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2009年10月 Archive

大海にこぎだす船乗りの仕事は常に危険と隣り合わせだ。
昔から「板子一枚下は地獄」という言葉で伝えられてきた。
私たちが日々豊かな海の幸を味わえるのも
命がけの仕事のおかげである。

それだけに船乗りは強い絆(きずな)で結ばれている。
漁船の遭難事故の都度、行方不明の仲間や
家族を気遣う漁師たちの思いやりは心にしみる。
昨日、八丈島近海で連絡が途絶えていたキンメダイはえ縄漁船
「第一幸福丸」が見つかった。
4日ぶりに3人救出という奇跡的な朗報と船長の悲報に
海の男たちの胸中は喜びと悲しみが交錯したのではないか。 

それにしても、転覆した漁船の船内から良くぞ生還してくれた、と思う。
3人は、救助のへりから降りた後、八丈島で待機していた救急車まで
歩いたそうだ。脱水症状はあるが、健康状態に問題はないという。
転覆した船内のわずかな空間で、救出を信じて
ひたすら待ち続けていたのだろう。本当によかった。

一方で、亡くなった船長の家族や関係者の悲しみを思う。
佐賀県から駆けつけた母親が、「息子が船員を守り
全員無事に帰すと信じている。そういう息子に育てたつもり」
と気丈に語っていたことを思い出す。

船が連絡を絶つ直前、幼馴染の同級生は
船長と船舶電話で話をしていたそうだ。
話の中で、船長は新しい船を調達したい、と夢を膨らませていたという。
それも、かなわない夢となった。残念だ。

しかし、残る4人の乗務員は行方不明のままである。
今も海上保安庁や僚船など、約束の固い海の男たちが
全力を挙げて捜索している。何としても生還を、と願っている。

(M.N)

手助け

チンパンジーは見返りがなくても
仲間の手助けをするという。
京都大学の霊長類研究所などが行った研究成果が
テレビで紹介された。 

ブースにチンパンジーを一匹ずつ入れ
片方のブース前にジュース、もう一方の前に杖を置く。
ジュースが飲みたいチンパンジーは
隣の仲間に杖を取ってくれるよう盛んに促した。

仲間は「仕方がないなあ」といった様子で杖を取り
窓越しに手渡した。その杖でジュースを手繰り寄せ
美味そうに飲み干すという映像だ。
協力への返礼がないだけで、我々の日常と変わらぬ光景である。
ペアを変えても大方が同様に動いたそうだから
見返りなしの「利他行動」は半ば常識化しているのだろう。

一見気ままな暮らしに見えながら
実は我々の想像以上に繊細な社会性を
身につけているのかもしれない。
厳しい環境を生き抜くには利己を抑制しないと群れは持たない。
共同体が重層化した人間社会ならなおさらである。
彼らの何気ない仕草からあらためて
無償の援助の尊さを教えられた。

ただ彼らの行動のほとんどは相手の求めに応じたもので、
自発的な援助は人間社会特有のものだとか。
なるほど気を利かして杖を差し出すチンパンジーがいたら気色悪い。

自然界では求めに応じた手助けが無駄なく効果的で
過ぎたるはお節介に映るようだ。
95兆円に膨らんだ来年度当初予算概算要求は
国民の求めと与党の思いが混在し、その評価は何とも微妙である。

(M.N)                                                                                  

 

音羽会館にて

目の前にいた年配の女性2人組が、すっとんきょうな声を上げた。
「この家建てたの関東大震災の翌年ですって」 
「信じられないわね。本当に。ものが違うって感じ」。
東京の新名所、鳩山会館での話だ。                                        

鳩山由紀夫首相の誕生で
祖父の一郎元首相が建てた私邸が脚光を浴びている。
地上3階、地下1階、延べ床面約240坪の通称「音羽御殿」には
平日にもかかわらず観光バスが何台も乗りつけ、観光客でにぎわっている。

門から洋館に至るつづら折の坂道からして
いかにもお金持ちのお屋敷。屋根にはハトの飾り
窓にはハトをデザインしたステンドグラスが入っている。
まるで文化財だ。
芝生の敷かれた広い庭には色とりどりのバラ。
一郎元首相が愛した黄色い「ピース」も咲いている。                                               

第2応接室には一郎元首相が愛用したいすが残っていた。
ここで政治家・三木武吉らと歴史を刻んだのだろうか。
そんな祖父を見ながら、由紀夫少年は
弟(邦夫氏)とチョウを追いかけたのだろうか。                                  

