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2009年2月 Archive
2月よ強く
- 2009年2月28日 16:48
- M.N氏の岡目八目
2月は弱者の月ではないでしょうか。
「逃げる」と言われるほど陰の薄い月ですが
実際に不遇をかこっており、ほかの月より短い
28日までしかないのです。
その理由は約2千年前の古代ローマ、かのユリウス・カエサル
(ジュリアス・シーザー)にさかのぼります。
彼は太陽暦を採用し、1年を365日、そのうち奇数月は31日
偶数月は30日と定めたとされます。
もちろんそのままでは1年が366日になる。
そこで帳尻合わせに使ったのが2月だ。
以前は春になり,農作業が始まる3月こそが年初で
年末の2月は日陰者扱いだった。
その習慣にのっとり、2月を1日削って29日とし
うるう年だけ30日にしたらしいのです。
その上ユリウスは、7月を自分にちなんだ名称に変えさせた。
後継者で初代ローマ皇帝のアウグストゥスは
権威を示したかったのか、それに対抗して、
8月に自分の名を付けただけでなく、7月と同じ31日にし
9月以降の日数を入れ替えた。
そうすると今度は1年が1日多くなってしまう。
昔からしわ寄せを受けるのが弱者に決まっている。
増えた分、再び2月が1日削られた。異説もあるが
かくして2月は28日となり現代に至ったといわれます。
その2月も明日1日となった。
通常国会の開会からは1カ月以上たったがこの間
何がどう進んだのだろう。景気対策の議論は滞り
弱者がしわ寄せを受けています。
ため息の尽きない弱者の月のようです。
立春から春分までを「光の春」と呼ぶそうです。
鈍色(にびいろ)の冬から日脚が日一日と伸びて
明るさも増しますがまだ春は浅い。
「春は名のみの風の寒さや」と
早春賦に歌われたとおりでですね。
(M.N)
歴史的建造物
- 2009年2月27日 09:28
ある建物が取り壊されて、数週間もすると
「この土地に何があったのか」と、ふと思うことがある。
日ごろ目にしていたのに、なぜか思い出せない。
一方で、その場所を通るたびに「壊さないで欲しかった」と
もの寂しさを覚える場合もある。
東京・霞ヶ関近辺で威容を誇った飯野ビルが姿を消した。
イイノホールを含む10階建て規模の石造りの建物が
大通り沿いに100メートルも延びていただけに
強烈な印象を与えていた。国会近くの官庁街に面し
戦後復興や高度成長期の民間パワーの象徴でもあった。
歴史を刻んだ趣のあるシンボルとはいえ
保存は難しかったのだろう。
東京駅前の重厚な丸ビルが生まれ変わったように
新時代にふさわしい現代建築が姿を現すのも
いたしかたないのだろう。
飯野ビルの近くには、大和生命があった。
年配の方達がその建物の前で、長い時間立ったまま 懐かしそうに、語り合っていた姿を思い出す。
壮麗な洋風建築がまぶしく華やいだ舞台を演じた
鹿鳴館(ろくめいかん)があった場所だけに
衝撃も大きかったのだろう。
建物の存廃は街の盛衰と重なる。
歴史的建造物保存は観光客を誘い
住む人の心を豊かにする。
新改築するにも魅力的に仕上げて
人々が、思いを重ねる建物であってほしい。
(M.N)
稲取の吊るし雛と河津桜満開!!
