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白洲次郎の伝説  -その1-

戦後間もなく、吉田茂首相の側近として活躍。その毅然(きぜん)として臆(おく)しない言動が伝説のように語り継がれている人だ。

 人間のかっこよさは見てくれだけでは無い。その人の考え、行動、生き方、ライフスタイルをひっくるめて他を魅了するものである。そこに人は「かっこいい」とあこがれるのだ。

 Tシャツにジーンズ。藤(とう)いすに腰掛けてすらりとのびた足を組んでいるロマンスグレー。
写真に見る白洲次郎(1902-85年)は日本人離れしたかっこよさだ。
兵庫県芦屋に生まれ、神戸一中から英国ケンブリッジリ大に留学。
26歳で帰国するまで、ベントレーやブガッティといった車を乗り回したようだ。

 戦後は吉田茂元首相の右腕としてGHQ(連合軍総司令部)との交渉に当たり、
「従順ならざる唯一の日本人として」煙たがれた。占領軍将校から「君の英語は立派だ」と褒められると「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と切り返したという逸話の持主でもある。

 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議での逸話も面白い。
吉田首相は英語で演説するつもりでいたが、原稿を見た白洲は激怒して随行員らに日本語へ書き直しを命じる。内容が卑屈だ、戦勝国と同等資格の講和会議は自国語で演説すべきだという。

 直前の書き直しが始まった。400字詰めで12枚余りの原稿を毛筆で書き写した。
全長は30メートル。巻き紙にすると、「トイレットペーパーのよう」と外国人記者が評したほどの太巻き。外務省のホームページを見たら、その写真があった。
                                 その2へ続く
(M.N)

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