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2022-09-09
9月に入ってから少し遅い夏休みを箱根・仙石原で
過ごしました。宿泊は超高級レストランで有名な
HIRAMATSUが運営する部屋数20という小さなホテル。
仙石原というと誰でも思い浮かべるのはススキの草原。
まだ穂先は青々としていて黄金色に変わるのは10月ごろ?
地名の由来は源頼朝が「この地から米千石が取れるだろう」
と言ったとか諸説があるそうです。
秋の仙石原
さてこの施設に一歩踏み入れると、入口正面のブッフェの
絵画にまず驚かされました!さらにエントランスロビー
から廊下まで、これだけ多くのアートが掛けられている
ホテルをほかに知りません。
お部屋に案内されて2度ビックリ!なんと家内が好きな
片岡球子の富士山が2枚も飾ってあったのです。(当家にも
2枚あります!)なぜ、これほどアートにこだわるのか?
1982年、西麻布にフランス料理店「ひらまつ亭」が開店、
その後広尾に移転した際、実兄が経営する画廊を併設して
数々の名画と調度品に彩られた店舗に生まれ変ったとのこと。
そして2015年から“こだわり”のホテル事業を開始したのです。
すっかりアート気分が高揚した私達は、翌日チェックアウト後
近くにあるポーラ美術館へ。何故か仙石原にはラリック美術館
星の王子様ミュージアム、ガラスの森等の美術館が集っていました。
大きな吹き抜けには英国作家による大きな円形のネオン作品が
目に飛び込みます。ちょうど20年前に開館したこの美術館には
ルノアール、モネ、セザンヌ等の印象派からピカソ、マティス、
今回は杉本博司という作家の光のアート作品コーナーも加わり
現代作品まで箱根で幅広くアートを楽しむことが出来ました。
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ページ作成日 2022-09-09
2022-06-10
新聞で鎌倉の川喜多映画記念館で「追悼・山内静夫
松竹大船撮影所物語」という展示企画開催の記事を読み
以前から興味のあったこの記念館を訪ねました。
小津監督(左)と山内(中央)
山内静夫はプロデューサーとして小津安二郎監督の作品を
手掛け、小津が世界的な名匠として名を馳せる過程で
多大な貢献をしたとのこと。最近、私的な映画鑑賞会で
「麦秋」と「お茶漬の味」の小津の2作品を見たのも何かの縁?
川喜多長政は1928年に東和商事を設立、妻のかしこと共に
映画の買付けに世界中を廻り、日本最大の映画輸入業者まで成長。
私がよく映画を見た学生時代、ほぼ「東和配給」だった記憶あり。
記念館は旧川喜多邸を建て替えたもので、さらに哲学者の
和辻哲郎が住んでいた江戸時代の民家を移築した建物があり
来日した映画スターなどをもてなす場として利用したそうです。
左上が昭和36年に移築した建物
記念館を出て近くの「鏑木清方記念美術館」に寄った後、線路を
渡りこの日のもう一つの目的の「古我邸」へ。ここは鎌倉文学館
旧華頂宮邸とともに鎌倉三大洋館の一つと言われており
大正5年、三菱合資会社の役員の別荘として建築されました。
戦後は一時GHQの将校クラブとして接収され、その後日本初の
カーレーサー古我氏が所有し、今はその遺族が受け継いでいます。
門の前に来ると緑の丘の上に洋館が見え、その間には芝生以外
何もなくあるのは左側の道だけ。日本では見たことが無い風景で
以前訪ねたピッツバーグの家内の知人の家を思い出しました。
ピッツバーグ・ケファー邸
幸いにも2015年よりフレンチレストランがここを借り受けて
オープン。この日は裏庭のカフェで休憩しましたが、今度は
ランチをしたいと予約状況を聞くと何と1か月先まで一杯!
いずれにしても100年を超える住宅がこのような形で残り
しかも私たちが利用できるのはとても嬉しい限りです。
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ページ作成日 2022-06-10
2022-01-30
さて次に向かったのは京王線仙川駅の近くにある
安藤忠雄が設計した建物群。世界的な建築家が設計した建物が
6つも軒を連ねているというのを聞いたことがありません。
2004年完成の「シティハウス仙川」という分譲マンションが
スタートで、駅のすぐ北側の「仙川ステーションコート」の
91所帯ができたのが2012年。
南側には、「せんがわ劇場」「ふれあいの家」「仙川保育園」
からなる複合施設があり、隣接してコンクリーと打ち放しの
壁だけ?が見える「東京アートミュージアム」がありました。
なぜこのように同じ地域に「安藤ストリート」ができたか?
仙川駅の南側に約16,000㎡のとても細長い土地(縦432m!)を
所有する伊藤家という地主がいて、1990年にこの土地を
南北に縦断する幅16mの道路が都市計画決定したとのこと。
もともと細長い土地がこの計画道路によりさらに細長い
三角形に分断されました。これを有効利用する方法はないか?
そのために伊藤さんが何と安藤忠雄に計画を依頼したのです!
驚いたのはこの人は1980年ころから安藤忠雄の“追っかけ” を
していて国内はもちろん海外の安藤作品もほとんど見て回った
そうです。熱意にほだされ受託して計画案ができたあと、自治体
などを巻き込んで幾多の困難があり、関係者の誰もが一度は
諦めた(安藤忠雄談)が、伊藤さんだけは諦めずに突き進んで
当初計画より更に良い形のプロジェクトが実現したのでした。
121席の「せんがわ劇場」は財団法人が運営し、地域コミュニティ
の拠点としての「ふれあいの家」は調布市のホームページから
申込ができます。個人の地主が計画した建物がどのような経緯と
仕組みで公共的な施設となったのか商売柄!是非知りたく思います。
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ページ作成日 2022-01-30
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