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敬老の日に思う

今日は敬老の日、高齢者を敬い長寿を祝う。
今では心身ともに老いない人が多くなった。
NHKテレビの「のど自慢」でも、88歳とか90歳などといった人が出て
しゃんと立ち、しっかりした声で歌われる。

宮崎県都城市の田鍋さんは、今月18日で113歳になられる。
「まだまだ10年ぐらい生きたい」といっていられるというから、その力には脱帽する。

都都逸(どどいつ)に「お前百までわしゃ九十九まで、
共に白髪のはえるまで」というのがあるが
この句の作者は長寿の理想として百や九十九を使ったのだろうが、
今の時代、100歳以上を超える人が日本に3万人以上もいると知ったら
作者は目を回すかもしれない。

厚生労働省の調査では、9月末までの100歳以上の長寿者は
女性が3万1213人で男性が5063人だそうだ。

そんな時代をどう生きるか。
内科医の日野原重明先生はこうアドバイスされている。
「若い人に助けられるだけでなく、与えられるものを持つことが必要」
「いつでも勉強しようという気持ちをもっていることが大切です」と。

作家の南條範夫氏は、いつまでも元気でいることの秘訣は
「空想力」だと言われる。
加齢ととともに記憶力、理解力、執務力、行動力などが
衰えてくるのはあっさり受け止めるが、
空想力が枯渇していくのはやりきれない。
自由に膨らむ空想力。
空想力があれば少年にも中年にも赤ん坊にもなれる。

確かに、空想力の世界では
どんなすごい能力の持ち主にも容易に変身できる。
気力、知力、体力の衰退(すいたい)をぼやき、嘆くのではなく
それを当然の現象だと受け入れ、その代わりに
奔放(ほんぽう)な空想力を。
南条氏は4年前96歳の天寿をまっとうされた。

明治生まれの亡き父から
「親の意見と茄子の花は千に一つも仇(あだ)がない」。とよく言われた。
茄子の花が必ず実を結ぶように
親の意見には一つとして無駄はないという。
だが若いころはそっぽを向いていた。

世間の風に当たるようになって
「親の打つ拳より他人の摩(さす)るが痛い」と多少分かるようになった。
例え優しく摩ってくれているようであっても
親の拳ほどの情けはこもっていない。
今は「親の意見と冷や酒は後で効く」。
そんな思いがふつふつとわいてくる。

昨今は達者なお年寄りから生き方の極意を教えてもらうことが多い。
先人の歩みに感謝して、先人の知恵に学ぶ日でもある。

(M.N)




 

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