- 2009年2月24日 16:01
先週、満開の河津桜と稲取の吊るし雛を見学して来ました。
河津桜は例年よりも開花が早く、来月まではもたないと地元の方が言っていました。
河津桜は早めの桜なので、寒い時期に楽しむことができます。
また、黄色の菜の花と濃いピンクの桜のコラボが素晴らしいです。
もうひとつ楽しめるのは、河沿いにぎっしりと並んだ露店です。
少し歩いただけで・・・試食をたくさん勧められ、桜饅頭に、桜茶に、桜羊羹に、桜せんべいに、桜あんぱんと桜づくしと、定番のひじき、ひもの、特産野菜、干しいも、ドライフルーツetc・・・数えきれないほどの種類でした。
私は、和菓子やさんの露店で「桜ロール」というロールケーキと、ひものにひじきに海老せんべいと地元の大根で作ったたくわんを購入しました。
(見事な黄色とピンクのコラボです。)
(民家に咲いていた満開の河津桜でした。)
この季節、稲取では伝統的な『吊るし雛祭り』を開催しています。
雛人形が好きな私は何度か訪れていますが、今回で全部の会場を見学できました。
各展示場には、古い雛人形が展示されており、古き良き時代を感じることが出来ます。
(七段飾りと吊るし雛)
どの雛人形も趣があり、長い時間座りながら眺めていました。
桜と雛人形・・・少し早く『春』を感じることができました。
(しむりん)
昭和公園
- 2009年2月23日 15:14
- M.N氏の岡目八目
立川市の国営昭和記念公園に行った。
百三十ヘクタールの広大な公園は
1977年に全面返還された米軍立川基地跡である。
それ以前は旧陸軍立川基地だった。
1937年に東京~ロンドン間を結んだ神風号も
立川基地から飛び立っている。戦後、米軍に接収され
基地拡張に反対する住民らが闘った
砂川事件の舞台ともなった。
日本に返還された後
大規模公園、広域防災基地として整備され、
その一角に昭和天皇記念館がある。
同公園は昭和天皇在位五〇年の記念事業の一環でも合った。
87年の昭和天皇の生涯。展示物を見ながら
昭和と言えば軍靴の音が高く響いたイメージが強いが
戦争が終わって四十年以上、わが国は
他国と直接戦火を交えることがなかったことを
あらためて気付かされた。
昭和天皇が崩御されてスタートした平成も20年が過ぎて
大正をはるかに越えた。
旧日本軍そして米軍と基地の歴史が刻み込まれた公園で
柔らかな日差しの中、若い母親が優しい眼差しを幼児に向けていた。
こんな暮らしこそ守るべきものだろう
そんなことも思う半日だった。
(M.N)
墓参り
- 2009年2月17日 00:31
先日 父の墓参りに行って参りました。
(急に行く事になり、急遽お休みを頂きました。
有難うございました)
前日夜半からの暴風雨で天気が心配でしたが、
出発する頃は雨があがっていましたので、ほっとしました。
富士宮市からみた 富士山 雲がとれて 綺麗でした
快晴になり とても暖かでした
桜の季節になると 見事な景色になります。
春になったらまた 墓参りに行きますので、
満開の桜の写真をお楽しみに・・・・・
(ケロヨン)
ランドセル
- 2009年2月16日 09:50
- M.N氏の岡目八目
ランドセルといえば黒か赤しか浮かばないが
最近は色の種類が増えているのに驚いた。
売り場は青やピンクなどカラフルだ。
祖父母が孫と一緒にランドセルの
品定めをしている場面に出合った。
四月から小学校に入学するかわいい孫のためなら
財布のひもが緩もう。
背中に大きなランドセルを背負った
ピカピカの一年生を想像すると
買い物風景がほほえましい。
ランドセルの歴史は、明治時代に学習院で軍用の背のうを使い始め
背のうを意味するオランダ語のランセルがなまって
ランドセルになったそうだ。
全国に普及したのは戦後の1950年代以降とされる。
カラー化は進んだが、箱型に大きな変化はない。
新しいバッグなどが次々と生み出されているのに
祖父母の代から子、孫へと受け継がれている。
ランドセルは日本の学校文化を代表するといってもよさそうだ。
六年間使い続けると愛着がわき、思い出が詰まる。
不要になっても簡単に捨てられない。
プレゼントされたお孫さんの笑顔が愛くるしい。
健やかな成長を祈りたい。
(M.N)
映画鑑賞
- 2009年2月11日 21:22
映画を見てきました。2本。
しかし今日は水曜日レディースデーしかも祭日。
混んでました! ネット予約しておいて良かった。 ホッ!
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
一人の男の人生をおいかけた物語です。
その人生は、普通とは違います。
彼は老人としてこの世に生まれ、若返っていくのです。
デビッド・フィンチャー(監督)
主演は大ファンの ブラッド・ピット
2009年第81回アカデミー賞13部門にノミネートされています!!
とても考えられない内容の映画でしたが、なかなか良い作品で
2時間55分という時間が、長く感じませんでした。
「ヘブンズ・ドア」 主演:長瀬智也(TOKIO) 福田麻由子
余命わずかの二人が病院で出会い、ひょんな事から車を盗み
海を目指して疾走します。
今日見た2本の映画共 命、死、人生とは・・・と
そんなに重苦しくなく考させてもらえた作品でした。
今年は 「ティンカーベル」・・・ピーターパンに出てくる妖精の物語
「マンマ・ミーア」・・・ABBAの名曲にのせて綴られる
愛と絆の物語 主演:メリル・ストリープ
と、4本見ています。
去年は23本見ましたが、今年もその位見られるでしょうか?
