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2024-06-25
昨年3月にブログで取り上げた「自由が丘」、大井町線
沿いに商業施設があるというので行ってみました。
「トレンチ自由が丘」というショッピングモールで
大井町線の電車庫が廃止された跡地に2006年に開業。
かつてここあった自由が丘検庫区が1966年に廃止され
その後大井町線の車庫になっていたので、そこにあった
廃レールや枕木がこの敷地内に使われているそうです。
名前の由来は「トレイン+おうち」で、緑豊かな
屋外空間に加えて、居心地の良さそうなラウンジには
カフェやレンタルスタジオがありシェアオフィスに使う人も。
駅のガード下には自由が丘の歴史を示すパネルがあり、
1927年に東横線が開通したときの駅名は「九品仏」で
2年後に大井町線の新駅ができた際、この駅名を譲って
ここに住み自由を重んじる人々が付けたのが「自由ヶ丘」。
戦後は線路沿いに闇市が立ち並び、鉄筋コンクリート造の
自由が丘デパートができて映画館6軒も加わり賑わいを見せ
1980年代には「anan」などの女性誌にファッション・雑貨
の街として頻繁に取り上げられ、全国的にも知られるように。
現在の自由が丘デパート
さて昨年から着手した再開発は、駅前広場の右側エリアの
解体がほぼ終わった状態で、2026年7月完成を目指して
約4,000㎡の敷地に地上15階の、商業施設と集合住宅の
複合施設が完成する予定です。
そのきっかけは意外!二子玉川や武蔵小杉の発展を見て
地元の有力者が、建物の老朽化も含めた街の危機感を感じて
徐々に地域の人達がそれに共鳴し、自分たちで再開発を決心
したそうで、デベロッパーや自治体主導ではなかったのは、
いかにも「自由が丘」らしいと感心しました。
完成予想図
テーマ名
ページ作成日 2024-06-25
2023-10-16
先日、二子新地の周辺を散策する会に参加しました。
主催は「大山街道ふるさと館」という川崎市の施設で、
当社が工事を施工して平成4年に開館。大山街道に関わる
歴史などの展示とともに、学習の場も提供しています。
大 山 街 道
ふ る さ と 館
大山街道は江戸の赤坂御門から雨乞いで有名な大山までの道。
江戸時代中期 に「大山詣り」がブームになって有名になり
後期には駿河のお茶、秦野のたばこなどを江戸に運ぶ輸送路
として多くの物や人が行き来して栄えた歴史ある街道です。
当日私たちは小雨の降る中二子新地駅に集まり、多摩川の
「二子の渡し」のあった場所へ。大年14年に二子橋が架かる
まで、ここから渡し船で対岸の瀬田と行き来していました。
土手を降りると岡本かの子の文学碑があり、ここにある彫刻は
かの子の息子・岡本太郎の作、台座は何と丹下健三の設計!
かの子の実家「大貫家」は江戸時代には幕府の御用を務めた
高津の大地主。今はない大貫病院の跡地にも立ち寄りましたが
この病院は、かの子の弟の大貫喜久三が大正10年に開設した
ことが、今回調べて初めて知りました。
かつての大貫病院
現在の跡地(マンションと公園)
最後に訪れたのは料亭「やよい」。途中の古い街灯柱には
「二子三業組合」の文字。三業地とは芸妓置屋・待合・
料亭の三業種の営業が許可された区域とのことです。
酒造業のかたわら東京・吉原で待合を営んでいた大貫吉之承は
橋の開通後に二子にも歓楽街をとまず自分の水田に待合「大和」
を開店。その後吉原や向島の料亭などにも声をかけ、最盛期には
100人の芸者が行き交う花街が出来たのですが、今残っている
のはこの「やよい」だけで、営業は既に終了しています。
戦後建てられたこの料亭は、改修の跡もなく当時の雰囲気を
そのまま保っていました。何とか将来ともこの建物を残して
二子新地の歴史を後世に伝えていく方法はないでしょうか?
テーマ名
ページ作成日 2023-10-16
2023-03-30
先日、久しぶりに自由が丘へ。きっかけはペルシャ絨毯の
閉店セールの広告が新聞1面に載っていたから。建築中の
新居のダイニングテーブルの下に敷くものを探していたのです。
「自由が丘」でまず連想するのは「モンブラン」という
老舗の洋菓子店。私が小さいときクリスマスシーズンに
なると、モンブランのデコレーションケーキを毎年届けて
くれる方がいて、包装紙の東郷青児のイラストと共に
私の幼年時代の思い出の一つになっていました。
閉店した「モンブラン」
絨毯の店に行く前に、暫くぶりでモンブランの前を通ると
先月末で閉店して近くに移転したとの貼り紙が…。
自由が丘の駅前は再開発の計画が動き出していることは
知っていましたが、絨毯の店の閉店もそのためです。
移転した「モンブラン」
自由が丘は大学へ行く途中の乗換駅で、また映画好き
でしたので、若い頃は武蔵野推理劇場という今はない
商店街の奥にあった名画座にずい分通いました。
自由が丘駅ができたのは1929年。名前はその前に開校
していた自由が丘学園から取ったとのこと。この学園の
幼稚園と小学校を引き継いで出来たのがトモエ学園で
同園出身の黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」で一躍有名に。
駅前広場は程よい広さで、取り囲む建物も4階建てくらい。
隣の田園調布駅はホームが地下化されて(かろうじて
駅舎は地上に復原)周辺も大きく変化していく中で
こじんまりとした雰囲気を保っていたこの街もついに…。
中学入学から約15年通勤、通学に使った東横線は、渋谷と
武蔵小杉以外は、昭和の時代の雰囲気を今に残している駅が
多かったのですが、やはり時代の流れに抗うことは難しい?
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ページ作成日 2023-03-30
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