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2019-10-19
京都の二日目、台風が日本に上陸した日に私たちは
「俵屋」を跡にして次の宿、ホテルオークラ神戸に向かい
風雨が収まるのを待ちました。ここのロビーは東京の
オークラの意匠のイメージをそのまま受け継いでいました。
俵 屋
ホテルオークラ神戸
ホテルオークラ東京
神戸の宿泊は、翌日ライトが設計した芦屋の旧山邑邸
(現ヨドコウ迎賓館)を見学するためです。
8月にやはりライト設計の自由学園を見学したとき
想像を超えて原型を保って保存されていることに
感銘を受け、もう一つ国内で現存しているライト設計の
住宅を見てみたかったのです。
六甲山系の山裾に1924年に山邑家の別邸として完成
したこの洋館は、戦後一時進駐軍の社交場としても
使われ、1947年淀川製鋼所の所有になり、1974年には
国の重要文化財に指定されました。
阪急の芦屋川駅に着くとホームから、こんもりとした
木々の中に邸宅の一部が見えます。「ライト坂」を上がり、
邸内に入るとまず建物の南端、玄関の車寄せ部分に着きます。
帝国ホテルと同様に幾何学的な彫刻を施した大谷石を
ふんだんに使い、独特の雰囲気を醸し出しています。
その上は応接室で、両側に大きな開口部を持つ左右対称の
デザインでした。3階の和室の間は実施設計の時にライトの
弟子、遠藤新が施主の要望を入れたようです。
4階の食堂から広いバルコニーへ出ると街が一望でき
振り向くと目に飛び込む大谷石を用いた開口部とその上の
ドームの造形は、この建物の大きな魅力に感じました。
この後、計画になかった近くにある滴翠美術館に寄った際、
室内から旧山邑邸の西側立面が見えたのは幸運でした。
滴翠美術館入口
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ページ作成日 2019-10-19
2019-08-20
フランク・ロイド・ライトが設計した建物は
落水荘、グッゲンハイム美術館などアメリカにある
建物をいくつか見学しましたが、日本では明治村にある
帝国ホテル(一部)以外に見たことはありません。
落 水 荘
グッゲンハイム美術館
彼が設計して日本に現存する少ない建物の一つ、都内の
自由学園のホールについては時おり報道されており
いつか見たいと思っていましたがやっと実現しました。
池袋西口から細い路地を入って右奥に校庭の南側が
見えたとたん、これは想像していたものと全然違う!と
期待を嬉しく裏切られました。建物が一部残っている
のではなく敷地と建物全体が保存されているのです!
設立者の羽仁もと子と羽仁吉一は帝国ホテルの設計を
していたライトに依頼、1922年の中央棟などを手初めに
教室、講堂などが1927年までに竣工しました。
その後学園は久留米に10万坪の土地を購入、新校舎を建設し
1934年には移転が完了し、発祥の建築群は「明日館」として
引き続き使用され、今では結婚式場としても借りられます。
さてここまでには建て替え、売却の選択肢も当然検討された
ようですが、文化財指定の話が出たとき、それによって
使用が制限されたのでは意味がない、と言っているうちに
制度が変わって使いながらの指定が可能になり、1997年に
重要文化財に指定され、2002年に修理工事が終わりました。
講 堂(設計は弟子の遠藤新)
このような経過があって「明日館」はライト設計の原型を
保ちながら今日に至っている珍しいケースとなったのです。
これを見ると帝国ホテルがもし残っていればどれほどの
文化遺産になっていたか…などとつい無益な想像をしてしまいます。
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ページ作成日 2019-08-20
2018-07-14
四ツ谷駅を降りて外堀通りを左に進むとほどなく
迎賓館の象徴的な正門が見えてきます。この門の前までは
何度か訪れましたが、中に入るのは今回が初めてです。
迎賓館は東宮御所として、かつて紀州徳川家の江戸屋敷があった
ところに明治42年、鹿鳴館などで有名な建築家コンドルの弟子の
片山東熊の設計によってネオバロック様式の宮殿として建設されました。
彼の設計した建物は奈良国立博物館や東京国立博物館の
表慶館などいくつか現存していますが、明治維新から約40年で
西洋建築の設計・施工術を習得できたのは感嘆に値すると思います。
戦後この建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館など
として利用されましたが、外国の賓客を迎える施設として
使用していた旧朝香宮邸が手狭ということで、村野藤吾の設計
協力を得て、昭和49年に改修工事が完成。その秋アメリカの
大統領として初めて来日したフォード大統領を迎えました。
また和風別館「游心亭」は谷口吉郎の設計で同じ年に完成。
47畳の大広間などを中心に会食や茶会に利用されていますが
迎賓館が一般公開されたのは2016年からでした。
和風別館は予約が必要で見学はこちらから。まず前面の池は
浅い水盤で設計されたものを当時の田中首相が錦鯉を入れる
よう指示し、池の底を掘りさげたとのこと。また正面玄関脇の
庭は竹林と白砂が印象的ですが、中曽根首相が竜安寺のように
石を置くよう指示、江戸風が京風になってしまったとのこと。
本館に入り2階大ホールから見下ろす中央階段はまさに
宮殿にふさわしい荘厳さで、日本にいることを忘れさせます。
ホール正面には小磯良平の200号の絵が2枚掛けられていました。
中央階段ホール
2階大ホール
朝日の間
羽衣の間
ホールに続く「朝日の間」は首脳会談で使用する部屋で、
「羽衣の間」のシャンデリアは重さが800㎏で館内では最大。
また国賓の晩餐会がよく行われるのは「花鳥の間」です。
花鳥の間
さて見学を終え、正門から出ようとすると私たちは警備員に
呼び止められました。何とこれから天皇陛下の車列が通るとのこと。
平成時代の最後に陛下の姿を見られたのはとても幸運でした。
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ページ作成日 2018-07-14