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2008年11月 Archive
日本民家園の旧原家邸宅―ジェクトの前史時代の仕事
- 2008年11月30日 10:09
今回は、ジェクトとその前身である㈱川崎組・市川組よりもさらに前の、いわば当社の前史時代の仕事のことを書きたいと思います。
皆さんは、多摩区の生田緑地にある「日本民家園」に行かれたことがあるでしょうか。その民家園の入り口を入るとすぐ右手に、とても大きく立派な木造建築が見えてきますが、これがかつて中原区小杉陣屋町に建っていた「旧原家住宅」です。
日本民家園のサイトの「旧原家住宅」の説明には、次のとおり記載されています。
「川崎市中原区小杉陣屋町から移築した総ケヤキ造りの豪壮な2階建ての民家。明治24年から22年の歳月をかけて大正2年に完成した。日本の木造建築技術が高度に磨かれた明治時代の建物でもある。」
この川崎市重要歴史記念物にも指定されている原家の住宅ですが、実はこの建物、ジェクトとはおおいにご縁があるのです。
この建物は、川崎屈指の旧家である原家の屋敷として、上にもあるとおり22年(!)をかけて完成させた大規模なものですが、建設にあたり、棟梁として腕をふるったのは、ジェクト創業者市川重太郎の伯父の市川登代次郎、副棟梁が父親の清次郎でした。
当時修行中だった重太郎も、呼び出されてこの仕事に8年間たずさわり、数々の知識・技術を修得したと伝えられています。
さらにこの建物は、平成3年に、現在の日本民家園に移築されたのですが、実はその復元工事を請け負ったのも、ジェクトなのです。
明治時代の建築と、平成になっての移築・復元、本当にご縁の深さを感じさせる建物です。
旧原家住宅のある、川崎市立日本民家園のサイトは コチラ
(てっちゃん)
明治44年(1911年)、原邸の上棟式のさいの写真です。
平成3年(1991年)、ジェクトによって日本民家園に移築された旧原邸。
精巧に組み立てられていたケヤキの材木を一つずつ丹念に取り外し、
現在の場所に、同様のやり方で元のように組み立てました。
解体から移築完了まで、足かけ4年の期間をかけたそうです。
ひと足早い紅葉狩り・・・
- 2008年11月25日 09:40
昨日、午後からの雨にも負けず・・・朝から鎌倉に行って参りました。
まだ紅葉には早いとは思っていましたが、少し色づき始めていました。
雨が降る前に、まずは『瑞泉寺』を訪れました。
山の奥にある『瑞泉寺』は静かで情緒があり落ち着く所です。
もう少し色づいていると思っていたのですが残念でした。
やはり鎌倉は12月半ばが見頃だそうです。
『瑞泉寺』はもみじが多いので真っ赤に色づきます。またその頃に訪れたいと
思います。
(色づき始めたもみじ『瑞泉寺にて』)
次に『長谷寺』を訪れました。
『瑞泉寺』より色づいていて、人も多く賑わっていました。
ちょうど22日からライトアップが始まったばかりで、
大勢の方々が並んで訪れているようです。
それほど、17時から18時までのライトアップは、幻想的ですばらしい!