予告編を見るとこれもあれもと見たくなります。
なんせシニアですものいつ行っても1,000円で見られるので、シ・ア・ワ・セ♪
(ケロヨン)
大壁画
- 2009年2月10日 16:13
- M.N氏の岡目八目
「芸術は爆発だ」。こんな言葉を残した画家の
故岡本太郎さんの記念館が東京都内のJR渋谷駅近くにある。
住居兼アトリエとして使われた場所だ。
展示物の中にはピカソと談笑する一枚の写真があった。
南仏のアトリエを訪ねた時に撮影されたものだそうだ。
岡本太郎さんが近代美術の頂点とたたえる
名画「ゲルニカ」をめぐり芸術論を交わしたと伝えられる。
それから十五年後の一九六八年、岡本太郎さんは
メキシコの実業家の依頼で「明日の神話」と題した壁画を作成した。
原爆投下の瞬間をモチーフした縦五・五メートル、
横三十メートルの大作だ。
戦争を告発するテーマ性などからゲルニカを意識されたのだろう。
作品は展示予定のホテルが倒産したため
完成直後に行方が分からなくなった。
それが五年前にメキシコ市郊外の倉庫から発見された。
日本に運び修復された壁画は,JR渋谷駅の連絡通路に
昨年十一月中旬に設置された。
一日約三十万人も行き交う雑踏の中
壁画の前で若者やサラリーマンらが立ち止まり
シャッターを押す姿を見た。
目を凝らすと炎の中から天井を目指して
躍動する生き物が描かれているのに気付いた。
人間は原爆の惨劇を乗り越え
必ず明るい未来を築くことができる。
岡本太郎さんが壁画に託した人類再生のメッセージである。
その願いが時空を越えて語り継がれて欲しいと思った。
(M.N)
市民レベルの宇宙開発
- 2009年2月 4日 16:36
- M.N氏の岡目八目
宇宙から温室効果ガスを観測する「いぶき」など
人工衛星八個を乗せた国産ロケットH2Aが先月23日
打ち上げられた。
今回の打ち上げでは、大阪の町工場が開発した
「まいど1号」など宇宙開発機構が公募した小型衛星6個も
軌道に投入された。H2Aは2001年の初打ち上げ以来
15回中14回の打ち上げに成功。
成功率も93パーセントとなり、欧米の水準に近づいたという。
何より、今回は中小企業や大学、高専が
手作りで開発した衛星も一緒に打ち上げられたのがうれしい。
日本の宇宙開発も、ようやく民間ベース、市民レベルで
携わる時代がやってきたようだ。
21世紀も10年が過ぎようとしている。
宇宙探査に市民レベルで参加していけるようになったとしたら
楽しい時代になったと思う。
(M.N)
浅間山噴火
- 2009年2月 4日 11:22
- M.N氏の岡目八目
群馬県と長野県にまたがる浅間山が噴火した。
テレビの映像では、火口から赤い炎が噴き上がった。
昨年八月のごく小規模以来という。
マグマのエネルギーがたまっているのだろう。
五年前の九月と十一月には中規模噴火があり
降灰で農作物などに被害が出た。
今回の噴火でも、五十センチを越える石が一キロ先まで飛ばされ
火山灰は季節風によって東京や横浜、千葉まで流されている。
今後も、半径四キロの範囲に大きな噴石が
飛ばされる可能性があるという。
気象庁は、小規模な噴火で小康状態になったと発表したが
まだまだ安心はできない。自然の力は圧倒的だ。
浅間山は活火山として昔から知られる。
気象庁のまとめでは、十人以上の犠牲者が出たのは
過去三回ある。1721年の十五人、83年の千百五十一人
1947年十一人だ。
以前に比べて、科学技術が進んできたのは心強い。
気象庁は今回、一日の午後に噴火が差し迫っているとして
警戒レベルを火口周辺規制のレベル2から
入山規制のレベル3に引き上げた。
約十三時間後に的中した。
地震計や衛星利用測位システムなどを使った
監視体制のたまもの。天気予報も正確さを増している。
精度が高ければ、一瞬を争う時に時に威力を発揮する。
今後起きると予想される地震でも
こうした科学技術の恩恵を是非受けたい。
(M.N)
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