へと膨張する中国への対抗軸として日米協調,
TPP諸国との包囲網を視野に入れているからではないか。
「国益」という最後の壁をどう乗り切るかが課題だが
洗練されてはいる。さすが一度失敗しただけはあると言ったら、
だから我々はもう一度、と民主党は言うだろうか。
作家菊地寛の人情
- 2013年3月13日 11:11
- M.N氏の岡目八目
小説家の菊池寛は親友の芥川龍之介が亡くなった時、
その枕元で泣いたそうだ。直木三十五が亡くなった時は
東大病院で号泣されたという。よほど無念だったのだろう。
二人の名前にちなんで芥川賞と直木賞を創設した。
「(二つとも)あの涙から生まれたような気がする」と、
小説家の川口松太郎氏が書かれている。
小説家の織田作之助氏が発病して宿屋で寝ているのを
菊池氏が見舞った時は、織田氏の方がおいおい泣いた
という話もある。いま「競争だ」「合理化だ」と世間の風は
世知辛い。そんな人間味のない風に当てられているせいか、
菊池氏にまつわる話は心にしみる。
旧制一高(東大教養学部の前進)時代、菊池氏は窃盗事件で
友人の罪をかぶり退学した。「文教関係に勤める職にいられなくなる」。
友人がそう言って泣くので、菊池氏は罪を認めさせようと
いう気になれなかったのだ。
新渡戸稲造校長が後で真相を知り、寛大に計らおうとした。
が、菊池氏は「前言を翻すのは卑怯と、最後まで罪をかぶる。
そんな勇気もあった。とはいえ、金もなく行く当てもない。
そこを金持ちの同級生に救われるのだから、世の中は面白い。
同級生の親が経済的な面倒を見てくれたため、菊池氏は
京大に進むことができた。
文藝春秋の社長でいた頃、食えない作家がやってくると、
ポケットから五円札、十円札を取り出し、無造作に与えたといわれる。
少年時代に受けた恩を忘れず、世間に返し続けていたのだ。
まるで人情物語のような人生だ。菊池寛は65年前59歳で亡くなられた。
親子の絆
- 2013年3月 8日 12:07
- M.N氏の岡目八目
歌舞伎界は悲しいことが続く。父勘三郎さんを亡くした
中村勘九郎さん、団十郎さんを失った市川海老蔵さんが
ともに今月東京で公演を行う。勘九郎さんは会見で
「父が切り開いた道を耕し、豊かにしたい」と語った。
海老蔵さんも思いは同じだろう。
歌舞伎俳優のように直接仕事を継ぐのではなくても、
親の存在は誰にとっても大きいものだ。その重みや大きさは、
亡くした後の方が強く感じるのではないだろうか。勘九郎さんも
海老蔵さんもむしろこれから、父の偉大さが身にしみるに違いない。
数学者の藤原正彦さんが、父新田次郎さんの未完小説を
引き継いだ小説「孤愁」を出版した。新田さんが1980年に急死した際、
新聞連載中だった。明治・大正期の日本に魅せられてた
ポルトガル人外交官が主人公だ。
藤原さんは父の無念を思い、すぐに書き継ぐことを決意したが、
着手したのは父の没年と同じ67歳からだった。「父の方が
良い作品になっただろうが、やって良かった。やっと重荷を
下ろせた気分」と心境を語っていられた。息子として一つの
区切りをつけた気持ちだったのだろう。
父を亡くした当日も勘九郎さんは舞台を務めた。その口上に
「親子は一世」という言葉があった。親子関係はこの世限りの
はかないものという仏教由来の言葉だそうだ。しかし、
夫婦と違い、親子はお互いに相手を選ぶことができない。
だからこそ、その絆は尊いのだ。私は、両親に何の孝行も
できなかった。春の彼岸に墓前に詫びに田舎にいこう。
第148回芥川賞
- 2013年3月 7日 08:52
- M.N氏の岡目八目
「へやの中のへやのようなやわらかい檻(おり)とは何のことか
お分かりだろうか。答えは「蚊帳」。第148回芥川賞に決まった
黒田夏子さんの小説「abさんご」から引いた。75歳という
史上最年長での受賞が話題になったが、作品自体も
既成の価値観で固まっているこちらの頭を揺さぶった。
ひらがなを多用し、横書き。一つの文章が長く、正直読みづらい.
「小説」と書いたが「詩」と呼んだ方がふさわしいかもしれない。
作品から立ち上がるのは、濃密な「死」の気配だ。
全文が載った文芸春秋の3月号に、選考委員の作家小川洋子さんは
「この人は死者の国からやって来たに違いない」と書いていられる。
それでも、読後感は不思議と味わい深い。ひらがなを一つ一つ
目で追っていくと、言葉が持つ本来の意味を意識させられる。
一方で、少ない字数で瞬時に意味を伝えることができる漢字の
ありがたさを、あらためて思った。
定年後、小説を書き始める人が増えているという。自分を抑えて
働きづめに働いた後、自らを表現したいという思いが筆を執らせる
のだろう。人間や社会を見つめてきた人生のベテランたちが
思いがけない秀作を送り出すかもしれない。
小説だけではない。少子高齢化が進むなか、あらゆる局面で
高齢者の知恵と経験が求められよう。機械的に年齢で線を引き、
「ハイおしまい」という社会では味も素っ気もない。
「生きているうちに見つけてくださいまして、ほんとうに
ありがとうございました」。黒田さんの受賞の言葉である。すっきりした。
サラリーマン川柳
- 2013年3月 5日 11:19
- M.N氏の岡目八目
春闘が始まり、労働側は景気回復のための原動力として
賃上げを要求するのに対し、経営側は「実体が伴うのが先」
と慎重な姿勢を崩さない。物価が上昇して給料据え置き
では生活が苦しい。
労働者には、自由に使える小遣いにも影響するから
交渉の行方が気になる。
そんな給与所得者の哀歓を詠んだ恒例のサラリーマン川柳
(第一生命保険主催)の入選作100句が発表された。
あり得ないような内容でも、大いに笑ったり共感するのは、
世相を映し、職場や家庭の真実を鋭く突いているからだろう。
世代間のずれには特に職場で顕在化している。
新入社員だろう「軽く飲もう上司の誘い気が重い」。古参社員は
若者気質に手を焼く。「電話口『何様ですか?』と聞く新人」
「頼みごと早いな君はできません」。家に帰れば夫・父としての
権威低下に直面する。
「部下にオイ孫にホイホイ妻にハイ」「父の日は昔ネクタイ今エプロン」。
職場でも家庭でも孤立して、IT機器だけが心の頼り。
「人生にカーナビあれば楽なのに」「悩み事話すはコンシェルジュ」。
悩みは尽きない。
やぼを言えば、女性の就職率が向上し夫婦共働きが
増える中で、依然として男性視点の類型的な作品がほとんど
占めるのには違和感もある。逆に言うと、自虚ネタは、
まだまだ職場も家庭男性中心に動いている余裕の裏返し
かもしれない。少しはほっとしている。
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