とお団子をいただいたお店の定員さんに教えてもらいました。
そのお店こそ、あじさいの時期に訪れた時は、
お寺が閉まるぎりぎりだったため閉まっていたのです。
今回はお昼時に入店することができました。
ここからの眺めは最高で、窓側に座りながら上から見渡す景色は格別でした。
ちょっと一息つくのに癒されるお店です。癒しのお供においしいお団子がおススメです。
そうこうしているうちに・・・雨が降り出したのでライトアップは諦めました。
お天気なら、17時まで頑張ってぶらぶらしているつもりでしたが、
本格的な雨と本格的な寒さには勝てませんでした。
12月8日までライトアップは開催されているので、できたら再チャレンジしたいです。
長谷寺では、ちょうど、『和傘アート展』が開催中だったので、
色づき始めた木々の中に飾られた和傘はとても存在感があり素敵でした。
(『長谷寺にて』)
もうひとつお寺に立ち寄りました。
奥深い所にある『妙本寺』です。
こちらも紅葉では有名なんですが、雨がひどく紅葉はいまひとつ・・・
きっと見頃の時期は真っ赤に染まるもみじに包まれた山門が出迎えてくれるはずです。
来月に訪れたらご報告いたします。
(しむりん)
もうすぐ12月
- 2008年11月22日 12:00
もうすぐ12月ですね。
クリスマスで、街もにぎやかになってくる季節です。
不動産部の新城店では、さっそくクリスマスツリーとリースを飾って、ムードを盛り上げています。
皆さん、どうぞお気軽にご来店ください!
(てっちゃん)
湯タンポ
- 2008年11月20日 18:33
- M.N氏の岡目八目
「子供の頃の夜の記憶につきものなのは、湯タンポの匂いである」
冬になると風邪をひきやすくなるため、風呂は一晩おきで
その代わりに湯タンポを寝床に入れてもらえたと
作家の向田邦子さんは『子供たちの夜』でつづっている。
母がヤカンからお湯を注ぎ、口金を締めて
古くなった湯上げタオルで包み
火傷をしないよう丁寧に紐でゆわえた。
翌朝までホカホカと暖かく
そのお湯で顔を洗ったことなどを思い出す。
ショッピングセンターやホームセンターで
湯タンポが売れているようだ。
灯油価格、電気やガスの料金の値上げで、暖房費節約のため
今冬は湯タンポ使用者が増えているそうだ。
景気の先行きが不透明な中
冬支度を前に消費者は節約の知恵を絞っている。
幼いころ、冷たい寝床に入ったら足先に湯タンポがあった。
母の愛情を感じた。
今冬はそんな思い出を孫に話しながら
思い出をつくってやりたい。
(M.N)
自宅の秋のバラ
- 2008年11月20日 13:13
自宅の庭のすみっこに植わっているバラの花が咲いたので、写真を撮ってみました。
春先に花が咲いたあと、忙しさにかまけて放っておいたら、劣悪な環境が災いして
病気にかかってボロボロに。
仕方なくその辺にあった固形肥料をばら撒いておいたところ、急に気合が入ったのか、今月に入ってから花が次々と咲きました。
秋は気温が低いので、花がなかなか散らず、長持ちしています。
花色はうっすらとした杏色(キレイ)から、時間とともに色が抜けて白くなります。
「フレンチレース」という品種ですが、ウチの管理が悪いため、すぐに
肥料切れや病気になる、手のかかるお嬢さんのようなバラです。(^^;)
(てっちゃん)
手帳の価値
- 2008年11月17日 17:36
- M.N氏の岡目八目
書店や文具店の手帳コナーが
そろそろ気になるころになった。
一口に手帳といっても家計簿付きや日記の書けるもの
有名人の監修したものなど実に多彩だ。
子(ね)年も残り一ヵ月半。
丑(うし)年に引き継ぐ前に今年はどんな一年だったのか
と振り返る機会が増える。
これも新しい手帳や暦を早く飾る効用か。
日本で本格的に手帳が作られたのは
明治政府が末尾に関連法規などを付けた
官用のものが始まりだそうだ。
今では社会の必需品な存在へと普及し
スケージュルの管理以外にも幅広く利用されている。
手帳の価値は、いかに工夫して使いこなせるかだと
痛感させられる。
特に手書きの場合は記憶力を高め、
すぐに情報として活用できるなどの強みがある。