とにかく豪勢な家と家柄に圧倒されながら
観光客は無料のお茶に列をなし、英国風サンルームから庭を眺める。
確かにもの違うなと思いながら同じように休憩していると
先の声の大きな2人組が近くのいすに座っていた。

(M.N)

若手の台頭

ロンドンで開かれた体操世界選手権で
内村航平さんが個人総合金メタル。若干20歳だ。
床運動、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒。
この6種目をすべて演技し優勝するには、わずかなミスも命取りになる。
人間の能力の限界に近い技をこなし
ぴたりと着地まで決めた瞬間、選ばれし者となる。
体操の男子個人総合とは、かくも難しい競技だ。

内村選手は昨年の北京五輪で銀メダリストとなり
クールな笑顔とともに一躍名をはせた。
鮮烈な五輪デビューが偶然でなかったことも示した今回の金メダルは
五輪・世界選手権を通じ日本勢最年少の快挙だった。

今度の大会では、4種目で競う女子個人総合でも
ヒロインが生まれた。17歳の鶴見虹子(こうこ)選手。
こちらは池田啓子さん以来、43年ぶり、2人目の銅メダルだ。
小柄な体にみなぎる躍動感は、種目別の段違い平行棒で銀も引き寄せた。                                                            
 
難度を求める流れにあって、体操日本の伝統は美しさだろう。
これは内村選手らも受け継ぐ。
次はロンドン五輪。選ばれし者へ夢は膨らむ。

栄光が持つ明と暗。逆境をはね返す力強い歩み。
そういえばゴルフの石川遼選手はまだ18歳だが
ここ1年の活躍ぶりは目をみはるばかりだ。
各界で進む「チェンジ」は楽しい。

(M.N)

路面電車

路面電車はなぜチンチン電車と呼ばれるのだろうか。
車掌さんと運転士さんがかって連絡に使っていた
ベルに由来するという説が有力だそうだ。

チンと1回鳴らせば「降りる人がいるから停車」の意味。
2回鳴らすと「乗降がすんだので発車してもよい」となる。
だが電車の廃止に伴い、ベルは次第に消えていった。

東京にも路面電車が走る。
地下鉄やJRに負けずに都電で唯一生き残った荒川線は
今もベルが健在だ。
ワンマン化した際、惜しむ声にこたえて
発車時に自動的に鳴る装置を取り付けた。
遊び心ある計らいに拍手を送りたくなる。

学生街・早稲田と荒川区三ノ輪橋間12,2キロを結ぶ都電に乗ると
お年寄りや子供連れの女性が多い。乗り降りのとき
運転士は「慌てなくてもいいですよ」と何度も声を掛ける。
ガタンゴトンのゆったりリズムと、ぬくもりの空間はやはり心地よい。

電車が環境に優しい乗り物として見直される中
一層の普及を期待する人は
「チンチン」 と発車を促したいに違いない。

(M.N)

ネクタイ

進化した首縄と考える人もいれば、敵と戦う剣と見る人もいる。
プレゼントされた物なんか使う気にならないという趣味人もいる。
こだわる人はとことんこだわる。
それがネクタイ。今月2日はネクタイの日だった。

東京の帽子商・小山梅吉さんが
日本で始めて製造した日とされる。
衣替えと重なるのはまったくの偶然だが
クールビズを終えたサラリーマンにとっては
自分の主張を再び世に示すことができる日でもある。

欧米に首元で自己主張をする人が少なくないのは
歴史の長さゆえだろうか。例えば英国の紅茶王リプトンは
独特の結び方をした蝶ネクタイを偏愛した。
その形がアイルランドによくある三つ葉に似ており
その血を引く自分を誇っていたらしい。

スリムな暗色のネクタイしかしなかったのは
米国のケネディ元大統領。エリートくささを嫌ったからだという。
服装評論家・出石尚三氏著書
(「男はなぜネクタイを結ぶのか」新潮社)で知った。
 
日本にもネクタイで自己主張する政治家はいた。
幅広のネクタイを流行させたのは佐藤栄作元首相
水玉が記憶に残るのは海部俊樹元首相だ。
小泉純一郎元首相も「ノーネクタイ」という名のネクタイを世に広めた。

鳩山由紀夫首相の場合、奇抜な花柄ネクタイから
金色の勝負ネクタイまで、守備範囲は随分広い。
宇宙人ぶりを主張していられると言えなくもないが
実際に選んでいるのは幸夫人だと聞く。

(M.N)

2016年夏季五輪開催地

南米に聖火が灯ることになった。
2016年夏季五輪開催地はリオデジャネイロに決定した。
その瞬間を待ち、眠れぬ夜を過ごした人も多かったと思う。
東京で再びの夢は遠のいた。

