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2017-08-27
武蔵新城商店街、恒例の夜店市「にぎどん」が
25日、26日と開催されました。私は久しぶりに
行きましたが道路は買い物客で溢れ、このときばかりは
有名商店街にも引けを取らないのではと思うほどの人出でした。
その中心はアーケードがある「アイモール」かと思いますが
その昔ここは「信用金庫通り」と呼ばれていました。川崎信用
金庫が入り口にあったからですが、私はアーケードができた
昭和60年頃、ここの商店主から最盛期の様子を聞いことがあり、
入口から通りの奥を見ると人の頭で真っ黒だったと言っていました。
「ア イ モー ル」
その話を思い出し、「アイモール」を入口から眺めてみたら確かに
奥が黒山のように見えました。今は区内では元住吉・ブレーメン通り
の方が有名ですが、この賑わいを平時でも保てないのでしょうか?
もっとも武蔵新城は武蔵中原と比べると商店の集積度が
とても高く、武蔵中原では駅前のいくつかの商業ビルには
店舗が入っていますが、面で広がる新城とは勝負になりません。
「マイロードゆうゆう」
確か私が学生の頃まで中原駅の南側には田んぼがあって
商店は中原街道沿いに少しある程度でした。これに対して
新城駅は、戦時中に駅南側の約7万坪の水田が埋立てられ
宅地が造成され、そこで発注された住宅300戸のうち100戸の建築を
まだ個人営業だった市川組が川崎住宅(株)から請け負いました。
奇跡的に残っていた感謝状
川崎住宅は川崎市も資本参加して昭和16年に設立され
今でも当社とお付き合いがありますが、民間デベロッパーが
なかった時代に、公社のような役割を果たしたのでしょう。
この南口に出来た住宅街の東側は日本光学などの社宅となり
それが段々商店に変って行き、そんなことから「サンモール」は
しばらく「日光通り」と呼ばれていました。
「サ ン モ ー ル」
まだまだ人口増が予想される中原区で、商業施設は小杉、元住吉が
注目されがちですが、それとは一味違う個性豊かなお店が武蔵新城
周辺にあるということを、私たちも認識しPRしていきたく思います。テーマ名
ページ作成日 2017-08-27
2017-03-26
先週、川崎いのちの電話の創立30周年を
お祝いする催しがありました。当社では2012年に
新しい事務所の施工を担当させていただきました。
日本で初めていのちの電話が東京で発足したのは
1971年でした。川崎に出来たのは1986年で
その頃の川崎は中高年層の自殺率が日本一という
ワースト都市だったそうです。
当時の伊藤川崎市長の要望もあり、初代理事長の
近藤俊朗さんの尽力で、全国で27番目の電話センターが
誕生しました。川崎では現在約200人の相談員が24時間
365日、一日約40件の電話に対応しています。
全国の自殺者は2011年まで3万人を超えていましたが
このような活動などの成果もあり昨年は21,764人までに
減少しています。
この日はまず福田川崎市長から、標榜している「最幸のまち
川崎」の実現のパートナーとしての期待と、この時間も電話を
取っている相談員への感謝の言葉がありました。
続いて成田真由美さんによる「自分の可能性を求めて」と
題する記念講演がありました。川崎市生まれの彼女は
中学1年のとき脊髄炎のため両足が不自由になりました。
水泳は不得意だったのですが障害者の水泳大会に欠員が出て
誘われたことがきっかけで始めたそうです。その後5回出場した
パラリンピックで獲得したメダルは20個と大活躍。
話の中で、以前車いすOKと書いてあるタクシーに乗ろう
としたら乗車拒否されたエピソードがありました。
当時に比べれば障害者に対する世間の理解は確実に
進んできていると思う一方、昨年起った相模原の障害者施設
での悲惨な事件の顛末を考えると、全く差別のない日本
になった、と言い切れないのがとても残念です。
テーマ名
ページ作成日 2017-03-26
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