ビジネスの世界に限ったことではない。
個々の生活を楽しく意義あるものにするためにも、
一層工夫をこらして手帳の付加価値を高めていきたい。
(M.N)
漢字一字
- 2008年11月14日 12:47
- M.N氏の岡目八目
壁のカレンダーも残り二枚となり、時の早さをあらためて感じる。
日本漢字能力検定協会は
十二月十二日を「いい字一字」と語呂合わせし
「漢字の日」と定めた。
そして一九九五年から毎年
その年の世相を表す漢字一字を募集している。
これまでに選ばれた漢字を一回目から挙げると
「震」「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」「災」「愛」「命」、
そして昨年が「偽」。選考理由を読みながら
「ああ、そんな出来事があったな」と記憶がよみがえる。
同時に、地震や食の安全、倒産、偽装表示など
今年起きたさまざまな出来事が一字一字にあてはまることに
気付かされる。
最も公募が多かった一字は
来月一二日の「漢字の日」に発表される。
京都市の清水寺で揮毫(きごう)される。
街を歩けばまだ晩秋とはいえ
年賀状の発売やクリスマスツリーなど、
確実に年の瀬が近づいてきているのを実感する。
ここ数日急に冷え込んできた。
寒暖の差で風邪を引かぬよう、そして滑り込みでもいいから、
明るい「今年の文字」候補を加えられるような
何かが起きることを期待しつつ、残り二ヶ月を乗り切りたい。
(M.N)
大相撲独特の習慣
- 2008年11月 9日 11:51
- M.N氏の岡目八目
一九三九年春場所四日目に、不世出といわれた
横綱双葉山の連勝が六十九連勝で止まった瞬間
両国国技館は大歓声で震えたという。
座布団に交じって、火鉢までが宙を舞ったという逸話がある。
座布団投げは大相撲独特の習慣で、始まりは江戸時代そうだ。
ひいきの力士が勝って花道を引き上げる際に
観客が羽織を投げこんだことに端を発し、形を変えて続いているらしい。
この習慣が九日に始まる九州場所で姿を消すという。
よいうより、土俵に投げ込みにくい形に変えるそうだ。
四人用の枡席に敷かれる一人一枚だった座布団は
長方形の二人用二枚とし、これらをひもでつなげるアイデアのようだ。
座布団投げでけが人が出たという記録はないが
ただ危険はかねて指摘されてきた。
「事故が起きる前に手を打った」ということなのだろう。
座布団投げには本来、番狂わせを演じた力士を
称賛する意味が込められていた。だが、最近はやや様子が違う。
ふがいない取組へのブーイングからか
負けた横綱にも向けられる光景を目にする。
連勝が止まった夜、双葉山が恩師に
「未だ木鶏たり得ず」と打電したのは有名な話だ。
木鶏は泰然とした最強の闘鶏をいう。
待ったなしの土俵正常化に向けて
相撲界も木鶏たる気構えを見せて欲しいと願うファンの一人だ。
(M.N)
伝家の宝刀
- 2008年11月 4日 15:04
- M.N氏の岡目八目
11月になると、今まで気持ち良いと思っていた早朝の大気が
ひんやりと冷たい感じになってくる。
「伝家の宝刀」とは、家に代々伝わる名刀を指す。同じものは二つとない。
総理大臣も家長とする日本国代々の政権に伝えられる「衆院解散権」も
伝家の宝刀と呼ぶにふさわしい。
名刀には刀銘があるが、解散権の場合は
使用されたときの状況に応じて命名される。
小泉政権での「郵政解散」や森政権での「神の国解散」は記憶に新しい。
さかのぼれば「死んだふり解散」「天の声解散」などもあった。
戦後間もない時代の吉田政権はいろいろ見せてくれた。
「なれ合い解散」に始まり「抜き打ち解散」「バカヤロー解散」と続いた。
説明しなくても解散時の雰囲気が分かるのは、命名の妙だろう。
政界の伝家の宝刀を抜けるのは首相だけとされる。
そういうことにされてきた。抜き方が難しい。
抜きすぎると威光が薄れる。抜かなすぎるとさびつく。
抜くために政権を担ったと思われた麻生総理は抜きそうで抜かない。
党利党略でなく国民を思うがゆえの熱慮なのだろう。
(M.N)
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