「候補都市の国では唯一開かれていない。今回はブラジルの番」
「南米中の若者たちのために五輪を新たな大陸にもたらしてほしい」。
投票前、ルラ大統領は目を伏すことなく語り掛けた。
自然体で情熱を秘めたスピーチも
「南米初」という歴史的意義の説得力を高めるのに奏功した。

五輪は国を変える。
45年前の東京、日本がそうであったように
新興国ブラジルはリオ五輪をバネに
さらに新しい時代へと一気に突き進むだろう。
先の金融サミットでは新興国を中心とするG20が
G8(主要国)に代わり、地球規模の問題解決を担う主役として
存在感を誇示したばかりだ。

開催地選びが人気投票ではないことも知らされた。
オバマ大統領夫妻が乗り込み、リオのライバルと見られていた
シカゴは、よもやの初戦敗退だった。
東京はその屈辱を免れたのが救いだった。
G8からG20の時代へと移った。日米の早期敗退は
多極化という世界の大きな潮流をも印象づけた。

(M.N)

白洲次郎の伝説  -その2-

もっとも少し出来過ぎのようで、実は日本語での演説を提案したのは米国側だったようだ。日本のメディグニティ(尊厳)のため」と。
吉田首相のメンツを損なわないように。
演説嫌いの首相、英語の発音も苦手だったらしいから、そこで白洲が引き取ったのが、
真相かもしれない。

 夫人は古美術に詳しい随筆家正子(1910-98年)。
正子さんを介して多くの知遇や財界とのつながりを得た。
ゴルフにも熱中、80歳までポルシェを乗り回した。
そんな白州次郎が今、注目されている。NHKでその伝説の生涯をドラマスペシャルで放映された。別番組では白洲次郎・正子夫妻のお孫さんが面影と想い出を語っておられた。

確かに白洲次郎に対する評価はいろいろで、このブームを「貴族的なものへのあこがれ、格差社会が生んだ現象」との分析もあるが、占領期に米国にもの申すなど、磨き抜かれた英語でよく口にした「プリンシプル(原則)」、決してこびない凛(りん)とした生き方への共感のような気がする。

 政治も経済も混沌の日本。「なんだ、このざまは。プリンシプルがないではないか」。
天国から聞こえるかっこいい男の叱責(しっせき)を聞きたがっているのかもしれない。

 鳩山由紀夫首相は英語だった。外交デビューの国連演説は「温室効果ガス25%削減」を提示したところ拍手が起きていた。訥訥(とつとつ)とした印象だが、自らの言葉で共感を呼んだ。米スタンフォード大仕込みの英語が生きたようだ。

 ところで首相の言う「友愛」は、仏語のFraternite(フラタナティ)が由来だそうで、
フランス革命のスローガンで、国際社会では理解の速い理念だろう。
問題は、鳩山外交の具体策をどう行動で示すかである。

(M.N) 

白洲次郎の伝説  -その1-

戦後間もなく、吉田茂首相の側近として活躍。その毅然(きぜん)として臆(おく)しない言動が伝説のように語り継がれている人だ。

 人間のかっこよさは見てくれだけでは無い。その人の考え、行動、生き方、ライフスタイルをひっくるめて他を魅了するものである。そこに人は「かっこいい」とあこがれるのだ。

 Tシャツにジーンズ。藤(とう)いすに腰掛けてすらりとのびた足を組んでいるロマンスグレー。
写真に見る白洲次郎(1902-85年)は日本人離れしたかっこよさだ。
兵庫県芦屋に生まれ、神戸一中から英国ケンブリッジリ大に留学。
26歳で帰国するまで、ベントレーやブガッティといった車を乗り回したようだ。

 戦後は吉田茂元首相の右腕としてGHQ(連合軍総司令部)との交渉に当たり、
「従順ならざる唯一の日本人として」煙たがれた。占領軍将校から「君の英語は立派だ」と褒められると「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と切り返したという逸話の持主でもある。

 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議での逸話も面白い。
吉田首相は英語で演説するつもりでいたが、原稿を見た白洲は激怒して随行員らに日本語へ書き直しを命じる。内容が卑屈だ、戦勝国と同等資格の講和会議は自国語で演説すべきだという。

 直前の書き直しが始まった。400字詰めで12枚余りの原稿を毛筆で書き写した。
全長は30メートル。巻き紙にすると、「トイレットペーパーのよう」と外国人記者が評したほどの太巻き。外務省のホームページを見たら、その写真があった。
                                 その2へ続く
(M.N)

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