トップ > 社長ブログ
blog
2022-03-18
先週、幸区の「新川崎・創造のもり」内にある
研究施設「NANOBIC」1階エントランスホールの
木質化リノベーションの施工が終了しました。
当社が川崎市の施設の木質化プロポーザルに応募して
当選したのは一昨年の中原区役所に次いで2度目です。
こちらはエントランスの壁面、待合のベンチ、サイン等を
木質化し、材料は北海道産の道南杉を中心に国産材を利用。
さて今回のNANOBICのある「新川崎・創造のもり」周辺は
歴史をたどると、旧鉄道省が発展著しい京浜工業地帯への
物資輸送の貨物線のため、東京横浜間の旧鹿島田・小倉
地区の農地を買収し昭和4年に新鶴見操車場が始動しました。
新川崎駅
しかし鉄道貨物輸送の需要は時代と共に減少し、昭和55年に
横須賀線の新川崎駅ができ、59年には操車場としての役目を
終えました。この広大な土地を川崎市が「新川崎・創造のもり」
計画を策定し、産学の連携により新しい科学技術の研究開発
拠点として整備されることになりました。
K2タウンキャンパス
K B I C
NANOBIC
平成12年に慶応大学の研究施設「K2タウンキャンパス」が
開設され、15年に新産業創造センター「KBIC」、平成24年に
ナノ(10億分の1)サイズの超微小領域での研究開発の拠点
「NANOBIC」が開設されました。ここでは早稲田、慶応、
東京工大、東大と連携、市内のものづくり企業の技術力の向上と
新産業の創出を目指しています。
入口の大きな吹抜けの壁面は山並みを想像させるさまざまな
国産木材を重ね貼りして全体が一つの景色になり、来場者が木を
全体で感じるようにしました。休憩スペースには分割できる
多目的ベンチを設置、自由なレイアウトが可能となります。
ハードルは高いですが今後も木質化プロジェクトに挑戦します!
テーマ名
ページ作成日 2022-03-18
2022-02-28
先週、武蔵小杉に引っ越しました。東横線の小杉駅の
すぐ東側なのに、なぜか住所は「新丸子東3丁目」です。
引越し理由は私の家を建て替えることになったから。
私は生まれてから武蔵中原にずっと住み続けていたので
話題の?武蔵小杉に住むことにとても興味がありました。
でも本当の理由はペットと楽器OKの賃貸物件があまりなく
探し当てたのが武蔵小杉の分譲マンションだったのです。
中学から都内へ通ったので、今の会社に入った27歳まで
通勤・通学はほぼ毎日、武蔵小杉駅を利用していました。
南武線の武蔵小杉駅を降り、進行方向に階段を上ると
検札所があり、その先が東横線の渋谷行きホームでした。
東横線武蔵小杉駅の向うは東京銀行グランド
南武線武蔵小杉駅前のバスターミナル
南武線の武蔵中原―小杉間の高架事業が完成してから
東横線の駅とは完全に分離され、平成12年には東急目黒線
南北線が開通し、さらに平成22年にはJR横須賀線の小杉駅が
できて東京直結となり、住宅地としての価値が上ったのです。
住宅といえば平成20年にはパークシティ武蔵小杉など
3棟のタワーマンションが完成。また平成25年にできた
エクラスタワー武蔵小杉には東急スクエアや5,6階には市立
中原図書館が入り当社は大手とのJVで内装工事を行いました。
エクラスタワー
東急スクエア
中原図書館
オープンセレモニー
平成26年にはイトーヨーカ堂がグランツリーを、三井不動産が
ららテラスをオープンさせ、今住んでいるパークシティ武蔵小杉
ザグランドウイングタワーが完成しました。
グランツリー
ららテラス
ザグランドウイングタワー
また平成29、30年にはパークシティ武蔵小杉ガーデンタワーズ
2棟が完成し、2階に川崎市コンベンションホールができたのです。
パークシティ武蔵小杉ガーデンタワーズ
コンベンションホール・ロビー
今問題なのは、電車が少し遅れると入場制限で長い列が
できることです。乗降客数を調べたらJRは南武線に横須賀線駅が
加わったので2019年は2000年の倍の13万人でした。中原区は
あと10年人口増が見込まれるので何か手を打ってほしいです。
朝の南武線・下りホーム
テーマ名
ページ作成日 2022-02-28
2021-10-20
先日、洗足学園の前田ホールで川崎いのちの電話の
チャリティーコンサートがありました。青島広志さんが
進行役で3人の歌い手が有名なオペラの曲を披露しました。
さて洗足学園と私は古くから係わりがありました。
まず私は洗足の幼稚園を卒業しています。私が5歳の時
中途で2年保育の「川組」に入ったのですが、これは
私の母と当時の先生がお茶でご一緒していたご縁でした。
左端が吉村先生、最後列右から3人目が私
その後私は地元の小学校を卒業して私立中学に進みましたが
そこで洗足の幼稚園で一緒だった数人と再会しました。
彼らはそのまま洗足の小学校へ入学し、中学を受験したのです。
それから20数年後、今度は私の長女が洗足の幼稚園に
入園しました。しかも担任は私と同じ吉村先生でした!
昭和60年当時の学園要覧
左端が母の友人額田先生(園長)、後列に長女
長女が卒園してから吉村先生からご主人の絵の遺作展の
お知らせが届きました。ご主人は養護学校を定年後、パリに
留学して絵画を学んだのですが残念ながら逝去されました。
その作品は印象派風で、気に入った絵があり先生に聞くと
「30万と書いてありますが15万でいいです」と耳打ちされて
私は生まれて初めて絵画を購入したのでした。
洗足高等女学校が東京・目黒区に創立されたのは1926年で
1948年には川崎市久本に移転して幼稚園が開園し、1962年に
短期大学音楽科、67年には洗足学園大学音楽学部が開校。
1100人収容の前田ホールが出来たのは1984年。
私はこの音楽ホールに「出演」したことがあるのです!
それは1990年の「第1回高津市民音楽祭」でベートーヴェンの
「第九」を合唱団の一人として歌ったのです。
この頃より洗足学園は幼稚園も含めて改築が始まり、建築的に
見ても“母校”のとてもユニークなデザインが気に入っています。
テーマ名
ページ作成日 2021-10-20
<< | 2024年12月 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | |
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | |
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | |
29 | 30 | 31 |